5-1 -ユーリ-
馭者のマーレイを見送ると、ユーリは大きくため息を吐きだした。ガラガラと音を立てて馬車が進み行く。十人乗りのキャリッジと幌を張ったカーゴが二台を曳いていた。キャリッジには老若三人の厩務員が乗っており、カーゴにはザイカやワホウの飾り皿や沈香壺などが積載されていた。フェリルの注文通りの内容である。
――まったく、カーライルに雇われた覚えはないぞ。
せっかくだからついでに頼む、とお使いとしてフェリルから封筒を渡された。親指ほどの厚みに驚いている内に言いくるめられて、屋敷から出ていた。封筒の中身を確認できたのはロシュの宿に着いてからである。――やられた、と苦い笑いを頬に刻み、額を叩いた。後戻りをするには遅すぎる。反故にするわけにもいかず、屋敷に泊まった宿賃代わりと思い込んで、エンフィールドに戻った。
ベルグラーヴから離れて二カ月が経っていた。海を覆っていた鉛色の雲も、もう見当たらない。風には冷たさが残っているが、沈丁花の甘い香りが含まれているよう。ユーリは毛皮のコートをエンフィールドの自宅に置いたまま船に乗り、大陸に戻ってきていた。
リディアとクレアは教会の勤めに慣れを覚えていたようだった。二人がベルグラーヴに赴任して一か月間は様子見として、村に残っていた。今にして思い返せば、カーライルの屋敷に寝泊まりをしていたことが間違えだったのかもしれないと、ユーリは首裏を爪で掻いた。
リディアもクレアも根が真面目である。それも“大”をつけるほどのマジメさである。付け加えて、ユーリが送り込んだ守護士見習いのハンネスも、ロシュでの訓練研修を経て、硬い真面目さを持っていた。
カーライル邸で目を覚まして、無造作な身支度だけして、教会へと赴いてみると、すでに三人は勤めごとをしている最中であった。ハンネスが教会の門扉の近くで睨みを聞かせながら掃除をしており、リディアとクレアは神像の前に跪いて祈りを捧げているのが、おおよそであった。祈りの時間が終わると今度はクレアが教会の廻りを歩き、ハンネスが鐘楼に上り鐘を打って正午を響かせるのである。その間、リディアは祭壇の供物を下げていく。そして昼の準備を始める。
三人の間で雑談は一切ない。何かを語らうこともなく、ひたすらに黙々と己が己の職務を全うしていく。マッシュポテトに果物を煮詰めて作ったソースをかけただけの昼食をユーリを加えた四人で摂ると、昼の勤めに入る。ハンネスはまたも教会の外に出る。習得した徒手の型であるのか、舞踊のように拳を突き出すなり、脚を高らかに上げるなりして、稽古をしている。クレアはリディアの側に控えて常に周囲に気を払い、リディアは経典の論文を書くなり、村人の診察と薬の処方をして過ごす。日が落ちる頃合いになれば、ハンネスは鐘楼で鐘を鳴らして、一日の終わりを村中に告げるのである。
このローテーションが落ち着くのに三日もいらなかったようにユーリは感じられた。決め事をしている風景も見覚えがない。炒った大豆と固いパンやら味気のないビスケットなりを黙して食する。ぼうと灯った燭台で祈りを捧げて就寝につく。教会の中は、雪降る村中よりも静かであった。だからこそむしろ不安を覚えていた。
その上、ベルグラーヴの領主であるフェリルとの挨拶の一件もある。尊大な態度であったフェイルに過失があるとは言えども、リディアは刺すような視線を送り、クレアから教会からの退去を言い渡した。カーライル家からの多額の寄付金が支えとなって教会が復興したのは事実であったが、それにふんぞり返り過ぎたのだ。クレアの怒りは夜まで続き、ユーリにまで刺々しい視線を向けてくるほどであった。
屋敷に戻れば、さすがのフェリルも深い反省を示し、許しと和解を思案していた。ただ、教会側は氷壁のように閉じていた。ユーリがハンネスに口添えを試みても、――リディア様は未だその気はないとの仰っております、と返すだけであり、取り付くシマもない。さすがに診療と薬の処方は行うようだが、リディアとフェリルの会談の機会もユーリがベルグラーヴに滞在していた期間には設けられなかった。
――どうしてそんなに堅いのかな。
そもそもリディアは異例中の異例の存在である。試験は極めて優良な成績で合格したと聞いているが、研修期間なしで教会の教司を勤めさせるのは破格である。カーライル邸からの寄付と口利きが相当に効いたのだろう。
