陸
学生たちの悠久の時間である夏休みも終わりに差し掛かってきた8月末。
未だに秋の訪れを感じさせない太陽の輝きは人々を照らし続けている。
とある病院の一室。斜めに差し込む日差しもまた例に漏れず、その輝きを主張するように夏の気だるさを俺に運んでる。
「暑い。」
病室に取り付けられたエアコンの温度設定は29℃。
私は働いていますよと、ちょっとした自己主張のように風が送られてくるそこは申し訳程度にパカパカと上下運動を繰り返していた。
だが、現代っ子たる俺はエアコンの温度であの母親とも闘ったことすらある。
文明の力たるエアコンの成し得る最低温度は18℃。
備え付けられた機能を最大限発揮させることになんの疑問が出てくるというのか…
この言い分を持っても母親を説得できなかったのは言うまでもないことなのだが。
しかしここは病室。今までにも入院は一度だけだがしたことはあった。
小学校の頃、自然の家とかいう胡散臭い山奥に建つ宿泊施設でのお泊まり会。
山に流れる渓流に、人一人乗れる程度のタイヤの形をしたゴムボートに跨がり下る。
自然のウォータースライダーがご自慢だとか…
まあそれ自体は楽しかったと言えば楽しかったのだが。
小学生の子供が何十人も集まればなにかが起こる。
ただその起こったことが不幸なことで、その不幸が俺に降りかかってきただけなのだ。
渓流を下るためのタイヤは子供からすれば意外と重い。
一列になり自分の順番待ちをしている間にタイヤだけを流したり、蹴って遊ぶクソガキも出てくる。
勿論、俺もクソガキだった。
上流から友達にタイヤを流してもらい、それに飛び乗り仲間内で楽しんだ。
罰が当たったと言われればそれまでなのだが、俺にだって言い分はある。
友達が流したタイヤは二段に重ねられていて不安定だった、それに二段分の重さで今までよりもスピードが出ている。
俺はそれに飛び乗るのを躊躇った、怖かったから。
今にして思えばこれは正解。
間違いとして指摘するならこのあとの行動。
俺は流れてくるタイヤに飛び乗ることはせずに向かい合った。
大股を広げ、受け止める姿勢を取る。
俺の体格は恵まれている方ではない。
どちらかと言えば乏しい方で、背の順で並べば前から数えた方が断然早い。
案の定。必然的にそうなる。
40㎏にも満たない俺の身体は流れてくるタイヤを腕で受け止めようとして腕から体全体を持っていかれた。
端から見ればそれは前転の失敗例みたいなものだろうか…
顔面から地面に叩きつけられ俺自身何が起こったのか理解ができなかったまである。
そして理解できなかったからこそだろう、俺も男の子。強がりで涙が零れることはなかった。
頭から血を流し仲間に笑われ女子には心配され先生には怒られる。
そして俺の自然の家の宿泊の時間は病室の一室への変わり果てた。
あの時と違うのはここは個室だということ。
勿論、病院の違いというのもあるのだろうが、大きく違うのは怪我の度合いによるところだろうか。
医者の見立てでは全治三ヶ月。
骨折六ヶ所、縫合七ヶ所、脳への障害も考えられ二週間は絶対安静らしい。
━そう、俺は生きている。
事故が起きてすぐに救助は来たものの、それは困難を極める大事故だったらしい。
俺の記憶と大分違いがあるのだが━今はそれは考えないようにしようと、動く右手でエアコンの設定温度を18℃にしてから眠りについた。
━━事故が起きたのが夏休みも始まったばかりの七月末。
そして今は夏休みも終わる8月末。
あの悪夢から一ヶ月が経とうかとしていた。
事故当初はマスコミやら警察やらでかなりの賑わいを見せていたテレビも、今ではいつも通り、俺とは無関係な情報を延々と垂れ流していた。
「テレビを見るのにも流石に飽きてきたな。」
病院というものは出来ることが極端に無さ過ぎはしないだろうか。
母さんが買ってきてくれた漫画も見飽きてしまった、友達が見舞いに持ってきてくれたゲームは正直面白くない。
ただボーッと、窓から見える景色を眺めているだけの時間が増える。
何かをしていないと考えてしまう、あの時の出来事を…
━俺は喰われた。
血の雨が降り注ぐ中、震えるだけの身体を気色の悪い死体たちに…
奴等の生暖かい口の中の感触、噛み千切られる激痛。
今でも思い出してしまうほどリアルに━
俺の記憶はそこで終わっている。
だけど、あの時あそこには皆が居た。
大さん
米良さん
三郎さん
南貴さん
千波ちゃん
皆はどうなったんだろうか…
例えあの出来事が俺の臨死体験だったとしても、気になってしまう。
考え出したら止まらない。
脈打つ鼓動が早くなり体は熱を帯びる。
"やばい、またあいつが来る━"
自身の気持ちとは関係なく込み上げてくる何かを感じる。
強いて言うなら排泄に近いなにか…
ただ違うところは出したところで解放感のような気持ち良さは得られない。
限界まで堪えては見たもののこれも生理現象のようなものなのか、わからないが自制が効くようなものではない。
身体から何かが吹き出るような感覚を覚え、俺はそれを睨み付けた。
「呼んだか?」
それは事も無げに呟く。
「呼んだ覚えはないし、呼ぶつもりも一切ない!」
それは俺の罵声に苦笑いを浮かべつつも、諭すように言葉を紡ぐ。
「まだ反抗期か?いい加減受け入れろよな。父さん悲しいぞ。」
━俺の親父の姿がそこにはあった。
10年以上前に亡くなっているはずの俺の親父が、当時の写真やビデオから抜け出してきたかの様に俺の横に立っている。
「あんたはもう死んでるはずだろうが!夢の中に出てくるだけならまだしも幽霊みたいに現実にまで出てくんなよ!」
親父は俺の怒りに驚いているのか心配そうな顔で俺の目を見る。
「お前、その年で幽霊とか信じてるのか?父さん心配だぞ…」
俺は幽霊は信じていない、現実主義者というか自分で確かめたことでないと信じるに値しないと考えている。
だが、実際に目に見えて確かめられることだとしても、この件に関しては例外なのだ。
理解ができない。臨死体験でも理解できない出来事に数多く襲われて、今まで生きてきた人生観が卓袱台返しの如く中空を舞ってしまう。
整理できそうもない出来事に頭を抱え、これは俺の妄想だ…と頭の中で念じていると部屋の扉が開いた。
「あんた、頭痛いの?」
心配そうな顔で駆け寄ってくる母さん。
「いや、痛いとかじゃないけど…」
言葉を濁す。というか濁る。
なんて言って良いのかわからない。
口ごもる俺に不安な表情を浮かべる母さん…
すると突然横にいた親父からデコピンが飛んできた。
「いでっ!」
額を押さえる。
俺の突然の痛みに母親は血相を変えて病室を飛び出した。
「先生呼んでくるからっ!」
そのあまりのスピードに呆気に取られていると親父が眉間にシワを寄せ俺を睨み付ける。
「母さんに心配かけんな。」
いまのはどう考えてもあんたのせいなんだけど…
「良いか?お前が父さんを幽霊だとか思うことはかまわん。
だけどな、俺はお前の父さんとしてここに居るんだ。」
それが何故?というのを俺は悩んでいるわけなのだが…
「まあ、なんもないみたいやし、そろそろ父さんは帰るぞ。」
何処へ?という言葉も返せないまま親父の姿は消えていった。
「母さんを頼むぞ。」
と一言だけ残して。




