10-2 -ユーリ-
エンフィールド本島のカーライル邸の広さにはいつも驚かされる。ユーリはゆっくりと開かれていく門を前にして、深く息を吐いた。ベルグラーヴのフェリルの住まう邸宅の比ではないのを、改めて感じた。
報告書が書きあがったとともに支度を整えて、日が昇る前よりユーリは馬で郊外の邸宅に赴いていた。瞼は重く、うつらうつらと頭を揺らしながらの騎乗だった。白い息をかじかむ手にむけて吐き、馬を軽く走らせて向かっていた。
三層建ての白亜のカントリーハウスが、朝日を照り返して、ユーリの瞳を刺してくるようだった。
応接間に案内されて、細かな彫が施された机の前に案内される。艶の残る皮が張られた椅子が用意されたので、そこに腰かける。誂えたようにユーリの腰に収まり、快適なすわり心地だった。
白磁に青い図柄が描かれたティーカップが手元に据えられ、茶が注がれた。
「ごゆっくりと」
給仕役は男と女の二人だった。顔にはあどけなさが残っている。カーライル邸は幾度も訪ねているユーリであるが、この二人の顔に覚えはない。ただ二人とも感情を落とし、粛々と、そして背筋をピシと正して流れるようにみごとに動く。邸宅の広さや調度品の豪奢さよりも、ユーリはそこに感心をする。あれほど重たかった眼が、すっかり治まっている。
ベルグラーヴに連れてきたマウリアやザイカの者たちも、現地である程度仕込んでから連れてきたのだろう。フェリルと会談した際にルオという褐色肌の娘が給仕を担当したが、この二人と劣らぬ動き、働きをしていたのを思い出した。
茶に口をつけた頃、ようやくアダムが杖をついて応接間に現れた。彼の傍らには秘書のイザベラがぴったりとついている。ユーリは咄嗟に立ち上がり、礼をしようとするところを、まあまあ、と手しぐさで腰を掛けるように合図を送ってきた。
アダムの手にユーリがまとめ上げた報告書が渡った。
「パスクワーレ商会か。随分と懐かしい名前が出てきたな」
しゃがれた声、アダムはそう感想を漏らし、報告書を机の上に置いた。後ろに控えていた秘書のイザベラが手に取り、さっと流し読みを始める。ページを素早く捲っているが怜悧なまなざしは、内容を把握しているのだとわからせる強さがある。彼女がこの報告書から陳情書としてエンフィールドの国王あてとファブリカの大聖堂宛に文書をしたためるのだろう。抜け目のないカーライル家の体制にユーリはいつも感心を抱く。
炎の揺らめく暖炉に、白色を基調とした広い応接間。窓にはガラスを用いて、青い空を見せ、燭台は手元の一台で事足りる設計となっている。
絨毯の敷かれた床は、基礎としている板目を見せない。複雑な文様が色鮮やかに描かれた飾り皿を調度品の上に並べている。ワホウというはるか極東の島国で焼かれた磁器に図柄はカーライル家の手の者が指示をしたそうだ。近頃はこれをエンフィールドはおろか、ドライゼの貴族に高値で売り、財を積み重ねている。息子の立案で珍しく大成功だアダムは呵々大笑していた。フェリルもベルグラーヴに入る際は大量にこれらの磁器を持ち込み、近隣の領主に配っていた。
正門よりトピアリーの施し、季節の花々を咲かせる庭を設けて、裏庭には厩舎を設けて、馬を走らせている。三層建てのカントリーハウスには百を超える部屋があり、この邸宅内だけでも百余人が勤めている。
「懐かしい、ですか」
「マウリアのあたりで、奴らとはよくやりあったよ。船を何隻沈められたことか」
「その倍はやり返したのでしょう」
「それは、もちろん」
淡々と息するようにアダムは答えた。給仕に用意させた茶を啜りながら、顔色何一つ変えていない。それだけ殺しもしているのだろう。王都からはるか離れた海の上では法も届かないとして、海を血の色に変えていたとの噂はかねがね耳にしている。パスクワーレや他の商船を襲い、その荷も取引の材料として市場に流していたとすら、聴いている。
その時、まさに現場を指揮していたのが若かれし頃のアダム・カーライル。今は杖とティーアップを握る手であるが、皴だらけのその掌に幾人の血が流れたのだろうか。マウリアやザイカ、ワホウの民を動かすためにも、剣をふるい、銃を、砲を放ったと聞いている。千でも足りないとユーリは見ている。
――カネで貴族を買った男。
――嘲笑も度を越えれば立派な勲章だ。
アダムのそんな言葉がよぎった。
――その二つ名も使わせてもらっているよ。会話のいいトリガーになる。
そう言葉を続けていた。
彼のやり方には常に批判が纏い、時には徹底的に糾弾されていた。貴族院や大聖堂に目を付けられ、末端の微罪から財産没収にまで拡大し、窮地に追いやられた際も、築き上げてきたコネとカネで乗り越えてきた。
「確かにハシードの禁止令を期に、パスクワーレの名もすっかり聴かなくなりましたね」
「三十年ぐらい前か。港でも羽振りがよかったが、それぐらいから聞かなくなったな」
