phase7-3
巨大な木の虚のような〈エーテルタワー〉の内部で、少年とも少女ともつかぬ姿をした存在が、腰に剣をさげた男と向き合っている。
彼、または彼女はその身が創られたときから〈エーテルタワー〉から出ることができなかった。その意識が芽生えたときから、文字列で構成された同胞たちと共に過ごし、またごくわずかな「友」と共にこのセカイを動かしてきたのだ。
「ご苦労様です。レイノルド殿」
その「友」、レイノルドは先ほどまで戦場にいたとは思えないほど小綺麗な軍服を纏い、疲弊の色すら見せていない。しかし、カストルのねぎらいの言葉への返答には、驚きの感情を隠せずにいた。
「まさかあのようなコードが現実に存在したとは。それに、我々はあのコードを知っているのですね……」
驚きのあまり会話を噛み合わせられずにいるレイノルドの姿に、カストルは珍しいものを見たおかしさに眉を上げる。その様子に気がつき、レイノルドははっとした。
「申し訳ありません。少々、取り乱してしまいました……」
「気にすることはありません。それよりも、レイノルド殿が完璧に役割を果たしたことを伝えておかねばなりません」
常人ならば首を傾げずにはいられないカストルの台詞に、レイノルドは合点がいったような表情で返す。
「なるほど、〈ポルガノクス〉とはそれほどの機密事項であるということですか。そのためカストル様は、〈ポルガノクス〉がどういう存在なのか、それを我々に話すことができない」
「ええ、そうです。たとえ相手が国家機密の塊であるレイノルド殿だとしても、です。それにも関わらず、レイノルド殿は〈ポルガノクス〉の所持者を突き止め、接触し、さらにはその力の一端にも触れました。あなたは本当によくやりました」
「それは、光栄でございます」
カストルの謝辞に、レイノルドは慇懃に礼をする。そして、カストルがそれ以上のことをレイノルドに望んでいることも、すでに読みとっていた。
「カストル様も気苦労が絶えないようですね。〈ポルガノクス〉は通常のコードのようには受け渡しができず、それを所持した者はまさに『火種』になることも話すことができないとは。それに、コードを破壊するコードを、どうしたらストレージに保存することができるのでしょう?」
レイノルドの言うとおり、〈ポルガノクス〉を所持すること自体が一種の矛盾だ。そもそも、このセカイが〈情報化〉されているのもある特殊なコードの作用であり、コードによってコードが存在するのだ。当然、人間のコード需要網であるパーソナルストレージも、コードがなければ存在できない。
ならば、〈ポルガノクス〉をストレージに入れた瞬間、そのストレージは破壊されてしまうのではないか。
レイノルドの疑問にカストルは微笑を返し、それからゆっくりと言葉を紡いだ。
「遠い昔。人々がまだ、『情報』という概念を社会の基盤とし始めたころ、『情報エントロピー』という言葉がありました」
一見、レイノルドの疑問とは外れた話だ。
「情報エントロピーとは物事の曖昧さを表し、人づてに情報が受け渡されるにつれ、元の情報が曖昧になっていく様子を表すことのできる指標でもありました。人間は受け取った情報を解釈しなければならない生物であり、そこですべての情報を参照とすることは不可能です」
しかし、レイノルドはこの話がおそらくカストルしか知り得ない情報であることを察知し、耳を傾ける。
「ではもし、全宇宙の真理を理解できないとしても、一人の人間がもつ情報を完全な形で他者に伝えることができたとしたら、才能や素質によらず、天才と呼ばれる技術者を量産できないか……そう考えた人物がいました。
しかし、その考えは多くの矛盾を含んでいると言わざるを得ませんでした。人間の価値観、発想は、その人物の記憶だけが生み出しているものではありません。ミクロな視点にて論じるのならば、その着想に至る脳のシナプスが繋がることによって一つの形を成すのです。例え同じ情報を知っていたとしても、新たなものを生み出すことができるとは限りません」
だが、その論を覆す存在が、今ここにいる。レイノルドはカストルが語る遠い昔のセカイに思いを馳せ、しかしカストルの言わんとしていることをつかみかねていた。
「皮肉なことに、その矛盾が今のセカイを支えるコード技術を生み出したのです。矛盾の根元、情報という存在の根底にある概念へ疑問を抱かなければ、人類はコード技術を作り出すことはできなかったでしょう」