真面目さからか勤めごとは丁寧に滞りなくこなしている。診療や薬の処方についても、間違えないのだろう。診察を受けた村民から取り立てて、不平不満は出ていないようにユーリには感じられた。安堵できるようになったのは、半月ばかり過ぎてからだった。――本日も特に何し。教会を後にする時、息を大きく吐き出すとともに、身体が軽くなった心地がした。
教会最寄りの村民の手伝いもあってか、過不足なく順調に営みを続けていくようであった。ハンネスに様子をうかがうも、大丈夫ですとだけ答え、クレアはありがとうございます、結構ですと距離をとるような答えばかり返してくる。
――まあ、なんとなるだろう。
そう見切りをつけてエンフィールドに戻ることにした。そこにフェリルがつけこんできたのである。
自宅に戻れるとの微かな喜びはあった。しかし、実際に戻ると、一服できるような余裕はなかった。総務局の自身の机上には書類が積まれてあった。自身が公開を要求した文章や陳情文書の返しである。自宅に戻っても、フェリルからの依頼の整理と、文書をまとめ上げなければならない。
――ロシュとベルグラーヴ間の道路の拡張工事の補助金申請に電報用の通信柱設置申請。
申請書はカーライルの屋敷で記載されている。筆跡から、メリルが書き上げて、フェリルが認印を記したのが判る。ただそこに、現場を見知る巡視官の検地見解を具体的に記さなければならない。
――メンドウなことを押し付けられなモノだ。
苛立ちの余りにボサボサの髪をぐしゃぐしゃと引っ掻き回しながら、記載を進めていく。怒りを覚えながらも、確実に自身の仕事の軽減にもつながってくる事業のため、無碍にもできない。煙草を燻らしながら、フェリルの文書のチェックとともに、申請書類を決裁議案用の形式を整えていく。
――メンデス家の惰性で、出費と苦労が嵩むな。
エンフィールド郊外のカーライル本邸で、アダムと会談した際、お茶を啜りながら、彼がそう吐き捨てたのを思い出した。
――ウチに入ってくるカネで賄えるだけは賄うつもりだ。会社の――社員の給与にまで手を入れだした時、我々の敗北が決まる。それまでは、何でもするつもりだ。
アダムの言葉に頑なな意思を感じた。ユーリはその意思に圧されてしまっていた。
――なに、マウリア、ラウレルで、カネは幾らでも錬金できる。
――あまり無茶しないでくださいよ。
国の総務局として、そう牽制するのが精いっぱいだった。今でこそ、隠居を決め込んだ白髪の好々爺然としているアダムであるが、数十年前では、交易の拠点を確立させるため、武装した商船を率いて、ザイカの海を荒らしていたと噂されている。他国の交易を厳しく制限している筈のワホウとのパイプを作ったのも、ラウレルの住人を手懐けて、武器を与える。暴力をちらつかせながらの武装商戦と暴飲な交渉術の賜物とされている。諍いが起こった際には、現地の者が勝手にやったことといい、交渉が締結したのは、弊社の社員一同の成果であると喧伝するのである。
――無能で怠惰な貴族から、領土差配の権利を奪う絶好の機会。
アダム・カーライルはしばしばそのような発言をする。
――才ある者を取り立てて、采配しない限り、これから先、エンフィールドに明るい未来はない。
このようにもきっぱりと言い放つ。それはカーライル家の本懐でもあるようにユーリには聞こえた。カネと実行力を元に、議会にまで影響力を及ぼし、ようやく領土を受けた。易々と手放すようなことはしないだろう。
――申し訳ないが、君には働いてもらうことなる。何卒よろしく頼むぞ。
アダムはそう言って深く頭を下げられる。そして、ユーリの手に小切手を握らせる。返却させるような隙を与えずに、屋敷の外へと送り出す。
受け取った限りは責任が生じると、仕事に取り組む。睡眠時間を削りまでして、精度のある内容へと、少しでも多くの補助金が支給されるようにと文書を整えていく。
気がつけば買いだめしていた煙草を切らしていた。教会にいけば、眠気覚ましの薬や向精神薬を処方されるのだが、ユーリはそれを良しとしなかった。それは物は試しと一度だけ服薬し、効果が切れた途端に襲われるぐったりとした倦怠感に、辟易としていたからである。――薬を切らさなければいい、と言っていた同僚もいたが、ここ十年の間で顔を合わせていない。沙汰も聞かない。
決裁文書としてまとめ上げた頃、カーライル邸からも連絡が入り、ベルグラーヴへ送る品目の整理が着いたとの旨だった。
