6-2 -カイル-
ベルグラーヴから離れて、カイルの捜査状況。
どこか諦念のあるダウナーな章ですが、いよいよ話の動きが表立ってきます。
カイルは上着の袖を捲って、手綱を引いていた。まだ春だというのに、汗が噴くほどの熱を感じていた。
アストラの日差しは強かった。南へ進めば進むほど、暑さを覚えた。水筒はすぐに空になり、その度に汗が浮き上がった。上着を脱ぎ、長袖を捲って、それでどうにかやり過ごす。
大陸の南東にある、辺鄙な田舎町だった。海と山があり、漁と畑で生計を成り立たせる。港はあるが、貿易港ではなく、静かな町であった。馬を使っても、たどり着くまでに半月を要した。ここまでくると、ユーリからの電報も受け取りは難しいだろう。現に、数日間、電柱を見ていない。
――まだこんな処があるんだな。
事件が起こったベルグラーヴにも電報の線は設けられていないが、半日歩けばロシュがある。そこでは列車も打電所もある。
港を見下ろすような小高い丘に設けられた石こう造りの教会に、ランベール教司は長く派遣されていた。ここに派遣された際には、守護士はジャン・ノートがついていた。
「いいヒトでしたよ。厳しかったけれども、フェアでしたね」
教会を訪ねる前に、酒場も営む宿に入った。日は長くなっていたのだが、陽が西の山端にかかっていた。馬を預けて、寝床を押さえて、カウンターでエールを一杯頼んだ。喉をさらりと流れていくような爽快感があった。
適当な世間話とともに、ランベール教司について尋ねてみると、そんな答えが返ってきた。頬に大きなシミのある、皺だらけの女の給仕である。若い女には客をとらせているとにべもなく言い放っていた。そうでもしないと、なんでも稼ぎの桁が違うそうだ。
「相談事にはのってくれるし、薬の処方もしてくれたし。何よりイイ男だったしね」
「そうですか。自分は面識がないので、何ともですけど」
「あら、そうかい」
カウンター向こうで腰を掛けて、煙草に火を点けた。紫煙がゆらゆらと昇る中、女は煙草を長く咥えてから、ゆっくりと煙を吐き出した。
「ああ、頭がクラクラして――。やっぱりこれは止められない」
しわがれた声でうっとりとそう呟いた。粉臭さが鼻を突き、せっかくのさわやかなエールの匂いが消されてしまっていた。
「で、なんだって、そんな懐かしい名前を出してくるんだい」
「いえ、彼の来歴を検める必要がありまして。足跡を訪ねて廻っているのですよ」
「へえ。アンタ、エンフィールドの人間だろう。それがわざわざ、こんな田舎まで赴いてくる。そこまでする来歴って、教司様にはよっぽど何かあるのかい」
宿帳を差し出してきたのは、この老婆だった。宿と酒場の両方ともを賄っていると聞いている。もっとも宿は、遠洋まで出て魚を追う漁師のためにあるようなもので、彼らが出払えば、閑古鳥が鳴く始末であるそうだ。カイルのようにのこのこ、それもエンフィールドの本島からやってくるような奇特な者は、彼女が営みだしてから、指折りで数えて足りるほどしかいないと言う。
「自分も、あまり詳しくは知らないのですけどね」
カイルは苦笑いを浮かべて、エールのグラスをあおり飲んだ。この老婆の眼差しに鋭さを帯びているように感じられた。
「でも、アンタは本国の総務局様だろう。そんな処が動くだなんて、よっぽどのオダイジンじゃあないか」
老婆の言葉にカイルは口角を引き攣らせながら、適当な相槌だけを打っておいた。
「世話になったヒトだからね。今どうしているんだい」
「亡くなりました」
一つ逡巡の間をおいてから、カイルは答えた。冷静さを努めて、老婆の表情をうかがえるよう視線を真っすぐに向けていた。
「何者かに殺されました」
秘匿の内容ではない。大聖堂から各国の教会へ周知されているだろうことも、想像がついていた。隠すことが無意味と算じて、カイルははっきりと言った。
「そうかい」
老婆が言った。眉根が寄せられて、瞳に陰が帯びた。
「それは残念なことだね」
言葉を噛み選んでいるかのような、じっくりとした言いようだった。
「ええ。とても残念です」
「それで、犯人は見つかったのかい」
「いえ。未だ捜査中となります」
「なるほど。それで、アタリづけに、足跡を廻っているのかい」
「まあ、そうなります」
必要以上に深入りはしない、また深入りを許さない。カイルは空になったグラスを女に前に出した。女は返事もなく、エールを注ぎ入れた。カイルはグラスに手をかけながらも、老婆の表情を伺いながら、次の言葉を探した。