カストルはそこで言葉を切り、ふっと笑った。
「では、そのコードを破壊する〈ポルガノクス〉とは、どのような『情報』なのでしょうね?」
「それは……」
レイノルドは言うべき言葉を見つけられず、口を閉ざす。それを見届け、カストルは話題を移した。
「〈ポルガノクス〉の所持者と『彼ら』は、もうじき行動を起こすでしょう。『彼女』も、いつかは火種となる存在です。私たちは、私たちの計画を進めましょう」
カストルはレイノルドに背を向け、〈エーテルタワー〉のさらに奥へと向かう。
「そうでなければ、私たちも『革命』に呑まれてしまうかもしれませんよ?」
そう語るカストルの声音は、レイノルドが聞いた中で最も楽しげであった。
「よーし、調整完了っと。外殻のステルス機能に問題はないよ。こっちからモニタリングも遠隔操作も可能だから、本体には人が乗る必要はなーし」
奈川渡ダムの一角にある「キャラバン」の会議室から聞き覚えのある声が聞こえてきたので覗いてみたのだけれど、そこにはなにやら端末を叩きながら連絡を取っている夏希の姿があった。
「あの、何してるの?」
通信を終えたところで声をかけると、夏希はびっくりした様子で勢いよく振り向き、しかし夏希は回転椅子に座っていて、勢いを殺しきれず椅子から転がり落ちた。
「ふぎゃ!」
「……大丈夫?」
紗世が駆け寄ると、夏希はばつが悪そうな表情で紗世を見上げた。チョコレートの香りがするのは相変わらずだ。かけたメガネが思いっきりずれている。
「いや、そんなに痛くない。肺に衝撃が入るとすごい声が出るよね……」
「うん、まあ、確かに……」
二人の間に微妙な空気が流れる。しばらくして紗世が無言で手を差し伸べると、夏希はそれを掴んで立ち上がった。
「えっと、いつもはこんな端末ないけど……それに、なんかすごいね、これ」
紗世は夏希が先ほどまで操作していた端末を見ながらいう。端末と表したのは、そのコンピューターが異様に大きくて、しかも何かの乗り物の自動切符売り場みたいな形をしていたからだ。
「……ああ、これ。あたしが作ったの」
「へえ! すごい」
紗世は驚いて声をあげる。しかしそろそろ、夏希の反応の歯切れの悪さに違和感を覚えていた。
「……もしかして、わたし何か邪魔しちゃった?」
言うと、夏希は苦笑を返す。
「邪魔じゃあないんだけどね。なんというか、これ、秘密だったのよ」
「秘密……?」
紗世は首をかしげる。
「この前の戦闘で負傷した人たちも、だいたい全快してきただしょう? だから、そろそろなのよ」
「そっか、そろそろ、旅に出るのか……」
紗世は感慨深げにため息をつく。紗世がこの集落に来てから、もう三ヶ月。長いような短いような、怒濤の日々だった。秋もすっかり深まり、ダム周辺の山ヶは紅葉の赤で染まっている。
「中心のメンバー以外には秘密だったんだけど、紗世ちゃんは仲間だから教えちゃおうかな。それにしてもねえ、紗世ちゃん、決意するの早かったよねえ」
夏希の言葉に、紗世はぶんぶんと首をふった。確かに、信司たちキャラバンの協力をすることにはなった。けれど、今でも〈街〉を攻めることができるかどうかは、自分にはわからないのだ。
「ま、それはともかく、こいつはセレモニーの準備ってやつ。ここから旅立つ前に、みんなの心をひとつにしてやるって腹づもりね。で、これは……」
夏希は端末に触れながらそう切り出す。けれど、すぐに言葉を止め、いたずらに笑った。
「やっぱやめた。あたしはこれを見て驚く紗世ちゃんの顔が見たいな!」
「え、えぇー。気になるよ……」
話題を引っ込められた紗世は、不平を口に出す。けれど夏希はますます嬉しそうな顔になる。これは処置なしだ。
「やあ、二人とも。夏希、準備はどうだい?」
と、そこにキャラバンのまとめ役、拓人が入ってきた。
「調整は今完了したよ。ぶっつけ本番みたいになっちゃうけど、それまであれを出すわけにもいかないから」
夏希が答えると、拓人は満足げに頷いた。
「まあ、そうだね。それにしても、あれがまた飛ぶなんて、感動ものだね。なんといったって、あれは……」
「はい! ストップ! ネタバレ禁止! 紗世ちゃんには本番で見てもらって、腰を抜かしてもらう予定だからそれ以上言わないで!」