総務局の机上の書類についても片付けて、ベルグラーヴへ巡視へ赴く準備を進めていく。カイルからの報告書も目を通し、大聖堂へ公開を求めた文書の返答にも確認する。――大聖堂内での閲覧の許可とあったので、至急、カイルへ向かうよう返信の文書を書き上げる。エンフィールドから隣国アトラスへの電報は打てないが、最寄りの港町へならできる。トンプソンの行方や、教会を襲撃した犯人たちを突き止めるのに、一年以上が経過した今となっても、何の成果も出てきていない。苛立ちはあるが、もはや諦めすら覚えていた。
――とは、このまま放置していても、また同じ事件が起こっては堪らない。
トンプソンの素性とともに、ランベール教司や守護士だったジャン・ノートについての調査を深めさせていった。ユーリが大聖堂に送った文書も、ランベール教司が大聖堂に提出したレポートの内容について検めたい旨である。
――時間をかけてでも、探り続けるしかないんだよなぁ。
総務局の自身の上司からは、迷宮入りだとの臭し言葉を貰っていた。打ち切りとして、カイルを総務局に戻す動きがあるとも囁かれている。
――そうなったら、俺が歩き廻るのか。
ユーリには是が非でも避けるべき事態である。想像しただけでげんなりと、心に労を覚えさせる。
――餌を撒いて誘き寄せるのが一番。そう思わないか。
以前、フェリルはそう言っていた。しかしユーリには、その撒き餌となる物が具体的に見えなかった。
アダムの指示に従い、指定された場所に向かうと、馬車が留まっていた。馭者と調教師が乗っていた。ロシュからベルグラーヴまでの輸送の強化のために、駅馬車の施策を始める、とはフェリルから確かに聞いていた。実際にここまで用意するとは想像していなかった。
資料では停所も記されている。ロシュは羅城の門扉のほど近くの空区画。すでにカーライル家の所有として確保している。ベルグラーヴ側は、トンプソンの家宅があった場所と定めている。保安駐在所に建設許可の申請書を送っているとまでユーリは聞いている。
――積極は如何に努めても猶、神の線より遠し。
自身が傾倒している遥か東方の書物の語を引用して、にやりを笑うフェリルの顔が脳裏をよぎっていった。金塊を握らされた以上、彼女らの求める速度に並ばなければならない。最低でも、並ぼうとする努力の姿勢を二人に見せなければならない。
決裁文書を総務局に提出した後で良かったと、早速とため息が出ていた。
マーレイらとともに船に乗り、港町ランスを着いた。馬を連れての乗船は初めてだった。四頭の馬を連れていたのはキャリッジと幌を曳かせるためではなく、調教師が雄雌二頭ずつをベルグラーヴに連れていきたかったためでもあった。彼らはこれからロシュを経由して、ベルグラーヴのカーライル邸へと目指す。おおよそ五泊六日の行程となるが、ユーリが教えるまでもなく、行程表を整然とまとめ上げていた。
ランスの駅へと向かい、局留の郵便物と電報を確認する。カイルからの分厚い報告書とアストラを出て、シノン修道院に向かうとの電報を受け取った。また、フェリルからすぐ戻れとの電報も届いていた。
――今度は何ですか、お嬢様。
きまり悪く顔をゆがめながら、ユーリは電報を受け取った。列車を使えばベルグラーヴまでは二泊三日で戻れる。切符の発見所へと向かっていく。
その最中に、見覚えのある顔を見かけた。丸い輪郭にキツネ目。白く固い制服で、腹周りがでっぷりと突き出している姿。ベルグラーヴの教会で見かけた督郵であった。
「お疲れ様です」
ベルグラーヴで挨拶を交わしている。見かけた以上、無視するわけにもいくまいとユーリは話しかけた。督郵の男は細いキツネ目をさらに細めさせてユーリの顔を覗くように見つめてから、「あぁ、レイフィールド巡視官でしたか」とため息でも吐き出すように返事をした。僅かながらも頬が引きつく心地があった。
「これから巡回ですか。ご苦労様です」
「そうですね」とふんと鼻息を荒く吹いてから「ベルグラーヴにも寄りますので。フェリルから注文を受けまして」
「そうでしたか。それではベルグラーヴでお会いできれば……。何卒よろしくお願いいたしますね」
挨拶も愛想もなく、督郵の男は駅から立ち去っていった。彼はこの後、教会が用意している馬車で各地を回るのだろう。
――全く、めんどくせえヤツばっかりだ。
重い嘆息を吐き出して、ユーリは踵を返して、ロシュ行きの列車へと向かっていった。
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