「やはり、ハシードの売り上げだけで」
「アヘンも売りさばいていたからな。あそこは。それと合わせて、どの国も取引しなくなって、ショートさせたんだろうな。なに、よくある話だ」
ちょうどハシードが禁止されたのが三十年ほど前である。カイルからの報告書には、ランベール教司の論文が決定打となって、ファブリカ大聖堂より触が発布された。
触が口火となって、各国で徹底してハシードに係る者たちの検挙されていき、厳しく処断されていった。パスクワーレ商会の代表と一族も触の発布から半年足らずで逮捕され、獄中で順々に死去していた。死因は公表されていない。
「まあなんだね。ホスピンとアピエンが良くて、ハシードが禁止というのも、おかしな話なんだがな」
白く長い眉毛の下、細い眼に刃のような鋭さが帯びている。アダムの言葉に対して、ユーリは口を噤んで、答えることを拒否した。
――教会が製薬の方法を牛耳っているから、でしょうよ。わかっている癖に。
カネを動かしているのは、カーライル家や国だけではない。そもそもその土台には大聖堂がある。
――土台から外れて稼ぐやつを赦さない。
王都でも貴族院に入っているもの、管理として働く者はおおよそ勘づいている事実である。ユーリを含めて口外しないだけである。口外したからといって直ちにどうこうなることもないだろうと頭の中ではわかっている。ただ同時に、海に浮かんだベルグラーヴの元保安駐在所所長の話がある。余計なことを言ってくれるな。余計なことをしてくれるな。その無言の圧に応えることによって、国家間と民衆との間の懸け橋として成立している。ユーリはそう考えていた。
カイルからの報告書も、ホスピンとアピエンについては記載がなかった。ただランベール教司の殺害に際して、大聖堂側では、こうなるだろうとの予測があったことが匂う記述をしていた。
――カーライル家はその点も巧く立ち回ったものだ。
ランベール教司の襲撃をダシにして、大聖堂への点数稼ぎも兼ねている。だからこそ年数を経ても、犯人を追うように、王都よりもアダムのほうが執拗であったようにユーリは感じていた。
「しかしよく、パスクワーレに絞れたな」
「膏薬を入れていた陶器です。土と釉薬から、パスクワーレが囲っていた地域の焼き物と判断しました」
「なるほどな。確かに、あのあたりの陶器には一目を置いていた。しかし、使い方がよくないな」
「その土地では、必要な膏薬なのだそうですけど」
「マウリアの硬麻みたいなものか。あれを喫して、谷あいや崖沿いの隘路を越えていたな。面白いぞ、視界がぐっと絞られて、糸のように細くても同足取りを取ればいいかが見えるんだ」
眼を瞑りながらアダムが言う。昔を思い出しての言葉だろう。マーク・トンプソンとのつながりができたことにより、ベルグラーヴの惣が動き出したとのこと、フェリルからの手紙に記載されていた。
襲撃後の捜査の際は、山に詳しいという理由で、トーマスが中心となってロシュの一個団が動いていた。他にもトーマスの息のかかった仲間が数人いたそうだ。現在は、保安駐在所の手により拘束されている。
ベルグラーヴがエンフィールドの領となる前から、その土地で暮らしていた者たちが、山向こうの森の中に居る。尋問によって、そこまで聞き出したことが記されていた。
――本来ならば、拷問で聞き出していたのだろうけど。
リディアによって、保安駐在所の元によっての聞き取り尋問であり、カーライル家から人員を送り込むこともできないことが追記されていたのを思い出した。
メンデスはどこまで知っていたのだろうか。王都へ納める物はきっちり納めていた。ベルグラーヴから特に不平不満は出ていなかった。惣とは友好とも嫌悪とも聞かない。発展させることもなく、放任しているような統治をしていた。文を認め、使いを送っているが、ユーリは彼からの回答を期待していない。ユーリが訪問していた頃、彼はぼんやりと窓の外を眺めることが多かった。
――このまま、何もなければいい。何もなければ。
暖炉の炎で温まった部屋の中、メンデス老はそう独り言を漏らしていた。
――領民を信じすぎたな。
トーマスが利用していた山小屋を含めて、捜索隊を出すことはきまっているが、ロシュからの応援の到着を待たねばならないことなど、フェリルからの手紙は彼女の苛立ちを表すように乱れていた。
「まあ過ぎたことは致し方あるまい。それよりも、発覚した今、どう動くべきかに集中するべきだな」
「リディア様の動きに、こちらから牽制を入れておきますか」
「いや、いい。彼女は、彼女の立場で正しいことをしている。ここに不用意に圧をかけるべきではない。フェリルのなだめは、ルシアナにでも任せておけ」
