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5-3 -アディ-

褐色の戦士アディからの視点。ここにきて全く違う風を小説に吹き込みました。

だって描きたかったんだもん!

 足場が崩れたのは、昼休憩が明けて、仕事への集中力が戻ってきた頃だった。アディはその時、補修中の砦の一角、見晴らしの良い塔に入り、未だ頂に白い雪をいただく山脈を眺めていた。


 陽は春らしくうらうらとしていた。のんびりと昼飯の時間をとってから、そよそよと吹く風に任せて、横になって休憩時間を過ごす。まどろみの中で、午前中の疲れを癒すのが、アディの常であった。


 確かに違和感があった。最上段の踏み板に足を置いた際の、その力の抜け方に、歪みを覚えていた。しかしそれは、余りにも微々たる違いであり、思い違いの可能性が脳裏をよぎった途端に、塵のように掻き消えていった違和感でもあった。アディはそのままスルスルとましらのように進み行き、砦の屋根の上に立った。砦の補修作業が進められているが、アディにはフェリルから任された使命があった。


 呻き声が聞こえる。未だに、埃が立っている。そして、怒声が響いた。


「ロベルトは教会に行って、教司様と薬を持ってこい。ホセは保安駐在所だ。ナイアルは、カーライル様のところへ報告。直ぐ行け。全力で行ってこい」


 スミスソンが叫んでいた。大理石の柱で囲まれたホールの中での反響はすさまじく、耳を刺すようだった。


 すでに数名が崩落した足場の片付けに入っている。救命のために駆け寄っていた者たちは、そのまま呻く怪我人たちを看ている。辛うじて残っていた足場や、修復の終わった砦の会談を使って、現場に降りたアディも、そのまま崩れた足場へと近寄っていった。


 実包でも詰めて売られていそうな大きさしかない薬箱では、消毒液も傷止め、痛み止めも足りはしないだろう。だからといって、治療の心得について何もわきまえていないアディがこの場にうろうろするのは、足手まといのほかにならないのは、すぐに判った。それならば、現場を整理するため、一本でも多く丸太を持った方が役になる。


 幾重にも重なった呻き声が続いている。怒号と悲鳴も聞こえてきた。応急処置を施す者、施される者、喉がひりつくような声を上げて、手を進め、痛みを堪え、戦っている。


 血を流している者が見えた。腕や足があらぬ方向に折れている者もいるようだ。しかし、死者は出ていないように見受けられた。また、これからの手当て次第だが、死者となりそうな者も居ないように、アディは現場の雰囲気から感じられた。足場の上での作業者が少なかったことが幸いした。


 馬の嘶きが消えた。ドカドカと重い馬蹄を残して、三頭の馬が駆けて行った。背にはそれぞれに男を乗せていた。


 幾重にも重なるように倒れた柱に、踏み板が積み重なっている。ほとんどが曲がり折れ、欠損しているようだ。再利用するにも、手間と時間がかかりそうだ。


「アディ。そっちを持ってくれ」

「判った」


 崩落で積み重なった木材の上に立ち、二人一組を作り、順番に崩し均していく。こういった単純な力作業こそが、アディには大事な仕事だった。


 今までは蛮刀と猟銃を持って、駆けていればよかった。


――勇敢なる戦士は、戦いの中で高みに昇り行き、いずれ虹の橋を渡って、美しき国の扉を拝むことができる。扉の向こうには楽園が広がっている。


 アディは幼き頃より、父から、母から、祖父から、叔父から、いやだれからもそう聞き教わっていた。海の上で、森の中で、戦いの匂いを嗅ぎつけては、銃を放ち、蛮刀を振るった。落とした首を誉とし、顔に墨を入れた。衣食住はもちろん、家に買っても有り余るほどのカネがカーライル商会から出た。


 ラウレルやマウリアからザイカ、もしくはワホウへの船出には海賊の脅威に常にさらされる。また、マウリアには、カーライル家に反発する部族がまだ多くいた。他国の貿易商が、妨害のために賊を寄越すこともある。それを狩るのがアディたちに任されていた仕事である。


 猿のようにメインマストに登りいき、青い海と青い空に挟まれた世界を見回して索敵をおこなう。綱一本でつながれた敵船へ、足の指でその綱を捕まえながら進み、乗り込んでいったこともあった。あるいは、匂のみを頼りに森を進みゆき、時には樹に登り、木の枝を渡って、敵陣へ駆け込んだ。


 アディは肌がヒリヒリと震えるような戦場が好きだった。十二の時から、父に連れられて、その場に身を置いた。そして顔に刺青を入れて男となった。以後、最前線で暴れ回っていた。それでカネが入った。十分な人生を感じていた。