拓人がしみじみと懐古しているところを、夏希が大声で妨害する。夏希の無駄に必死な様子に拓人は苦笑して、
「はいはい、分かったよ。じゃあ、僕と紗世さんはおいとましたほうがよさそうだね」
拓人がそう言い、紗世に目配せしたので、紗世は仕方なく着いていくことにした。夏希が何を秘密にしているのかは分からないけれど、どうにも教えてくれなさそうだ。信司とかに聞いたら教えてくれそうな気もするけれど、後で絶対にあの二人で喧嘩になるだろうからやめておいた方がよさそうだ。
「あれから、〈ポルガノクス〉に関して何か進展はあったかい?」
会議室を出ると、拓人がそう質問してくる。
「えっと、コードを壊す能力に関しては、狙ったところを正確に壊すことができるってことが分かりました。それ以上は……」
紗世が〈ポルガノクス〉の力を使うことができるようになってから、信司と力の使い方を練習しているけれど、最近はあまり進展がなかった。〈ポルガノクス〉を盾のように展開するのも、なかなかうまくいかない。
「そうか、まあ、今はそれで十分だよ。信司から聞いてるかもしれないけど、僕たちはこれから日本国内を回って、ここ以外にもいくつかある集落に声をかけていく。流石に、僕たちだけじゃ〈街〉を攻めるのは厳しいからね。協力してくれるかどうかは分からないけど、人数は多いにこしたことはない。なにせ、人が安心して住める『街』を作らなければいけないからね」
そう、紗世たちは戦いにいくと同時に、住める場所を作るのが目的なのだ。そのためには、人がいなければならない。それに、この奈川渡ダムにだって戦闘ができる人たちを残していかなければならないのだ。ここまで大きな集落を、もぬけの殻にするわけにはいかない。
「紗世さんには本当に感謝している。君がここに来なければ、この作戦は実行に移せなかったからね」
「そんな、わたしはまだ何もしていないですよ……」
「でも、君が今ここにいるのは、君が生きているからだ。僕たちがどんなにがんばっても、助けられない人は助けられないからね。それに、今は〈ポルガノクス〉のことにちゃんと向き合ってる」
拓人の言葉に、無性に気恥ずかしくなって、紗世は首をふる。
「それは……信司さんがいてくれたから……」
紗世が今ここにいるのは、あの少年のおかげだ。〈街〉で軍隊に銃を向けられ、そこから助け出してくれた信司の背中を、紗世は鮮明に覚えている。
そんな紗世の様子を見て、拓人は頷き、それから思い出したように言った。
「僕はキャラバンのみんなにスピーチする内容を考えなきゃいけないから……。夏希が言っていたことは、楽しみにしておいてよ」
そう言い残し、拓人はどこかに行ってしまった。特に予定のない紗世は、これから何をして過ごそうかとぼんやり考える。
それにしても、夏希が秘密にしているというものは何なのだろう? 彼女はあの自動販売機じみた端末を操作していたから、何らかの機械か、コードを使った演出か何かだとは推測できるけれど……。
そうは言っても、紗世は夏希が作った機械とかをあまり見たことがない。キャラバンのメンバーから、彼女がこの集落の警報システムとかを作ったと聞いて驚いたものだけれど、実際に稼働しているものはまだ見ていない。この前の戦闘でも、紗世がダムの内部に着くまでに戦いは終結してしまっていたのだ。だから、余計に予想できない。
それから一週間、会う度に思わせぶりな態度をとってくる夏希と、秘守義務をしっかり守っている拓人のせいで紗世は「秘密」がなんなのか気になって仕方がない日々が続いた。
セレモニーのその日。紗世はソラと一緒に奈川渡ダムの下部の広場にいた。そこにはすでにキャラバンのメンバーたちが集まっており、セレモニーが始まるまでの暇を思い思いに過ごしていた。いつも忙しく過ごしている彼らにとって、こういった微妙な時間は久しぶりなのだろう。あちらこちらで喋ったり、コードで仮想のウィンドウを出現させて何か見ていたりする人もいた。
「だから、さ、一体何がでるのやら……」
紗世もその例に洩れず、ソラに昨日までの顛末を話して聞かせる。といってもこの愚痴を何度も聞いているソラはさして反応もせず、
「夏希のことだから、そこまで言っておいて何もないってことはないだろうね」
と冷静に返す。
「だけど、所詮旅立ちの前に気合い入れていこうっていう意味合いのセレモニーだから、そんなに変なことはたぶんしない」
