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8-2 -クレア-

 キツネのような細い面立ちのレイチェルは、頑として肯んじず。巌のような固く谷よりも深い皴を刻んだ惣長――アルベールは、腕を組んで、身じろぎ一つしない。二人は睨みあったまま、影だけがじりじりと歩むようだった。


「今日はもう、ここまでにしましょうか」


 重い息を吐きだすように、リディアが言った。喉から搾り上げてようやく出てきたような声だった。さすがの彼女の顔にも目下に疲れの色が出ているよう。それでもクレアは顔のこわばりを解くことはできなかった。


 教会の一角に設けられた歓談の場。机椅子を並べ、訪れた者が話し込むなり、息をつくなり、適当に過ごしてもらうために用意されている。窓より差し込む光は暖かく、お祈りよりもここでのひと時を目的とする者もいるほどである。


 しかし、今日ばかりは、二人の殺伐とした雰囲気に近寄る者はいない。立会いとして、リディアとともにクレアも椅子に座しているが、背筋が伸びたまま、痛いほど硬くなっている。


 領主カーライルとベルグラーヴの農を束ねる惣との間に協議の場が教会で設けられた。前回は、フェリルが直接、惣の会合に乗り込んでいったそうだが、話は平行線のまま――むしろ、惣に集ったベルグラーヴの衆を激昂させる結果となったと、クレアは聞いている。


――フェリルのあの高慢ちきな性格だ。無配慮に高説を垂れてきたのだろう。


 嘆息を吐くより簡単に想像できた。そして彼女自身も怒りを爆発させたのだろう。ともに交わろうとはせず、諍いの傷を広げていた。


 田畑を今の四倍にまで拡げるようとの指示であったとは、ハンネスから聞き出した。彼は、カーライル邸と馴染みのユーリとつながりがある。ドライゼやアストラへとつながる街道としての整備と人通りを増やすための施策を進めるとともに、リディアはベルグラーヴの農産にも力を入れる思惑であった。


 その思惑に対して、難色を示しているのが、アルベールを筆頭とした惣であった。


――教司様から、なんとか言ってやってください。

――教師様の立会いの下、お話を聞くよう、お力添えください。


 カーライル邸から、そして惣からもリディアに声がかかり、この場が設けられる運びとなった。


「ベルグラーヴの再興には、皆さまのご協力が不可欠です。損をさせるお話ではないはずです」


 カーライルからの代表として席に出ているレイチェルが言った。フェリルは体調を崩しており、代わりとして、彼女が顔を出した。そして、彼女の後ろには、柳の葉のような眼をした白髪の男――アーネストが直立している。そうやって彼女を立てているのだろう。彼女はカーライル邸で会計、予算管理を任されていると言っていた。これからのベルグラーヴの繁栄と発展を、経理の面から説明し、惣長を納得させようとのカーライル側の算段がクレアでも読めた。


「なにも、今年中の話ではない。カネとヒトならば、工面するとも言っている」

「わかったように、何を言うか」


 レイチェルの言葉を切り落とすように、ぎりと歯の軋むような声が聞こえてきた。アルベールの眼は鉈のようであった。


「そうやって、土地を簒奪するのだろう。お前らのやり方は知っている。代々引き継がれてきたベルグラーヴを、みすみすくれてやるつもりはない」


 そう言い切り、一層に睨みの尖りを厳しくさせた。教会内の緊張がさらにきりきりと強くなっていく。


 果たして何時間、この言い合いが続いただろうか。ハンネスは教会の外の薬草園の手入れのために席を外している。クレアはリディアの守護として、彼女の傍らから離れるわけにはいかない。


――落としどころを見つけるのも、教司の役割の一つ。


 その意気込みで、リディアはこの席に臨み、レイチェルとアルベールの険にのまれてしまっているようで、二人の顔を見比べながら、まなじりを歪めていた。結局、フェリルが顔を出した際と同じく平行線のまま交わろう、歩み寄ろうとする気は欠片もなく、神経と時間ばかりが削げ落ちていく。


「それまでにしましょう。それまでに」


 噛みしめるようにリディアが言った。クレアには悲鳴のようにも感じられた。言葉に反応してか、レイチェルは両方の眼を瞑り、唇をぐっと噛ませた。


「そうね。そうしましょう」


 彼女自身に言い聞かせるように言った。


「それでも、私たちは私たちのできるところから、進めていきますからね」


 椅子から腰を上げるや、靴音を立てて、外へと向かっていく。アーネストも、彼女の後に遅れることなくついていった。


「待て。どういう意味だ。それは」


 アルベールが叫んだ。教会内に響いたが、二人は背中を向けたまま、教会の扉の向こうへと消えていった。――扉の前で一礼だけはあったか。クレアには二人の姿勢が、慇懃ながらも、刃物のような立ち振る舞いのように見えた。