ジャン・ノートについても、一通りの探りは入れてみた。しかし、彼女の口からは、無口の暗い青年との感想のほかに、益のあるような情報は引き出せなかった。
――それもそうか。
グラスに口を着けながら、思考を巡らす。ジャンはあくまで守護士である。ランベールの傍らに常に控えて、危険を感じては対処のために動く。任されている仕事はそれだけである。教司の補佐として、教会周りの掃除や、製薬の手伝いやらは、守護士の心持に左右される。黙して教司の背後に控えているだけで、すでに役目は果たしていることになるのである。そして、教司が生きて勤めを続けられれば、それがすなわち守護士の任務となる。
「彼はどうしたの?」
「自分で自分の首を刎ねて、死にました」
カイルは淡と答えた。老婆は目を開いて、身を引かせて驚いていた。
もう一杯のエールを飲み干してから、代金を支払う。頭が揺れているような覚えがあった。カイルは外へと足を向けた。
すっかり夜が更けて、辺りは暗くなっていた。ポツポツと点る街灯を頼りにふらつく歩を進めさせた。
引き続き、マーク・トンプソンの情報もかき集めているのだが、ここにきて収穫はぷつりと絶えていた。アストラへの入国と出国の記録は確認していたのだが、それ以上の情報がどうにもあやふやのままで、足取りがつかめていない。
しかしながら、カイルが馬に乗って歩く限り、ある種の納得があった。ドライゼの際と同じく、どこぞの人足現場に入って日銭を稼ぎながら、適当にふらふらとして暮らしている。この国の者たちは、たとえエンフィールドから来た若者とはいえども、定職もなく、帰属意識も薄そうな男の行き先など、興味を持っていない。トンプソンは何も言わずにふらりと去っていて、たとえ告げていたとしても、聞いたものが忘れてしまっているのだ。カイルはそう推察した。
ドライゼの大怪我以来、トンプソンは頻繁に教会に訪れているのは判明している。薬を処方してもらうためである。何の薬を処方されていたかは不明だが、それ以外には考え難い。しかしながら、このアストラの各町に設けられている教会、一軒一軒を訪ねて廻るとなると、何年かかるのだろうか。さすがにそこまで時間をかけていられない。
潮風が微温く心地よかった。頬を撫でるさまが、エンフィールドの港町で買った女の手の甲を思い出させた。甘い声でコロコロと笑い、カイルの冗談に可憐につきあった。柔らかな肌を指先でなぞりまさぐれば、女は声とともに漏れるしどけない息を漏らした。カイルはその吐息を嗅いで、首筋に浮かんでいた玉のような汗を舐めとる。その時だけは仕事も何もかも忘れて、カイルは買った女を抱いていた。遊びと商売の関係とはいえ、このまま何時間でもやわらかな身体を抱きしめていたかった。ユーリから定期的に送金を受けているが、余計な散財は許されない程度には縛られていた。
――成功すれば、部署異動。
鼻にへばりつくような汚い息が出てきた。
――そもそも成功って、なんだよ。
ユーリに依頼を受けてから、一年以上が経過している。エンフィールドに戻れば、彼からの指示の封書が届いているだろう。
――いったい、いつまで続くのだろうか。
脚が止まった。街灯のゆらめく炎を受けて、黒い影が伸びていた。
――犯人なんて、いるのだろうか。
ユーリはランベール教司の遺体を見ていない。ジャンの切り離された首も、その傍に転がっていた保安駐在所の職員の死体も。そもそもベルグラーヴに立ち入ったことすらない。情報共有で送られてくるユーリの報告書から想像するしかない。
壁によりかかる。視界がぐらぐらと回っているようなで、脚が覚束なくなってきた。腹の底から、饐えたような臭いが込み上がってくる。
――飲み過ぎたか。
深呼吸を繰り返して、海の方へと足を向けた。さざ波が響く中、海面に頭をつけて、潮水を喉に入れる。
途端に、焼き付くような胃液が喉元を駆けあがってきた。カイルは勢いに任せて、何度も吐き戻した。
――いつものことだ。
この感覚には慣れがあった。吐き戻すことに快楽を覚えるほど、何度も繰り返している。酒を入れているときは、特にそうだった。
適当に腰を下ろして、呼吸を整えながら落ち着くのを待つ。
――そんなことをしているから。お前はこんなところに居るんだ。
耳奥に声が響く。カイルは聞かなかったことにした。小さな波音が響く暗い海を見た。黒いに染まった空にはポツポツと豆粒のように光る星々が散らばっている。
ふと、背筋に汗が流れた。冷たい汗だった。冬でもこれほど背筋が伸びるような汗は流れない。カイルは瞳を閉じて、耳を澄ませた。潮騒のほかに、音は聞こえてこないか。早打ちする心臓にとどくよう、大きく深い呼吸を繰り返す。
