3-3 -クレア-
ようやく主要登場人物の全員がベルグラーヴに到着。
フェリルとリディアの二本柱に周囲にユーリ、ハンネスらが立つ。
そういう形の相関図をイメージしていたん……ですけどね……。
クレアには先ずユーリという男が信用できなかった。半眼の眼差しで、この小汚い男を睨みつけて、様子を窺い続けた。毛皮のベストを羽織り、ぼさぼさの髪。皺だらけの服装のまま、修道院に現れた。エンフィールドの総務局に勤める役人と聞いていたのだが、常識はずれとの印象をクレアは抱いた。
ユーリはばつが悪そうに眉を寄せていた。そして、クレアには視線を合わせようとせずに、無精に生やした頬の髭を掻きまわしては、常に明後日の方向へ顔を向けていた。クレアは苛立ちに任せて、肩口で切り揃えた亜麻色の髪を掻きまわしては、眼差しを尖らせた。
「私一人で大丈夫です。リディア様はお守りいたします」
「まぁ、そこをなんとか」
澱みのある言い方でユーリは答えた。修道院長もユーリの言葉を撥ねようとはしなかった。クレアの眼は時間とともに厳しさを帯びていった。
「なにぶん、ランベール教司が殺害されていますから。こちらも守りは固めておきたいのですよ」
「だからと言って、守護士を増やすのは、聞いたことがありません。ベルグラーヴの警邏隊や保安員を増やすなど方法はありますでしょう」
――貴方はまだ若い。それに守護士として誰かに着くのは初めてだろう。
納得がいかなかった。修道院でユーリの到着を待っている際も、修道院長から、堪えなさい、感情を抑えなさい、との注意をクレアは受けていた。その度に畏まりましたと、自分でもやっと聞こえる声で返事をしていた。実際に、薄汚れた金髪をしたユーリの姿を見ると、感情がこぼれてきていた。
リディアの守護士に任命を受けた。それは誉であった。しかしながら、守護士見習いが自分の下に着くことも同時に告げられた。それも男と聞く。その男は、シノン修道院へは来なかった。未だロシュの軍での基礎訓練に励んでいるそうだ。――只の足手まといではないかと、クレアはそれを聞いてすぐに拒んだ。その上、その男はユーリが教会で拾ってきた少年と聞いている。
「幾らおカネを積んだのか知りませんけれども、勝手が過ぎるのではないでしょうか」
またリディアが教司として選ばれたのも、ユーグ大聖堂へ多額の献金をしたからだと耳にしていた。その見返りとして、ベルグラーヴの新領主が彼女を指名したとの旨である。
「クレアさん。これはもう決められたことなのです。大司教様からの決裁印をでているのです」
――今から覆すことは不可能である。
これ以上の抗いはむしろ自身の首を絞めるとして、クレアはグッとあふれ出る言葉を噛み殺すよう、口を噤んだ。隣に座るリディアは一言も発さず、表情も変えず、人形のように座り続けていた。左の目じりにある小さなほくろとやや垂れ下がった眼から、クレアは柳の枝のように覚えた。
出発は明日の早朝となることを確認してから、修道院に戻った。ユーリの存在も不安であったが、クレアには守護の対象となるリディアのことも、堪らなく不安を誘った。傍らをひっそりと歩く姿は、山の寒風に吹き飛ばされてしまうようなやわさを覚えた。
果たして翌朝、馬は三頭用意されていたのだが、リディアが手綱を引いても、鐙で馬尻を蹴っても、その力の弱さのためか、馬は動じなかった。
そのため、彼女はクレアの前に乗ることをなった。荷物はまとめてユーリの馬に預けられ、クレアはリディアを背後から抱くような形で手綱を握った。修道服の上に黒いロングコートを着込む。小さく華奢な身体が、更に細く見えた。
「よろしくお願いいたします」と上目遣いで白い頬を赤らめながら、囁くようにそう言った。冷たい風が吹いているというのに、頬が熱くなっていくのが判った。「任せて」とクレアは答えながらも、調子外れな声が出ていた。
小さく身体を窄めるようにしているリディアを時に腕を回して、抱き締め上げるような姿勢になる時もあった。軽く細く、余計な力を加えてしまえば折れてしまいそうな彼女の身体をしていた。
――これからは彼女に仕え、彼女のために命を捧げる。
その言葉を唱えて、深呼吸をする。冷静さが肝要であると、胸の内に言い聞かせた。
ベルグラーヴまではひたすら遠かった。馬で三日間歩いて山を越え、そこからさらに列車に乗る必要があった。一等車の指定された座席に腰かけた。リディアは窓際に、その隣にクレアが座った。ユーリは一つ後ろの座席となっていた。