 ベルグラーヴに流れることになる。――それも一興だと思っていた。妹のルオがベルグラーヴに行きたいと手を挙げて、カーライル家の本家本領を覗いてみたいという野心を抱いていた父がそれに応じた。兄であるアディがお目付け役として付いていくことが条件だった。


 大工仕事も鳶仕事も、アディはこれまで経験したことはない。精悍に整った身体つきから、柱や石積みの力仕事か、現場の整理整頓の掃き仕事が主だった業務となる。木々の伐採についても任される予定となっているが、ベルグラーヴに着いたのが晩秋であったため、その役どころは未だ任されていない。


 木材や石材の加工についても、大雑把な切断はできても、精緻な削りや彫りはできなかった。片足を戦で失っているアンワルが、集中して取り組んでいた。今日も、梁となる石に花や人の顔を刻み込んでいる。左官仕事はホセが率先して覚え、今も足場に立って、壁を向かっている。


 しかしそれ以上に重要なのが、砦の最上段にあった。天井に登り、遥かに広がる森を観察することにある。これがフェリルから任された仕事であった。


 港町ランスに降りた際に、挨拶を交わしている。アディから見れば、フェリルは単なる小柄な少女であった。それこそ、妹のルオとさして変わらないぐらいの。しかしながら、眦の鋭さに不敵な匂があった。アディはフェリルの、そこが気に入っていた。さすがはカーライル家の一族だと、僅かに唇を歪めて笑んでいる自身を発見した。彼女の兄に仕えていた。父も、その年若の男の指示に従って戦いに算じていた。華奢で非力な身体をしている男であるが、会話やその仕事ぶりには快然とした爽やかさがあり、惹かれるものがあった。静かなる時は凪の海のごとくであり、一転、攻めに回れば、すべてを焼き尽くさんばかりの苛烈さをみせる。自らが銃剣を振るい、先頭に立つ姿をしばしば見かけた。良い男だなと感心した。彼のすらりと伸びた鼻頭に墨を入れたいぐらいだった。


――いずれ、頼みたいことがある。よろしく頼むな。


 挨拶の際に、フェリルからそう告げられていた。連れていかれたのは、カーライル家の屋敷ではなく、崩落の砦であり、その補修作業の人足を泊める宿を建てる現場であった。妹のルオはカーライルの屋敷に入った。エプロンドレスの、裾に苦戦しながら、仕事を、こちらの言葉や算数を学んでいると、レヴィンから聞いている。膝がしらが隠れるような衣類を着た試しのない彼女である。浅黒い肌を隠すようなエプロンドレス姿の妹を想像して、微笑していた。


 雪が降りだした頃に、フェリルが補修作業の現場に訪れて、直々にアディへ依頼した。手首まで袖の伸びた服を着て、両手を布で覆い、首元すら毛糸で編んだマフラーを巻いて隠している。これをするとしないのとでは、寒さの体感が違っていた。


 雪ならば見たことがあった。雲より高い霊峰の頂はいつも白かった。あれが雪であるとアディは祖父より教わっていた。一族に置いて霊峰に登ることは厳禁であり、それはカーライル商会に携わる者の全てが従っていた。だからこそ、彼らとアディらは三代に渡る付き合いとなり、アディがベルグラーヴに移る契機につながった。父に促されて、妹のルオとともに船に乗った。


 夏季と冬季はあった。夏季は上半身を裸にして、自慢の刺青を見せびらかすのが島での夏の過ごし方であり、冬季は長い袖の上着で粛々と過ごす。そうして二十年を暮らしてきた。身体の芯が震えるほどの寒さを経験するのは、初めてだった。


 風の匂いが違う。乾いて頬が剃られる心地がした。森の匂いも違う。甘い土の匂いも、青い木々の匂いもしてこなかった。軽んじて引き受けたつもりは毛頭ない。しかし、砦の天井に立っては、奥歯を深く噛みこんで、眦を険しく尖らせていた。


 目下に広がるのは、一面の雪景色である。陽光の照り返しを受けて、眼を針で刺される心地がした。ぐるりと周囲を見渡しても、深い青色をした空か、鉛のように重たげに浮かぶ雲、そして降り積もる雪ぐらいである。


――どうだ? 何か見えるか。


 フェリルから度々そう尋ねられた。アディはその度に首を横に振って応えるしかできなかった。


 一度だけ森の中へと入ろうとした。ずっぽりと踏み抜ける雪は、膝がしらが隠れるほどの深さがあり、掻き分けるには酷く労を要した。アディはそれ以上に、音のなさに恐怖を覚えた。鳥の囀りも獣の吠えも、早木の絵の擦れ音も。風の音すらも聞こえてこない。