「まったく、なんて奴らだ。主が主なら、その配下も配下だな」


 怒気を含ませて、アルベールが言った。態度には出さなかったが、クレアは心内で深く同意した。


「お力になれず、誠に申し訳ございません」

「いやいや、教司様が謝られることではありませんよ。先ず聞く耳を持たないあのレイチェルとかいう女が悪い。制しないアルバートも何しに来たってヤツだ。何より、カーライルの娘がいっとうに悪い」


 唾棄するように言い切り、懐から煙草を取り出して、口に咥えた。


「――すみません。ここには灰皿がありませんでして」


 ぽそとリディアが告げるも、アルベールはさらに掌よりも小さな皿を取り出して机上に置いた。


「いえお構いなく。それより、ちょっと火をお借りします」


 言い終わるのが先か、アルベールは灯りの炎に煙草の先を近づけていった。


 リディアの視線が教会の奥に控える祭壇を一瞥しているのに、クレアは気が付いた。祭壇の左右には花が奉ぜられ、神像を中心とする天の世界の彩りとなっている。近寄れば馥郁たる香りに包まれ、眦が垂れ落ちる心地がする。


 無精ひげ生やしたアルベールの顎が動き、紫煙が吐き出される。鼻腔を擦りあげるような臭いに、クレアは目元が強張りを感じた。


「メンデス様の頃はよかった。納めるものだけ納めていればよかった」


 マーク・トンプソンがベルグラーヴを襲い、その裏でランベール教司と守護士のジャン・ノートが殺された。その責をとがめられて、メンデスは改易となり、代わりにカーライルがベルグラーヴを治めることになった。


「そもそもとなると、マークはどこに行ったってことになるんだろうけど」

「そうですね」


 煙草を咥えながら言葉を続けるアルベールの傍らで、リディアは耳を傾けている。表情は穏やかさであるように努めている――ようにクレアからは見られた。時おり、白い花のような彼女の顔色の口角に力みがこもっていた。アルベールはそれに気づくこともなく、カーライルの批判を続けていた。


 リディアがベルグラーヴに入り、フェリル・カーライルがこの教会に挨拶に来てから、何か月が経っただろうか。うらうらとした日差しで、若葉が芽生える頃だった。高踏的な態度であったのは鮮明に覚えている。その時から態度を改めず、惣に口出しをしているのがわかる。


「どうにかなりませんかね」


 アルベールは煙を吐き出しながら、リディアに伺う。


「私のほうから、歩み寄れないか、カーライル様に伝えておきます」


 彼女は眉根を寄せて、一つ呼吸を置いてから、そう言った。教会の中立性を保つ。領主の横暴が過ぎれば、大聖堂側に文を送り、国主から領主を注意し、場合によっては処断を下すように仰ぐこともある。一方で、領主の言葉をいっこう聞かず、領主が教司を頼った場合、内容を精査したうえで、血が流れる前に、惣が動くように大聖堂側の文を出してもらうように打診する時もある。


――アルベールはそれが本懐なのだろう。


 現に、リディアの返事に対して、彼は眉間のしわを深くさせるだけであった。


「まあ、よろしくお願いしますよ。あの家はやっぱり商家だ。自身の懐具合しか見ていない。こっちのことを金の卵を産む鶏とでも勘違いしている」


 小指の先より短くなった煙草を灰皿に押し付けて火を消した。先ほどまで対角線上にいたレイチェルも、資金繰りや収益の増加を基軸として、話を展開していた。筋の通った話ではあったのだが、惣にかかる負担や、彼女たちが提案する施策の出費に、首を縦に振ることはできなかった。レイチェルは十か年計画として、数字を並べて説明を課されてきたが、理屈が上滑りしているだけだった。そういう面も、アルベールを苛つかせたのだろう。


「自分たちの利益のためなら、なんでもやる。さすがは商人の娘。砦の一件も、軍をベルグラーヴに呼ぶための自作自演だって噂ですからね」


 アルベールの口から淀みなく、言葉が流れ出てくる。食傷を覚え始めてきた頃であったが、クレアは面を上げて、白髪交じりの髪を無造作に束ねた上げたアルベールの顔を見た。リディアの視線も緊の色を帯びているようであった。


