10-1 -フラッグ-
「馬鹿か、お前は!」
腕に添え木を括られた少年の腹を蹴り上げたハビエルの絶叫が、部屋中に響いた。少年――トニは床に虫のように転がり、うめき声を上げて倒れたまま蹲った。そこに狼のように歯を剥いたハビエルが鋭角に足を振り下ろしていく。緑青に汚れた長髪を振りまわりながら音を鳴らしている。
「辞めないか」
溜息まじりの低く重い声が視線を集めた。白髪交じりの初老の男――ベルナールからの声だった。眼を釣り上げたハビエルの動きも、これで止まった。燭台に灯された明かりと影だけが動いている。積み木で組んだだけのような粗雑な机と椅子。その中で、熊や鹿の毛皮が頭を残して飾られている。
「もうどうにもならんだろう」
ベルナールがそう言葉をつづけた。諦念の響きが含まれているのをフラッグでもわかった。だからこそかもしれない、視界の隅に写っているハビエルの睨みは、さらに厳しくなっていくだけだった。
フラッグは床にしりもちをついたまま、口をだらしなく開けて、息をすることぐらいしかできなかった。ハビエルは吊り上がった眼をベルナールは眼を瞑って受けていた。沈黙が重く広がっていく。角材を積み重ねて組み立てられた小さな家宅の中で、フラッグはちらちらと様子を窺っていた。ベルナールもハビエルもともに動かない。時が止まっているかのように思えた。
山の洞窟より、フラッグはトーマスに連れられて、森の中を進んでいた。ハビエルとセルジの二人に小突かれるようにして、歩を進めていた。しばらく進んでいるとマルコと名乗る男が現れて、さらに森の奥へと進んでいく。
セルジから、待て、と声を発して銃を構えたのは、マルコと合流して、ややもしてからだった。
――カーライルの者か。
黒く濃く伸びたもみあげの男と、褐色肌の男が二人。カーライルが邸宅に入る際の行列に並んでいたのを覚えていた。その前に歩く二人は――軍人か。胸元にワッペンが辛うじて見えた。
ただそれを正しく認識するより先に、セルジが銃を放ち、弾丸が軍人の首を貫いた。首から血を吹き出しながら倒れ込み、やがて動かなくなっていった。
それからは銃激戦だった。フラッグは荷物を抱えて樹の裏で小さく震えるしかできなかった。
ハビエルに邪魔だと蹴とばされ、セルジからは銃を投げよこされ、トーマスには撃てと命じられた。構える真似はしたが、瘧のように震えが止まらなかった。背後からの銃撃。頬を掠める弾丸。ベルグラーヴが襲撃された日、馬に飛び乗りロシュまでかけた時の記憶が頭いっぱいに広がっていく。
マルコの首と身体がはなれて落ちてきた。その元を辿ってしまい、蛮刀をふるう褐色肌の男と目が合った。――殺される。そう直観するとますます身体は硬直した。
視界は乾ききっていた。硬直を強引に振りほどいて、石ころのように転がった。銃声と悲鳴、罵声、怒号が飛び交う中、構わず逃げた。あの時と同じように逃げに逃げた。
荷物を持てとの声だけ聞こえた。近くにあったので、拾えるだけ拾いあげて、猿のように森をかけた。その際、トーマスの首も刎ね落とされた。
彼の死もフラッグは見ていた。身を案じていちだけ振り返った。その時がちょうど、具備が落ちる時だった。
涙は出なかった。正面に向き直った意識はない。残像として血を吹き出しながらぼとりと落ちるトーマスの首が見え続けた。
逃げに逃げた。三人分の荷物を抱きしめながら駆けた。木の根に足が捕られようとも、枝が頬を切り裂いても、両目をいっぱいに開いて走った。日が暮れても、足が重くなっても、先行するセルジの後を追うようにして逃げ続けた。
「こっちだ」
日が明ける頃だった。山の中でトーマスと寝泊まりした小屋のような、小さな木組みの宅が7,8棟ほど並び立つだけの集落にたどり着いていた。
「ここは」
呟くより先に、抱きかかえていた荷物をひったくられ、両腕を背面に回されて、拘束された。
――エンフィールド領の前は、ドライゼ、アストラの領でもあった。
昔、父親から聞いたベルグラーヴの歴史を思い出した。その頃の残党が、こんな山を越えた森の奥に残っていたのか。その驚きと、恐怖を覚えた。ベルグラーヴがエンフィールドの領となって百年が経っている。
両手は背中できつく結わえられ、膝立ち姿で、ベルナールの前に突き出される。白髪交じりの髪を後頭部で結わえて、ひげを蓄えた顔を出している。皴と襞の影の濃い表情をしている。細い眼がフラッグを見下ろしてくる。それだけで心を貫き、自身を見定めようとしているように感じられた。――彼の鑑にそぐわなければ。
