序 - 3 -ユーリ-
「序」の終幕、ベルグラーヴ襲撃後の様子と始末がユーリ・レイフィールドの視点から
空は鉛色の雲に覆われている。雪が降っていた。足首まで積もっている。振り返れば、自分の足跡がくっきりと残っていた。
――まったく、獣皮のベストを着ておいて正解だった。
ユーリ・レイフィールドは無精に伸びた髭を掌で撫でながら、ゆっくりと息を吐き出した。傍から見れば碧色に見えるほど汚れで濁った金髪を晒しながら、額の周りにもバンダナのように獣毛を巻いて、眉間に刻まれた深い皺も隠している。ただ首元を疎かにしていたためか、手で黒いコートの襟を重ね合わせるようにして押さえていた。風が吹けば、身の肌を剃られるような心地がした。
雪雲に遮られてしまい真昼と言うのに、すでに仄暗さを覚える。それ以上にベルグラーヴは沈んでいるかのように重たく、暗い印象があった。
マーク・トンプソンの凶行より二か月が経った。その間、ベルグラーヴでは軍が陣を敷き、厳戒の態勢が敷かれていた。フラッグが早馬を飛ばして知らせを運んできたことが功と成ったと現状では認識されている。直ちに小隊が出動し、到着してからはベルグラーヴで何の被害も出ていない。暫くの間、武装したまま駐屯をしていた。その際にフラッグが示した林の奥を進んでいくと、野営の跡が発見された。足跡、焼べられた範囲から十人単位と推測された。しかしそれ以上に情報は判っていない。間者なのか、友軍部隊か、そして、どこに所属しているのか全くの不明のまま。捜査は続けられているが、火の跡と踏み荒らされた草木ぐらいしか見つからなかった。
死者が二十名強、出ている。その中には、ランベール教司と守護士のジャンが含まれている。教会より程離れた森の中で亡骸が発見されたと、ユーリは報告を受けている。ランベールは胸を刺されて殺されており、その側に頸を断ったジャンが横たわっていた。守護士として任務を全うできなかったがため、自ら刎頸したとされている。血の付いた刃を握りしめていたからだ。そしてその側にもう一体、額に弾丸を受けて絶命したウェザース警巡視補の遺体である。
保安駐在所内にも、彼を含めて死者が五名ほど出ていた。所長であったミリガンは責任を負って辞任し、既にベルグラーヴを離れている。無論、追い込まれての辞任であるのは、察せられていた。そして、先月、本島との狭間の海峡にて、遺体となって浮かんでいた。
今は、ロシュの州警察局の副局長ハーランが出張ってきている。保安駐在所の所長室で、肥えた丸い身体をキュッと窄めさせて、寒い、狭いとユーリに対して愚痴をこぼしながらも、取り敢えず、落ち着くまではここを離れなられんなと、こつこつと職務を全うしていた。ロシュの局長も暫くは保安駐在所の所長を置かずに、副局長と駐屯している軍に任せると発言していた。実包を詰めた小銃を構えて村中を巡視する兵は見当たらなくなったが、それでも腰や肩に火器を提げている者の姿を見かけるのは、ユーリには慣れない光景だった。
馬を飛ばして伝令と叫んだフラッグは、二日間ほど眠り続けたという。眠りから覚めた後も、頬が削がれたように痩せて、言葉を放つこともままならない容態だったと聞いている。まだロシュの診療所で養生生活を送っている。ユーリはベルグラーヴに向かう前に彼を訪ねていた。フラッグはアストラやドライゼからの間諜が忍んでいるのではないかと、瞳を揺らしながら言っていた。視界の焦点を定められない、まだ回復していないのだと察した。また有り得ない話ではないと受け止めていた。
田畑は雪の下に埋まっている。いま、村中を出歩く者はユーリの他に見当たらない。村民の皆が神経質になっている。眼の周りが落ち窪み、暗さの中に警戒と疑念が含まれているようだった。予見も何もなく、突然の凶行に、心が削られている。これ以上は傷つけられまいと守ろうとしているのだ、とユーリは感じた。
「目立った諍いはないんだがね。碌々、ハナシも出来やしないんだ」
「この雪が解けて田畑に鋤鍬入れる前に、元鞘と行きたいんですな」
「そら、そうよ」
――それまでもう一か月を切っている。副局長の溜息は重たかった。
本島の総務局査察部勤務の巡視官。それがユーリの役職である。総務局長の命を受けて、本島より海を渡って、ベルグラーヴの巡察と調整を担っていた。
――暫くは、俺もここに張り付けだな。
自嘲気味に息を吐いた。唇は嫌味な歪みを刻んでいた。凶行はたったの一晩だけというのに、その後始末を年単位で検討しなければならない。それを任されてしまった。受けた命の認識を改めていた。
マーク・トンプソンは行方不明となっている。両親の首を手斧で切断した後、家に油を巻き散らして火を放った。そのため炭となった骨組みぐらいしか残らなかった。その上、曰くつきであると忌を睨まれて、その骨組みも取り壊され、今は更地となって放置されている。