「そうなのですか?」


 アルベールの顔を伺うようにしてリディアが尋ねた。束の間、アルベールは口を閉じて、リディアの顔色を確認した。


 エンフィールドの本島から軍人が来たのは事実である。つい一昨日、ギルバートとフランツと名乗る二人の男が挨拶に来た。胸に下げている勲章から、高位の軍人であるとクレアはみた。そして、二人はこれからベルグラーヴの西に広がる森に入り、山の麓から、峠などを、銃を担ぎ、剣を佩いて探査すると言っていた。実際に昨朝、クレアは、ザックを背負い森の中へと入っていく姿を見ている。二人のほかにも数人がついていた。探査には、カーライルも全面的に協力すると挨拶の際にギルバートが言っていた。カーライルの屋敷内を仕切るレヴィンを含めて数人を連れて行かせていた。


「ええ、なんでも。気を付けてくださいよ。あの家はザイカやマウリアにアヘンを売りつけて成り上がった家って話ですし。次はいったい何をしてくるか」


「それは、本当ですか」


 身が乗り出していた。アルベールの言葉に対して、思わずに声が出ていた。リディアの眼差しにも鋭さが帯びている。


「いや、トーマスからの聞き売りだけどな。でも、カーライルが海の向こうで荒稼ぎしているのは、誰でも知っているだろう」


 アダム・カーライルが貿易で巨万の富を築き上げたのは、クレアでも知っている。さらに、円フィールドの貴族院や王族の親戚に、縁戚をむすぶよう送り込み、政治に口が挟めるような地位に上りあがったとも。


「エンフィールドの裏で流れているハシードやアヘンも、カーライルが牛耳っているとか」


 口角をゆがめながら、アルベールが吐き捨てた。リディアの表情の険は厳しさを増しているようであった。ハシードもアヘンもともに教会の禁制品である。つい先日、督郵のジェイコブから渡された触にも、特重要事項として、ハシードの取り締まりと厳罰について記載されていたのを思い出した。


「それは事実なのでしょうか」

「事実って」

「カーライル様が足場の崩落が自作自演であることや、アヘンやハシードを売っていることです。裏のとれている事実であるのでしょうか」

「裏って、いやだから、あくまでトーマスからの聞き売りだよ」


 アルベールは身体を退かせながら小さく首を横に振った。言葉の責任は持ちたくないと露骨に示している。


 トーマスは、ベルグラーヴの猟師であり、ベルグラーヴの自宅よりも山の中で過ごす月日が多いような暮らしをしているが、教会に薬草を卸すため、クレアも顔を知っている。顎に髭を蓄えた大男で、フラッグとともに山に入り、鹿や狸、熊を飼って、ロシュに売りに行って生計を立てている。狩りのために山を一つ、二つ超えることもあると聞いている。


――行動範囲を鑑みると、顔が広いのだろう。猟師として他領とのつながりがあるのかもしれない。そこから話が流れてくるのかもしれないな。


「事実であるのならば、至急、大聖堂に申し立てをして、カーライル家にしかるべき処罰を下すよう動かなければなりません」


 リディアの声だった。針のような芯のある声色で、まっすぐにアルベールを見つめながら言葉をつづけた。


「しかし、あくまでも伝聞であり、憶測の域をでないのでしたら、そういった内容を軽々とおっしゃられることに、私はあまり、感心できません」


 彼女の声調には、クレアの推察を打ち壊す強さがあった。線の細く、脆いガラス細工のような面立ちの彼女のまっすぐな視線が、アルベールの瞳を射ているようであった。


 アルベールはきまり悪く顔をゆがめて、視線をそらした。


「それは――訂正いたします」


――そう疑われてもやむを得ないことをしているカーライルが悪い。


 アルベールの赤焼けた喉が膨らむ瞬間があった。椿を飲み込んだのだろう。そんな言葉がクレアの脳裏にはよぎった。


 しばらく沈黙が続いた。おもむろに、アルベールが灰皿を片手に立ち上がった。


「すっかり長居してしまったね。申し訳ない」

「いえ、こちらこそ、お力になれず」


 アルベールは静かにそのまま教会を出ていった。南の空に輝いていた陽は、すでに山の端にかかり、赤くなっている。暮れなずむ景とともに、冷たさの芯のある風が吹き抜けていった。


「冬が来る前に、何とかしたいですね」


 アルベールの見送りのために、リディアとともに外に出た。そのついでとして、教会周りを歩く。


「でも双方とも、歩み寄ろうとする気がみられません。これではいつまで経っても、変わらないでしょう」

「それを何とかするのも、教司の役目、なのでしょうね」


 言いながら、リディアは唇を深く嚙みこんだ。薄暗い中でも、そのしぐさがクレアにはありありと見える。


「こういったところから、血が流れると聞いています。そうなる前に収めなければなりませんね」

お読みいただき、誠にありがとうございます。

ゆっくりとではありますが終盤に向けての苗を育てつつは仕掛けを入れております。

引き続きご愛顧いただければ幸いです。


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何卒よろしくお願い致します!

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