「殺さないでくれ!」
脳裏をよぎるとともに、叫んでいた。視界には銃があり、鉈、斧、ナイフが無造作に机上に置かれている。刃にはべったりと汚れがついているかのように、鈍い反射をしていた。
視界はすでに滲んでいる。喉は粗い息が擦れて灼けるように痛い。
「恐ろしい思いをしたろう。何、命を取ろうとは思っていない」
ベルナールの口調は、重さがありながらも微温い柔らかさを帯びているように感じた。フラッグは震える眼で彼の言葉を聞いていた。
「ベルグラーヴはかつて我々の土地だった。エンフィールドもドライゼもアストラも関係ない。私たちの土地だった。その土地を取り返したい。君も手伝ってくれないか」
ゆったりとした口調で尋ねてくる。フラッグは左右に視線を配らせる。セルジとハビエルが銃を手にして控えていた。芋虫のごとく蠢きながら、フラッグは首を縦に動かしていた。
銃撃を受けて怪我を負っているセルジ達の治療とともに、集落で備蓄している薬の補充のために、トニにベルグラーヴの教会に向かわせたのが一昨日である。指示された薬を持って帰ってきたのだが、腕を折られていた。守護士に叩きのめされて、新任の教司の治療を受けたのがわかり、ハビエルはトニを蹴り上げた。
舌打ちととに唾を吐いて、ハビエルは奥屋の裏へと向かっていった。少女が一人、つながれている部屋があるのをフラッグは見ていた。ベルグラーヴで不用心に歩いていたところを眠らせて拐してきたと、頬に笑みを刻ませていた。白い膏薬を見せながら、これでするのがイイと、言葉を続けた。
――お前もどうだ、とセルジに声をかけられたが、言葉を濁してその場から離れた。馬小屋の布巾よりも汚れた服に、どこにも焦点の合わない瞳。乾いた肌と水面に上がってきた魚のように口を動かす。彼女に、フラッグは直視ができなかった。
ハビエルが姿を消した後も、ベルナールは腕を組んで、目を閉じて。しばらくは口を閉じたままだった。セルジは頬杖をついて睨んでいる。ベルナールの次の言動を待っているようだった。
三十人にも満たない、狭く小さな集落だった。小屋の一つを持っていたが、セルジとハビエルは集落の者ではないとベルナールから聞いた。集落への輸送として流れてきた者だった。
「督郵のジェイコブが来ていたのだけれども、いつの間にか、あの二人か、トーマスが来るようになっていた」
ベルナールの言葉には含みがあった。皴に隠れた細い瞳に嫌悪が宿っているようだった。
トーマスも二人のその一味として、この集落に出入りをしていたそうだ。狩った獣や薬草とともに、銃や弾丸を物々交換で取引していた。集落の年頃の女をみかけては指をさして、二人にさせろと。それで交換を成立させるように打診をしてきた時もあったそうだ。
――ベルグラーヴを襲ったのも。ランベール教司を殺したのも、この中に居る。
そう直感した。しかしフラッグは口を噤んでいた。ベルナールの暮らしている狩り小屋のような小さな宅に預けられた。出される食事を口にして、出される指示に従って、暮らしの手伝いもした。その中で、マーク・トンプソンがいないかと探しもしてみた。
小屋の外に出れば、震えるほど凍てついた風が流れてくる。頬が切れるかと錯覚した。そしてどこか薄暗い。空に広がる雲だけが理由ではないだろう。森の獣もほとんどが眠りにつく季節。毛皮を被り、俯きながら、木造の気で組み立てられた小さな住居を行き来している。数日しか経っていないが、女子供の姿はほとんど見なかった。
伝え聞く限りでは、当初は戦火を逃れて、集落を築き始めたそうだ。その後、土地を奪われた者が、奴隷のような酷使から逃れた者が流れて居つき、一時は百人余の集落となったそうだ。
「ここまでの辺境に流れる者は少ないし、何より子供が少ない――生まれなければ、生まれても生かし続けることができなかった」
時おり顔を出すジェイコブに、ファブリカの大聖堂へ書を届けるように頼み込むこともした。ドライゼやアストラに陳情を投げたこともあったとベルナールは言った。エンフィールドからベルグラーヴを取り返す足掛かりとしての打診の匂わせを含めて書をしたためた。しかしいずれも返信はなかった。
白いコートを羽織ったハビエルとセルジがこの集落に現れだしたのはその頃からだったか。代わりに教会の督郵であるジェイコブは離れていった。