ソラの言う通り、セレモニーはあくまで気分的なもののためにある。だから夏希の用意した「秘密」が、相手を木っ端微塵にする超兵器とか、テーマパークじみた花火大会だということはたぶんない。……後者は夏希の性格からして無いとは言い切れないけれど。
「みんな、待たせたね。そろそろ始めるから、もうちょっとこっちに近づいて!」
と、広場に拓人の声が響きわたる。紗世はその姿を遠くに認めて、ダムの直下まで足を運ぶ。
改めて切り立ったダムの壁面を見ると、やはりその大きさに圧倒される。〈街〉ではこのような発電設備がほとんど見られなかったけれど、このダムは百数十年も前からこうして動いているのだという。紗世は言いようのない感慨に襲われて、その灰色の造形に見とれる。
少し前に夏希から聞いた話では、このダムは本来の姿から大きく改造されているらしい。壁の中と足下から水の音が聞こえるのは、この壁の中に巨大な空洞があって、そこを滝みたいに水が落ち、その勢いでタービンを回しているかららしい。こんな高さのある水の勢いでタービンを回したら普通壊れてしまうけれど、そこは、コードを使って保護しているようだ。このダムは、旧世代の技術と現代の技術が複合されて「生きている」のだ。
と、不意に水の音が小さくなった。
「今日は集まってくれてありがとう! すでに聞いてると思うけれど、ようは僕たちの気持ちを確認しようってことだ。まあ、僕がちょっと話すだけだから、長くは拘束しない」
見ると、ダムの壁際に作られた壇上に、拓人が立っているのがわかった。マイクの類は見つからず、コードで音声を増幅しているようだ。
「今回の作戦の最終目的は、札幌の〈街〉を占拠し、そこを〈街〉から追い出された人たちのための安住の地に変えることだ」
事務的に言って、それから拓人は声をすこし柔らかくする。
「みんなは、〈街〉にいたころ。自分がやりたい職業について、だれかと結婚して、幸せな家庭を作りたいって思ったことがあるかもしれない。でも、このセカイではそれができない。もちろん、僕はみんなのことを家族だと思っているけれど、やっぱりそれは本来の意味とは違うんだと思う。一重にキャラバンやこの集落が続いているのも、常に〈街〉から追放されている人がいるからだ。僕たちは同じ痛みを共有しあっている」
そして次の言葉に、拓人は強い力を込める。
「でも、それだけじゃだめなんだ。みんながあたりまえに描く将来像が存在しないセカイは、僕たちの望んだセカイじゃない。だから、僕たちは自らの手でそのセカイを掴みとる」
広場に集まったキャラバンのメンバーからも、強い肯定の意志が向けられる。それを見届けた拓人は、また少し事務的な口調に戻る。
「この作戦を実行するにあたって、三つ、重要な要素がある。一つは戦力。いくら何でも、僕たちだけでは〈街〉は落とせない。これから一ヶ月ほどかけて、この国をまわり、集落の戦士たちに声をかけていく。二つ目は、〈街〉の結界とも言うべき防壁を破るコードの存在だ。その存在だけならば、三日前に発表したとおりだ。具体的には二つの存在だけどね」
三つ目の要素を話す前に、拓人は大きく間を空けた。それから彼にしては珍しく不敵に笑う。
「最後に、移動手段。キャラバンっていったって、生身のまま一ヶ月で日本を回るのは大変だ。だから、以前キャラバンをキャラバンとしていた「あれ」を、さらに改造して運用することにした」
その拓人の言葉に、キャラバンのメンバーはざわつく。顔にハテナマークが浮かんでいる人もいるし――紗世もその一人だった。なにやら納得している人もいる。
「新しい僕らの相棒だ。『キャラバンズ・ウィング』をお目にかけろう!」
拓人が叫び、正面を指さす。人々はそれにつられ、振り返り、そこにあった光景に唖然とした。
一言でいって、巨大だ。下からみた限りではいくつもの円盤が少しずつ重なったような形をしている。それが、空中に浮いていた。
「あれが、僕たちを運ぶ『羽』だ。〈街〉の外の集落の人たちにとっては希望を運ぶ羽。〈街〉の軍隊にとって頭痛の種を運ぶ羽にしてやろう!」
『キャラバンズ・ウィング』の威容に、紗世はただただ呆然とするしかない。だが、拓人の言葉とともに、その羽は紗世に強い高揚を与えていた。
こうして、紗世たちの旅が始まったのだ。