――気配は二つ。
徐に懐に手を伸ばした。ユーリに渡された銃を忍ばせていた。弾丸は一発のみ。装填は未だされていない。
エンフィールドから辺境まで来たことで睨まれている。果たしてそれだけだろうか。目は点けられているが、攻撃してくるような気配までは感じ取れなかった。
――疚しいことをしているワケではないのだから。
ふらふらと頭をゆらしながら、カイルは立ち上がった。もう一度、腹いっぱいになるほど潮水を飲み込んで、胃液とともに吐き戻した。身体の中に澱みとして溜まっているものまでが、口から吐き流れていく。そんな感じが心地よい。
戦争していたのは百年近くも前の話である。ドライゼを交えた三すくみのような状況が長く続き、結局は漁夫の利のような形でエンフィールドが勝ち、領地を得た。ベルグラーヴはその一角であると、カイルは習っている。そのため、エンフィールドの旅人はあまり歓迎されないと囁かれている。
カネ目当てならば、もうすでに襲っている。殺して口封じも、楽に適う。それでも彼らは襲い掛かってこない。
頭が痛む中、気を振り絞り、瞳を尖らせて、神経を張る。
酔いの中でも、襲われることはあり得ないとの確信があった。相手がカイルの面前に現れることもないだろう。おぼつかない足取りながらも、宿へと戻っていく。途中、外壁に身を預けて立ち止まり、いくどか息を整えなおした。それでもつつがなく、宿にたどり着き、二階の抑えた部屋まで歩き切り、ベッドに倒れこんだ。そのままカイルは無防備に眠りについた。
翌朝、頭痛が酷かった。ひりつくほど乾いた喉に水を流し込み潤していく。椅子に体重を預けて、ゆっくりと過ごす。カウンター向こうに控えている老婆から、薬を促されたが、カイルは固辞ていた。どうせこれから教会に赴くのだから、そこで処方して貰う予定を組んでいた。そもそも、他人からこうやって渡される薬は、何のための何の薬か、不明点が多く、手を出すのがはばかれる。
身体が落ち着いてから、改めて外に出た。暦の上では春はまだ浅いはずだった。しかし、この漁村では、高くに昇った陽が、眼を焼かんとするほど照っている。カイルは掌でひさしをつくりながら、小高い丘に設けられた教会へと向かっていった。
起きてすぐに、室内を見回った。荒らされていないかを検めるためである。打たれるような痛みが響く頭を堪えながらカバンを逆さまにした。
もとより荷物は軽くしている。そして、メモ帳は上着の内ポケットにしまっていた。盗られるようなものはない。そして、荒らされてもいないと判断した。ただ昨晩、自身の後を着けられていた事実だけを、しっかりと胸に控えた。そして、ユーリに渡された小さな拳銃を握り、弾丸をポケットに忍ばせておいた。危険度は高くない。仮にも国の総務局の肩書がある。無造作に関与すれば、国絡みの面倒ごとにまで発展する。しかし同時に、迂闊な行動は自らを苦しめる。その緊張感が酔い覚ましになった。
荷物を詰め込んだカバンを片手に提げて、重たい脚をどうにか動かして、丘を登っていく。町の目抜き通りに出ても人かげはまばらであった。海に出ているか、白い漆喰建ての住まいで過ごしているかしているのだろうか。時折、半裸姿の男がだらだらとバケツを持って歩いている姿を見かけた。市の売れ余った雑魚を譲ってもらったのだろう。解れた裾を引きずるように歩き、口は半開きで、低い唸り声をあげている彼の姿から、カイルはなんとなく町の様を想像していた。
抜けるような青さが広がる空を輝く太陽。額から汗が滲み、頬をつたって流れていく。カイルは手の甲で噴き出した汗を拭い、舌をだして、カラカラの喉をごまかした。
正午の鐘が鳴った。ちょうど、丘を登り切り、教会の門前に立った際だった。軽やかな音色で、すぐにでも海の波に溶けてしまいそうな響きだった。
小さな教会だった。白亜の造りながら、近くに寄ってみてみれば、海風に晒されて、削られているよう。
カイルが門を敲く。しばらくすると、坊主頭の男が、教会の裏から現れた。
「いかがいたしましたか」
彼の背後には、剣を佩いた男が控えている。
カイルは名乗り、単刀直入に用事を伝えた。殺されたランベール教司の足跡を訪ねて、ここに来た、と。
坊主頭の男の視線が鋭くなった。じっとカイルの顔を睨んでから、「こちらへ」と低く隠すような声で言い、教会の裏口を案内した。カイルは固唾を飲んで、彼の後ろを着いていった。
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