取り壊しに当たっての調査の折に、概ね灰か煤に成り、形状は残しながらもすっかり炭化した調度品などが収集された。その中に、陶片が見つかった。ユーリが水につけてよく洗ってみると、緑色の網目模様が施された褐色の陶であった。高台を僅かに残しながら柔らかな曲を描いている。壺か皿か。ユーリはほとんどを流し見ながら、それだけに手を伸ばして摘み上げていた。
猟銃と手斧を構えて家から飛び出したトンプソンは手当たり次第に襲っていった。自身に近い者から銃口を向け、手斧を振り降りした。足取りは地図に記されているが、全くの気紛れのようにしかユーリには見えなかった。動機も判らない。警吏が村人を一人一人訊ね当たり、彼の言動を捜査しているが、核心へと向かう線はでてきていない。大人しく、マジメに働いていた。時に猟のために山に籠り
、獣を捌いて近隣に配ることがあったそうだ。ただ口数は少なく、挨拶ぐらいしか交わしたことがない。それぐらいがせいぜいだ。
ミリガンら保安駐在所の面々と銃撃戦を繰り広げてもいる。民家の柱や壁を盾として、銃弾を避け、またその際の狙撃で二人の顔と胸を撃ち抜き殺している。彼は口を噤んで、眦を厳しく尖らして、冷静に対抗していた。
そして、樹海の方へと駆けていき、中に入ったとの報告である。その際に彼に躊躇いはなく、一直線に駆ける速度を緩めなかったと追記されている。マークは樹海に入ったきりで戻ってくることはなかった。捜索隊を出したが、猟銃も手斧も発見されなかった。生死は不明、どこで息を潜めて機会を伺っているのか。その疑念が拭えない限り、厳戒態勢は解けない、と副局長はしている。
「だからと言って、ずっとここに置いておくことも難しいだろうからな」
薄汚れた短髪を掻き毟りながら歩を進めていく。あくまでロシュの兵舎から連れてきているに過ぎない。そしてロシュは二つの国境の警備に当たる兵士を育成し送り込み、且つ休息の場を提供している。国境の警備を裂くわけにもいかず、徴兵でもかけて兵の数を増やすこともできない。
木橋のかかった小川を越えて、なだらかな小丘を登り行けば、いよいよ教会が見えてくる。ちょうど鐘楼が見えてきた。その背景には雪で真っ白に塗られた山々が聳えている。いずれの山々もその頂は雲の上に在り、稜線が消えているようだった。
教会の姿も、薄黒く汚れた壁面や剥がされた扉と見えてきた。百年前より嵌められていたステンドグラスは無惨に割れ破れている。石造りの重い構えとは裏腹に、今にも傾き崩れてしまいそうであった。
ランベール教司が殺された。マーク・トンプソンとは別に、端からそこを狙っていた。むしろ、トンプソンはそのための陽動のコマであるとして捜査は進められている。彼の凶行は常軌を逸してはいるが、応戦の姿勢などから、明確な意思があり、理知的な行動を基にしていると判断されていた。
――どこぞで戦闘の訓練を受けていたのではないか。
ミリガンがベルグラーヴから去る前に、そうユーリに告げていた。射撃の腕前に行動の正確さから、彼が導き出したのだろう。そんな訓練ができるのは軍しかない。トンプソンがロシュの軍に属していた経歴はなかった。帳面を総ざらいに改めて確認している。僅か半日でも軍の門を潜った者の名が全て記されている。彼がベルグラーヴに戻るまで、どこで何をしていたのかは、調査を出したばかりである。手持ちの実包の数にしても、家に撒いた油にしても、何らかの裏があるとミリガンは付け加えて言った。ユーリもそれに同意している。
教司を守れなかった。その罪は厳しく重たかった。土地の平穏を保つために据えられている。そのためにファブリカの大聖堂より派遣されているのである。
メンデス家にはベルグラーヴの領主としての責任が問われて、廃易が決まった。国王のサインの入った書状をすでに青い顔をしていたメンデス家の頭首に見せると、身体を震わしながら両膝をついておいた皴だらけの顔を伏せさせ、禿げあがった頭を垂らした。涙も言葉も出てこないのだろう。ユーリは黙したまま彼を見下ろした。できれば背けたい。姿を視界に納めるのが辛かった。どのような視線を向ければいいのか惑いがあった。メンデスはそのまま首がそのままごろりと転がり落ちるかのようにユーリには見えた。
まだ屋敷には暮らしているが、家財や勤め人の整理をつけて在野に下ると言っていた。本島の親戚の元を頼るそうだ。齢は六十を過ぎ、それこそ息子たちは本当の貴族院や官局に勤めている。そろそろ継いで欲しいと思っていた矢先の事件であった。落ち着きを取り戻したメンデスは結果に対して、止むを得まい、とだけ呟いた。脈々と受け継がれてきた時を自身の代で亡くす。その現実に対して、老人はひどく消沈しきり、数年前に見かけた折よりも、小さく、吹けば飛んで流されてしまいそうな姿があった。