 すべてが白色の雪に吸い込まれていく。アディにはそう感じたられた。


――ここは白い地獄か。


 厳しく張り詰めた鉄線のような、硬質な沈黙に、身体が貫かれるような覚えがあった。アディはすぐに引き返して、旨をフェリルに報告している。彼女は、――そうか。一言頷くように吐いていた。


 日が長くなり、雪も溶けだしてきた。樹々の幹や枝ぶりも覗けるようになってきた。日が経つにつれて、葉が付きだしてきた。それでも、シンと乾いた匂いがしていた。アディは顔をしかめさせながら、睨むしかできないでいた。


 しかし先日のことである。一筋の煙が森の中から昇っていた。未明ではあったが、アディは砦の塔に昇り確認していた。空が陽光で白ばむ頃には消えていたが、青くゆらゆらと昇る煙の影が、アディの頭に強く染みついていた。


 アディは幼いころを思い出した。祖父の亡骸をくべて、葬した時である。老いによれた祖父の肌は赤々と焼かれてやがて灰になる。ゆらめく炎のとともに悠然を立ち昇る煙の色は、青く、それに溶けいくようで、アディには美しく映っていた。


 祖父も病で伏せるまでは、蛮刀を振るって戦いの中にいた。勇敢に戦っていたとアディの瞳には焼き付いている。


――虹を橋を渡り、楽園への扉を観ただろうか。そして潜れただろうか。


 アディには皆目見当がつかない。涙は流れなかった。空に祖父が解け消えていき、風に成って流れている。そう感じでいた。


 しばらく、砦の塔の中で、役目を忘れて呆然と青い煙を眺めていた。朝日の眩しさに、目を突かれるような痛みを覚えてから、ようやく塔から降りていった。


 当然、カーライル家にも報告を送っている。その時のフェリルの顔は判らない。アディが伝えられたのは、レヴィンだけだった。その日、フェリルはロシュへ赴き、ベルグラーヴとつなぐ駅馬車の計画を詰めていると聞いた。


 天にまで届くような高い山の方角。煙は一筋のみ。森の中は雪が解けているのだろうか。砦の塔に昇れば、海のような森が広がっている。風が吹けばさらさらと葉の擦れる音が聞こえてきそうだ。


 再び、馬蹄が響き聞こえてきた。赤ひげを蓄えたナイアルが先頭であった。その後ろに、レヴィンの姿があり、フェリルとルシアナが手綱を捌いて駆け込んできた。


「一番か」


 フェリルは先ずそう叫んだ。


「保安の連中も、リディアは未だだな」

「ええ、まあ」


 強い口調に圧されたようにローランドが応えていた。


「レヴィンは状況の整理と物資のリストアップだ。おい、そこの――」


 鋭い声がアディに刺さった。顔も合わせている、名乗りもしたが、彼女の口からは出てこなかった。


「私に現場を見せろ」


 ひらりと馬から飛び降りて、つかつかと寄ってくる。


――現場を見せろと言われても。


 今、アディが立っている処こそが、現場そのものである。


「私が説明いたします」


 助け舟のような形でスミスソンの声が響いた。


「頼むぞ。ルシアナは怪我人を看てやれ。リディアたちが来たら、報告ついでにこっちにこい」

「畏まりました」


 彼女らのやり取りをはた目でやりながら、瓦礫を片付けていく。――そこにふと、違和感を覚えて、手を止めた。


 足場の支柱としていた木材の折れ目である。断面が平らかである。それが一本だけではなかった。アディが見て取る限り、三、四本は確認できた。


「どうした?」

「いや、これって――」


 近くに寄ってきた白い肌の男に見せた。人の手に因るのモノだとは、さすがのアディでも判った。


――では、誰が切れ目を入れたのか。


 それが肝要となる。


 馬蹄が聞こえてきた。音の方へと顔を上げると、二頭が駆けていた。凝らして見やれば、ロベルトの姿があった。その後ろに着いているのは――二人の女性のようだ。それに応じるように、ルシアナがフェリルの方へと寄っていく。


「面倒なのが来たな。二人には怪我人を看させて、そこから離すな」

「畏まりました」

「保安の連中が来ても、しばらくはここに来させるな」


 フェリルの厳しい口調であった。そして、ローランドや、スミスソンらに指揮を出している。


 アディは瓦礫の積もった現場を離れた。ふらふらと吸われるように森の入口へと足を進めていた。


――この奥に敵が居る。


 確認とともに背中が疼いた。アディの唇は鋭角な笑みを刻んでいた。

お読みいただき、誠にありがとうございます。

ゆっくりとではありますが終盤に向けてのタネは仕掛けております。

引き続きご愛顧いただければ幸いです。


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何卒よろしくお願い致します!

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