弐
━━━━痛い…
気を失っていたのだろうか。自身がうつ伏せな状態なのはわかる。
利き手の指に力を入れる。…動く。
呼吸を整え、拳を握り締めて体重を右腕に乗せ身体を動かす。
腕一本では上半身を起こすのに精一杯だ。
目を開くとそこは暗闇。
━そうか、トンネルで事故ったのか。少しずつではあるが頭も回ってきた。
足は動く、左腕は動かそうとすると痛みが走る。
頭からはドクドクと生暖かい血が左頬を伝う。これ止まるのか?
外出時の持ち物は財布と携帯のみ。止血するには布の類が欲しい。
目も暗闇に慣れてきだした。立ち上がりあたりを見回す。
暗闇の中にさらに黒い塊。窓ガラスには芸術的な水のシルエット。
すぐに理解する。死体と血だと。
「誰か、生きてる人居ますか?」
不躾な質問を投げかけるが返事はない。
期待をしていた訳でもないが、妙に冷めた気持ちになる。
床に転がっているバッグを開き、中を探る。まるで火事場泥棒の様な行為にも心は痛まなかった。
ハンカチが見つかり拝借。返す予定もないので窃盗か。犯罪行為だ。
変なことに頭が回る。血の流しすぎなのだろうか。未だにドクドクと音をたてながら血を流している傷口にハンカチを押し当てる。
これで少しはマシになってくれればいいのだが…
胡坐を組み、止血しながら次にやるべきことを考える。
第一にこの車両から出る。車両は横転したのだろう、座席が頭上と床にある。
現実的なのは割れている窓から外に出ることだが…問題はその高さ。
ジャンプして届くような高さではない、踏み台が必要だ。
それとも別車両に行くか?生存者が居るかもしれない、連結部に抜け出せる隙間などないだろうか。
自分は他の人よりも熱い人間だと思っていた。正義感があり、困っている人が居れば助けたい。そう育てられてきたから、親父や母さんならそうするだろうと思うから…
そんなちっぽけな自己評価は露と消えた。
━最低な人間だ。
死体の山を前に、踏み台と考える思考。
これ以上の死体を見たくないと他の車両を探すのを躊躇う浅ましさ。
「最低だな」
言葉に出す。自分を正当化する。自分を守る。
それでも生きたい。そうまでして生きたい。
何を誰が決める?そんなものは自分でしかいない。
死ねない。死にたくない。みんなそうだろ。
━よし、言い訳はできた!
意を決し、俺は死体を窓に向かって積み始めた。
ありえない方向に曲がった首。
肩から突き出る骨。
原型が分からない顔。
気持ちが悪い。得もいえぬ不快感。咽が嘔吐く。
共通して言えることは、重いということだけ。
何人かを引きずり重ねるだけの作業でも、右腕だけでは困難を極めた。
踏み台にすることを考えると、女性をというのも躊躇われるが比較的軽い女子高生グループを中心に積み上げていく。
人間の性的趣向にはネクロフィリア(屍体性愛)などという性癖も存在するが俺には全く理解できなかった。
そもそも性癖に関わらず他人に対して理解しようとすること自体おこがましいことなのかもしれない。
俺のこの行為も誰かに理解して欲しいとはおもわない。
また意味もなく自分に言い訳をする。
ある程度の死体を積み上げてはみたものの、あと何人くらい積めば届くのだろうか、できればあの肥満体の男性を動かす苦労は避けたい…
既に闇に目は慣れている。あたりを見回し、俺はまだ積み上げていない女子高生を見つけた。
この子で女性は最後だろうか、あとは見た目で軽そうな男性を積み上げていくしかないか…
女子高生のアクセサリーをジャラジャラまいた腕を取り、力任せに死体の山まで引きずりだす。
「痛い!」
突然の反応に虚を突かれ咄嗟に握っていた腕を放してしまった。
ゴンッ!と盛大な音をたて女子高生は頭から床に突っ伏した。
「いだい…」
涙声で呻く。
「ごめん。」
慌てて謝る。
━生きている人が居た、俺以外にも。
「立てる?」
俺は彼女に手を差し伸べると同時に、不思議と安堵感にも似た何かを得た。
「ありがとうございます。」
手を取りつつ、ぶつけたのであろう鼻を擦りながらお礼を言う彼女。
立ち上がり、周囲を見渡しながら尋ねてくる。
「事故…ですよね?」
「俺も気を失ってて、気がついたらこんな状況だった。」
それ以外の言葉は見つからなかった。俺がやっていることをこの子には言えなかった…
「他に生きてる人って居ますか?私、友達と一緒に居て…」
彼女の友人達は俺の背後に山積みにしてある。
なんて言えば理解してもらえる…いや理解なんてできない、自分でさっきそう言ったじゃないか。
「君の友達は俺の後ろに居る。…でも見ない方が━」
言い終えることもできず、彼女は友人達の死体の山を見た。
乱雑に積まれた友人の死体の山。
彼女はその場でへたり込み涙を流した。
これが普通。当然の反応なのだろう。彼女は人として当たり前の行動をしている。その涙は正しいから美しいのだろう。
だから俺も、俺が正しいと思うことをするしかない。
生き残るため、ここから出るために!再び死体を山に積み始める。
━━積み上げられた死体の山を見つめること暫し、高さは1メートル強には届くだろうか。
無造作に転がった死体のほうがまだ見られるというものだ、「凄惨」という言葉はこんな状況にふさわしいのだろう。
ただ、これを積み上げたのは俺自身。
その横で身を縮こまらせてむせび泣く少女。
俺の頭もこの状況でおかしくなっているのだろうか、「絵になる」なんて達観した思考に嫌になる。
血の流しすぎ?そういえば人間の失血の致死量ってどれぐらいだったっけ…確か全血液の半分だったような━いや、その前に貧血で気を失うか。
傷口を押さえていたハンカチは血で滴っている。血が良く出るほうって静脈だっけ?確か中学の頃に習ったような気がしないでもない。
こんな状況だというのに頭は回る。どうでもいい方に…いや、こんな状況だからこそなのか。
しかし、こんな状況から脱出できる高さにまでは積み上げた。後は外に出るだけなのだが、それを躊躇わせる原因があった。
友人であった死体の上にまた別の死体を重ねていく俺に、非難の言葉を浴びせるわけでもなく、止めようと邪魔をすることもない。只々顔を両手で覆い泣いているだけの彼女。
鬼畜な所業をした俺が、彼女に対しかける言葉を持ち合わせている訳もなく、かといってこのままここに置き去りにする訳にもいかない。
正義感?偽善?フェミニスト?
この子を助ければ救われる気でもするのだろうか。わからない。
でも、俺はこの場を動けないでいた。
━時間だけが過ぎていく。
いつになれば彼女は顔を上げてくれるのだろう。
そういえば、事故からいくらか時間が経っている。救助などもあるかもしれない。などと考えていると、ガガガンッと大きな音と振動が車内を揺らした。
その音に反応して流石に彼女も顔を上げる。
今しかない。そう思い俺は当てもなく彼女に近寄り喋りかけようとした。
「大丈夫か!?」
そうじゃない、何を言ってるんだ俺は…
いや、俺は言っていない。声がしたのは頭上からだった。
見上げたそこに映っていたのは、モヒカン頭だった。