列車には数度ほど乗ったことがある。クレアは落ち着いて席に腰かけて、到着を待った。しかしながらリディアは初めてのようで、書を開き視線を降ろしていたのも僅かな間で、窓の外に流れる風景へと面上げて、眺めていた。黒いベールに頭髪を覆われながらも、端正な顔立ちに、窓越し広がる村や田園の景へと向ける輝く瞳は、見受けられた。
ロシュにたどり着くまで十日を要した。途中、休息日を設けながらの移動であったため、どうしても時間がかかった。クレアやユーリなら夜中での移動でも耐えられるのだが、リディアはそうにもいかない。頭を押さえふらふらと足取りがおぼつかない時すらもあった。クレアはそっとリディアの手を取り、身を寄せて歩く介添えをした。
――私は大丈夫ですから。と強情を張るのだが、無理はさせられないと宿で泊まり、その町から動かない日もあった。――申し訳ありませんと、俯き頭を下げるリディアの姿があった。――いや、自分が疲れているのだから休みを入れただけだ、とユーリはそう答えていた。また休む先の教会では、ささやかながら歓迎と労い言葉をいただいていた。教師としての勤めについて、実際に現場の声を直接聞ける良い機会にもなっていた。
クレアは黙したまま、この白い小鳥のような少女の側に居続けていた。寝食をともにし、内外に関わらず、彼女の傍らに控え、盾となって彼女を護る。それがクレアの職務であった。
ロシュではユーリが一人の少年を連れて、宿の部屋に来た。精悍ながらも、やや頬をこけさせた面立ちをしている。ユーリよりも一回りほど背は低く、身体つきは細くも、硬質さは感じられる。
――彼がハンネスか。
本島の北外れにある港町の出身ときいている。握手のために差し出された手は灰色じみた色をしていた。大陸育ちのクレアには見慣れない存在であった。
「よろしくお願いいたします」
ハンネスは掠れた声をしていた。手を握れば、雪のように冷たい肌触りをしていた。眼差しも鋭く刃物を想起させる。
――なるほど、彼女の護衛としては良いかもしれない。
そう思いながらも、クレアは心を構え直して、ハンネスと相対していた。彼からも背筋がヒリヒリするような気迫があった。
――時には彼からも護らなければならない。
神経ばかりが擦り減らされていく心地であった。
食事の際は共にすることになったが、就寝については別の部屋となっていた。
「いよいよ明日からはベルグラーヴですね」
ベッドの上で横になっていたリディアに向けて声をかける。金色の長い髪を一つに束ねて、布団を深く被っているが、眠りについていたのは察していた。クレアは、彼女が常に視界に入るよう教会の宿泊部屋に設けられている椅子に腰を掛けていた。このまま目を瞑って、深く寝入らないよう過ごす。気配を感じてはすぐにでも動けるよう構えていなければならない。ランベール教司の死に際しては、守護士であり、リディアの実兄――ジャン・ノートは自ら頸を斬って憤死している。そういう役目である。
「少しでも村の方々の、お役に立てれば。それが幸いです」
リディアは教司としてのお決まりの言葉をおっとりと口にする。
「特に、悲惨なことがあった、その後を継ぐのですから――猶のこと、です」
細く小さな声だった。言葉一つ一つを確かめるように発しているようだった。ランベール教司の守護士だった実兄が、この事件で亡くなっていると聞いている。クレアは彼女の言葉に確かな芯が感じられた。
ロシュからベルグラーヴまでは馬で進んでいくこととなった。再びリディアを前に乗せて、クレアが手綱を握った。ユーリが先頭を進み、しんがりはハンネスが着いた。走ることはなく、雪の積もる道を黙々と進んでいった。
見渡す限り積雪の白一色である。空は青さばかりであり、そこに刺すような明るさの陽があった。遠くを見やれば、高く聳える山があり、雪を被った木々が並ぶ森が広がっている。馬の嘶きと雪を踏みぬく馬蹄の音だけがしばらく響いた。
陽が南天高くに輝く頃に、ようやく民家が見えるようになってきた。人影が見えるようになったのは、保安駐在所などが設けられた村の中心部に入ってからである。
「先ずは教会に。村の挨拶周りは落ち着かれてからで」
「畏まりました」
先導するユーリの言葉に、リディアは頷き従った。
