第八話 一人前
薬草採取の依頼を終えてから、数日が経った。
僕はギルドの掲示板の前で、依頼票を選ぶことにも少しずつ慣れてきていた。薬草採取。街道沿いの見回り。小型魔物の討伐。難しい依頼はまだ受けられないが、それでも毎日、少しずつ違う仕事をこなしていく。
最初の頃は、依頼を終えるだけで精一杯だった。今は少しだけ余裕が出てきている。
「この魔物なら、この程度の力でいい」
森の中でコボルトの群れと遭遇したときも、以前のように焦ることはなかった。相手の動きを見極め、必要な分だけ闇の力を絞り出す。力任せではなく、効率を考えて動けるようになっていた。
*
「ノクトさん、今回も依頼達成ですね」
受付嬢が、依頼票に確認の印を押しながら言う。
「はい」
「最近、依頼のこなし方が丁寧になってきましたね」
その一言に、少しだけ驚いた。褒められるということにまだ慣れていない。
「……そうですか?」
「はい。最初の頃より、明らかに無駄がなくなっています」
受付嬢は淡々とした口調のまま、そう続けた。
特別に優しいわけではない。ただ、事実として見たままを口にしているだけだった。それでも、その一言がじんわりと胸に染みた。
ギルド内の空気も、少しずつ変わってきているのを感じる。以前は、僕が通るだけで会話が止み、視線が集まった。今は、まだ完全にとは言えないが、「災厄」ではなく「あの依頼をこなしている冒険者」として見られることが増えてきた気がする。
――ちゃんと、積み重なっている。
誰かに教えられたわけではない。ガルドの言葉通り、この小さな木のプレートに少しずつ意味が加わっていく。それが、今の僕にとって何よりの支えだった。
*
その日は、街道沿いに出没する魔物の討伐依頼を受けていた。
森の入り口近くで、依頼票に記載されていた通りの魔物――一回り大きなゴブリンの死骸を見つける。すでに他の冒険者が討伐した後らしく、討伐証明の部位だけを回収すればいい依頼だった。
死骸に近づいたところで、僕は思わず足を止めた。
「……これは」
死骸の胸元、深い傷口の周辺に黒い斑点のようなものが広がっていた。植物で見たものとよく似た色合いだった。ただの傷や腐敗の色とは明らかに違う。
しゃがみ込みその部分をじっと見つめる。
――ぞくっ。
背筋に、冷たいものが走った。
手を伸ばし、恐る恐る死骸の傷口へ触れる。その瞬間、指先が痺れるような感覚と共に、手の中に黒い粒子がぽつりと浮かび上がった。
「……っ!」
慌てて手を引く。粒子はすぐに空気に溶けるように消えていった。
「……何なんだ、これ」
植物のときと同じ反応だった。僕の中の「災厄」が、明らかに何かに引き寄せられている。でも、それが何なのか手がかりは何もない。
依頼票に記載されていた必要な部位だけを丁寧に回収し、僕は黒い斑点にはそれ以上触れずにその場を後にした。
――いつか、分かる日が来るのだろうか。
今はまだ、その答えを追いかける余裕もなかった。目の前のことを、一つずつこなしていくしかない。
*
夕暮れ、街への帰り道。
ふと、右手を見つめた。あの夜、初めて力が溢れ出したときのことを思い出す。あのときは、腕全体を覆うほどの、制御できない闇だった。
今は、少し違う。
「……右手だけ」
立ち止まり、意識を集中させる。以前のように感情を無理に呼び起こす必要はなかった。ただ、静かに「これくらい」と思うだけで指先に黒い霧がすっと集まってくる。
腕全体ではない。ほんの、数センチ。
「……できた」
小さく呟く。誰に見せるためでもない。ただ、確かめたかった。
この力は、もう感情に振り回されるだけのものじゃない。少しずつ、自分の意志で扱えるようになってきている。
黒い霧をそっと空気に溶かす。
まだ、何も終わっていない。黒い斑点の謎も。公爵家への想いも。すべてが、答えの出ないまま僕の中にある。
それでも、この一歩が、確かに積み重なっているのを感じた。
僕はもう一度、街の灯りへ向かって歩き出した。