火器に困ることはなくなった。狩りが楽になったのは間違えない。人口減少とともに、二人に対する交換物の入手、病人やけが人の処置が苦しくなっていった。
トニがベルグラーヴに向かうとともに、カーライルの者と戦いとなった場所に戻った。エンフィールドの紋章をつけた男と、額に銃弾を受けた男。これがカーライル勢の犠牲者なのだろう。トーマスとマルコは身体だけが転がっていた。切り落とされた首はなかった。――持ち帰ったのか。――勲章扱いか。褐色肌の男二人の姿が甦る。入れ墨を彫りいれた顔と蛮刀を手にした姿に、野蛮から畏怖すら覚えた。
「トニ、教司様には何か言ったのか?」
ベルナールの問いかけに対して、床に蹲りながら、トニは首を横に振らせて応えた。
「薬が必要なら、直接、いらっしゃいと」
「そうか」
言葉を詰まらせながらも、トニはゆっくりとベルナールの問いに答えた。添え木で固定された腕を撫でさすりながら、床に腰を下ろして座っていた。顔が赤く腫れあがっているのは、涙だけが理由ではないのだろう。
「いつかは来るとは思っていたが、頃合いなのだろう」
ベルナールの呟きが響いた。
「何がだ」
「私自身がベルグラーヴに赴こうと思う」
「何を言っている」
熊のような厚い身体のセルジが立ち上がり、椅子に腰かけて眼を瞑ったままのベルナールの前に立った。見下げるとともに、圧をかけてくる。
「ベルグラーヴを取り戻すのが、百年続くこの集落の大願なんだろう。まさかそれを手放すつもりか」
セルジの言葉に対しても、眼を瞑ったまま、泰然と構えている。フラッグはトニとともに二人の顔を交互に見るしかできない。
「教司様にすべてをお話ししよう。悪くはならないはずだ」
「ベルグラーヴの教司は、先代教司の守護士の妹だぞ」
「教会は中立が絶対。そこが崩れれば、教会の意味をなさなくなる。何、窮鳥懐に入れば猟師も撃ちはしまい」
「エンフィールドは教司殺しの犯人を未だに追っている。国としてのメンツのためにも、捕まえて処するのが絶対だ。地図のないこんな集落、場合によっては、元より無かったことにされるぞ」
「彼らを殺したのは、お前たちだろう」
「乗ったのは、お前たちだろう」
ベルナールが言い終わるより先に、圧しつけるようにして、セルジが大声を放った。
「それとも何か。俺たちを売るつもりか。だれがここ、銃を持ってきたのか、わかっているのか、解っているのか」
丸太のようなセルジの腕がベルナールの襟元に伸びた。犬歯を剥いた表情でベルナールの瞳を刺し込もうとしている。ベルナールの表情は変わらない。ただ、震えるほど硬い握り拳を作っているのが、フラッグには見えた。
「解っている」
ベルナールの噛みしめるように言葉を返した。
「解っているとも」
自身の襟首を掴むセルジの手を、ゆっくりと包み込むようにして、ベルナールは手を重ねた。
「悪いようにことを運ばないようやる。その責を持つのは、長の務めだろう。お前たちの命も保障されるよう交渉する」
「保障では足りないな」
「いずれにしても、このまま動かなければ、向こうが攻めてくる。そうなれば、ますます追い込められる。その前に手を打たねばならないだろう」
灰色がかったベルナールの瞳がみえた。意思の強さが銀にきらめかせるようにフラッグには見えていた。セルジは唸り声を喉から漏らしながら、ベルナールを睨んだ。ベルナールはまっすぐに視線を向けて返した。
「解った。ただ俺も行く」
「――それは」
「お前が余計なことを言わないように。交渉の背後には暴力も必要だろう。ハビエルはここに置いていく。それでいいな」
「もし拒んだら――」
「さあ、どうなるだろうな」
片手はベルナールの襟首を掴んでいる。もう一方は空いている。セルジの手に届く範囲には、ナイフも銃もあった。ベルナールの視線がそれを確認していた。
「私と、セルジ。あとはフラッグ君の三人で向かおう」
「え?」
驚きの声が漏れていた。ベルナールの瞳と、セルジの刃のような視線が、無防備だったフラッグに向けられた。
「ベルグラーヴのつなぎ役として、よろしく頼むよ」
フラッグは瞳を震わせながら、ベルナールの言葉を受け止めるしかできなかった。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
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