カイルから送られてきたリスト一覧には、幾重の名が記されてきた。同時に、ベルグラーヴのトーマス宅から見つかった軟膏の陶器についての報告書が届けられた。その時は、マーク・トンプソンの焼け崩れた家からも残欠として確認されている。
「問題は、パスクワーレの残党がどこにいるのか。それと山向こうの森の中に居る連中とのつながりですね」
「銃を持っていたと、報告に上がっていたな。ということは、納めている連中がいるのだろう」
「それが残党なのは検討がつきますが」
「そこまで検討がつけば、後はどうにでもなる。ハシード売りの討伐に、アヘンの密売組織の殲滅、国家反逆の恐れのある連中の拘束と事態の鎮静化。王都と大聖堂の両方に陳情をあげておけば間違えない。回答が来るまで、動きづらいのだけが難点だがな」
もうその動きは進めているのだろう、とユーリは眼差し鋭く、向かいに腰を下ろしている老人を見つめる。王都エンフィールドの郊外に広大な敷地を有して、自身の息子娘を、貴族の家の中へ、王都の官吏、ひいては既存クインの内部へと送り込み、終には領主を得た。果たしてここまでいかほどの額を費やし、いくら稼いできたのか。彼一代の働きのみではないのだが、ここまで膨張させたのは、アダムの手腕によるところが大きい。
「死に際にようやく得られた領だ。その初手からミソはつけたくない。徹底的にやってくれ」
そうユーリに向けて言うと、アダムは杖を頼りにして椅子から立ち上がった。傍らに控えていたイザベラがすっと寄り添い、補助をする。
「これから長女が孫を連れてくるものでな。顔を出させてくれ。イザベラは陳情書の清書と支度の手配を頼む」
「承りました」
杖を突きながらゆっくりとした足取りでこの応接間から下がっていった。孫の前では好々爺然として振舞いたのだろうか。老いて体が重くなっているようだが、ユーリにはアダムがまだまだ野心をめぐらして動いていることも知っている。
――考えてみれば、長女は本島に城を設けた伯爵家に嫁いだんだったな。そうなると、孫はいよいよ貴族院の重役狙いか。
ユーリはカップに残っていた茶を飲み切ってから立ち上がった。それまで応接間の隅に控えている使用人たちは動かなかった。
厩舎に預けていた馬に跨り、ゆっくりと歩かせた。まだ日は高かった。毛皮のコートを羽織り、首元を押さえながら、もう片方の手で手綱を操る。
数えるほどしか残っていない木々が並ぶ道を馬に揺られながら進みいく。日差しがあるだけ寒さはやわらいだか。それでも吹き抜けてくる風の冷たさは鋭かった。
――アダム氏は、これ以上に何をしたいのだろうか。
――一度、膨張を始めたならば、膨らみ続けるしかない。私には、この邸宅、商会、そして、海向こうの仲間、家族も含めれば、万はくだらない。私は元締めとして、その命を預かっているんだよ。彼、彼女らを路頭に迷わすわけにはいかないのだよ。
一度だけ尋ねたことがある。彼はそう答えていた。口調は落ち着いていた。
――そのためには、何でもするし、何でもしてきたつもりだ。
老人の口から放たれた穏やかな言葉であるが、目の奥にある熾火のような熱と、皴と襞で描かれた濃い影の色が、ユーリの心に重く圧してきた。
――どいつもこいつも、怖いヤツらばかりだ。
エンフィールドの総務局として巡視官として、ベルグラーヴを見回っていた。辺境にある寂しい辺鄙な村としか見ていなかった。メンデス家に訪問して、惣に顔を出し、ランベール教司に挨拶をする。守護士のジャン・ノートに睨まれながら、毒にも薬にもならない会話をしてロシュに戻る。あるいは、ドライゼとの国境際の砦まで、馬をだらだらと歩かせる。
――お前は何を見ていたんだ。
襲撃後に総務局の長より、その言葉をいただいた。何も見ていなかった、とは口が裂けても言えない。しかし結果として、ベルグラーヴに多数の死者が出て、ランベール教司とその守護士のジャン・ノートは死んだ。
――これは俺の責任。
そう思っていた。ただ追うごとに影の色が濃くなっていくようだった。
気がつけば鉛色の空の下を歩いていた。エンフィールドの羅城が見えている。総務局に馬を預けて、自宅に帰ろう。あともう少しだ、と腑の底から息を吐き出した。
「よう。今、帰りか」
背後から声がした。振り返れば、丸く肥えた顔にキツネのような細い目をつけた督郵の男――ジェイコブが、眉間にしわを寄せてくしゃくしゃに丸めた紙屑のような表情を浮かべるカイルとともに立っていた。
ユーリは馬首を返すとともに、まなじりを厳しくとがらせて、この男に正対した。
「話がある」
ジェイコブはそれだけ言ってにやりと唇をゆがませて、首を振った。その道の向こうには洞のような小さな教会がある。
「いいだろう」
ユーリはそれだけ言って、先行する二人の後に着いていった。
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