小高い丘を登りぬけて、橋を渡って川を超す。そうしてやっと教会が見えてきた。三階層のレンガ造り。立派な鐘楼塔の設けられた教会だった。近づくにつれて、鮮やかなステンドグラスの輝きが見えてきた。リディアは細い眼を広げてまでして見入っていた。
馬から降りて、門扉を開く。先ず広がるのは礼拝堂だった。深閑と広がり、ステンドガラスより射し込む光が、大奥の祭壇まで伸び、白色の女神像を照らしている。
「教司室や居住の場は2階の奥にある。しっかり見るのは、荷物が軽くなってからにしないか」
そう言って、ユーリは自身とリディアの荷物を下げたまま、礼拝堂の隅に設けられている階段を昇っていった。リディアとクレアは足を止めて礼拝堂の奥へと視線を向けていた。改めてユーリの後を追っていく。それからハンネスが着いてくる。彼がどこを見ていたのか、クレアには判らない。
窓際に木机が一つ、書籍が適当に積まれた棚が壁際に並び、後は白い布団と枕が据えられた寝台が設けられている。教司室として必要最低限の用意がされていた。
「ありがとうございます」
荷物を机の側に置いてもらい、リディアはユーリに深く頭を下げた。ユーリは手をひらひらと振って応えるのを流した。代わりに手帳を取り出した。
「これから一週間ばかりは、俺もベルグラーヴに滞在する。用事があっても、ロシュまでぐらいで、できる限り、教会に居るようにする」
「畏まりました。引き続き、よろしくお願いいたします」
「泊まる処は――」
クレアが訊ねた。
「カーライルの屋敷か保安駐在所に泊めてもらうつもりだ。その方がいいだろう。今から客間の準備をするのも酷だ」
「それは――」
「お気遣い、ありがとうございます」
リディアの言葉を遮るようにして、クレアが返事をし、頭を下げた。そうしなければ、ユーリを教会の客間に泊める運びになる予感がした。
荷物を広げる前に、簡単な拭き掃除を始めた。ハンネスが水を汲みに出ていき、荷物より布を一切れ取り出して、それを雑巾とするよう切り分ける。リディアも修道服の袖を捲って参加した。木の枝のような細い腕に白く小さい手で、雑巾を絞り、これから使う机や書棚をゆっくりと丁寧に拭き拭っていた。
「明日ぐらいに近隣の方から挨拶周りをしなければなりませんね。そして、できれば、お手伝いを願い出ましょう」
「皆様、お忙しいのですから――。無理を言ってはいけませんよ」
「それは当然です。判っていますよ」
おっとりとした口調のリディアに対して、クレアも恬淡と答えた。ベルグラーヴまでに寄ってきた教会の教司らから話を聞いていた。そのようにして、日々の営みを成り立たせている。掃除に選択といった家事ごとの含めて、薬草づくりに薬の処方、地域の診療。その他にも研究や論文制作を行う教司もいる。教司一人と守護士一人では、さすがにベルグラーヴのような小さな村の教会でも、無理があった。
額に汗を浮かばせながら、掃除を進めている最中であった。
「失礼する」との声が教司室まで届いてきた。ハンネスに礼拝堂へと向かわせると、二人の女性が門扉の前に立っているとの旨が返ってきた。衣服を正してから、リディアとともにクレアも礼拝堂へと足を向けた。
深い茶色のロングコートを腕にかけている二人の女性が立っていた。亜麻色の髪を首裏まで伸ばした少女と、そのすぐ後ろに、彼女の姉のように控える黒髪の女性。
「お待たせいたしました」
「こちらこそ着いて早々に済まない。お疲れのところ申し訳ないが、挨拶に伺った」
彼女がフェリル・カーライルである。直感的に判った。後ろに着いているのは、彼女の従者なのだろう。フェリルのコートを口を噤んだまま受け取り、背筋を伸ばして立ち控えている。
「どうぞ、こちらへ」
「いや、長居をするつもりはない。ここで済ませよう」
そう言って、ずかずかと入り込み、礼拝堂に設けている長椅子に腰を掛けた。その尊大な態度に受けて、クレアの表情はこわばりを覚えた。奥に控える黒髪の娘は顔を伏せがちで黙したまま、その色は窺えない。ちらとリディアの顔を盗み見る。顔色に変化は見当たらない。ただ視線をフェリルに向けて、口を噤んでいた。
「まあ、これからよろしく頼む」
「――そうですね」
リディアの口からそう放たれた言葉に、僅かばかりの反撥の芯を、クレアは感じ取っていた。
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