代わりが決まるまでは、北方のヴァロワ家と南西のルベツキ家に頼ることとなった。二家とも大陸に脈々と続く貴族であるが、陛下に深い忠誠を誓う家系であるとして、後ろ安かった。
教会の修復の目途は立っていない。しかし、速やかに直さなければ、ファブリカに対して申し分が立たない。せめてめどを立てなければ、次の教司は送られてこないだろう。
費用は国が持たなければならないだろうが、捻出するのが厳しいとされていた。
「一先ずの治まりが見えたら、まずはここからだろうな」
教会の中へと踏み込んでいく。神像の他は外に出されていた。一連の件で無傷であったのは、この神像ぐらいだと言われている。
胸元で両手を組み、面をやや俯き気味に構えている。教司はこの前に立ち、週に一度、法の教えを説く。その際には村の多くの民が集い聴く。その教えを胸にして日々の勤めに励む。それが誉れであった。
神像はその時と同じように、表情一つ変えずに、手も足も出さずに、為す術もなく件の狼藉を見下ろし続けたのだろう。
「外に出せるハズもないけどな」
小声でそう吐き捨ててから、ユーリは次の場所へと足を向けた。
教会の裏口を出て真っ直ぐに歩いていくと、森に突き当たる。この中でランベール教司は刺殺された。誰が殺したのかも不明である。またジャンの遺体を検めた結果、確かに首を刎ねて死んでいるが、それ以外の傷が見当たらなかったとの報告がある。守護士として、教司を守るために戦っていない。
――では、何をしていた。
すぐにその問いが出てくる。しかし、教会の方に向かったのはウェザースのみであり、彼もまた殺されている。何があったのかを語れる者が一人もいなかった。ミリガンはウェザース一人で大丈夫だとタカを括っていたと悔いを漏らしていた。しかしトンプソンを抑えきれなかった現状を鑑みると、指揮が不適当であったと安易に批判することはできなかった。
そちらの森にも捜索隊を送っている。ランベール教司の遺体が発見された場から、足跡があり、それを辿っていったそうだ。しかし奥に入り込むにつれて、足跡が散っていった。時に集合し、ぐるりと森の中を迂回するや、また別れて奥へと進んでいく。終には向かい先を特定できなかった。果たして何人がこの森に居て教会を襲ったのか、それすらも判明していない。期待はずれな結果に副局長の溜息の重さが推して量れる。
ユーリは教会を離れて北西へと向かっていった。森へは踏み込まず、それに沿っての細い路が設けられていた。
砦があった。かつてここで警備兵が待機していた。今に使われていない。外壁には蔦が絡み、苔も生えるようになっていた。数十年前より山の麓と樹海の側に新たに砦が設けられたからだ。ベルグラーヴの地理的条件と国庫の採算の面から使われなくなっていた。現状は、ベルグラーヴの駐在所員や、ロシュの警巡視が時折不審がないか検めるために中に入るぐらいである。今まで一度たりとも、その形跡は発見されていない。特になしの報告書が積み重なっていくだけであった。
ロシュで預かった鍵を使って門扉を開けて中に入る。すっかり錆びて軽く押しただけで、悲鳴のような鉄の軋む音が響いた。
すでにガラス窓は外されており、柱に絡まっている蔦は白茶に枯れている。また長年の風の侵により、壁の一部が剥がれ落ち、屋根の棟が崩れている。至るところにヒビが走り、欠損があった。年に一度は大掃除も行われていたそうだが、ここ数年は危険であるとして、実施されていない。
ここを補修して復元させる。そう発言したのはロシュの州警察局長である。なるほど広さは申し分ない。土地も確保してあれば、一から立てる必要もない。そう算段してのことだろう。つい一年前はいっそ火薬を撒いて爆破してしまえと発言していた。そうすれば、巡視の必要がなくなるからだ。
「これもまたカネがかかるんだろうなぁ」
ぐるりと外回りを眺め渡しながら、ユーリはそう溢した。これを契機に予算と権限の確保を狙っているのだろう。それぐらいの計算と野心がなければ州の局長にまで上り詰められまい。
――取り敢えず俺は、報告書を書いて提出するだけ。
そう割り切った。補修の見積もりや契約は別の者がやる。それに任せればいい。人員を何処から持ってくるのかについても、局長のあくまで出任せの発言であり、本島の管理であるユーリが手を差し出す、あれこれと憂慮する必要はない。
ベルグラーヴをどうするか。それが目下の課題である。
「次の領主さまはタイヘンだな」
そんな言葉が唇の隙間より漏れ出て来ていた。
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