第七話 初依頼
ギルド登録後の翌朝。僕は、少し早く目を覚ました。安宿の硬いベッド。
それでも、屋敷の寝台よりずっと安心して眠れた気がする。
「……冒険者、か」
声に出してみる。まだ、実感が湧かない。昨日、ギルドで渡された木製のプレートがベッド脇に置いてある。
プレートを手に取る。そこには、僕の名前だけが刻まれていた。
――ノクト。
ヴェルステットの名はない。それが、少しだけ嬉しかった。僕はプレートを首にかける。胸元で小さく揺れた。
「今日から、僕一人で生きていくんだ」
小さく呟く。誰に言い聞かせるでもない。ただ、自分自身にそう刻みつけたかった。
*
ギルドへ向かい、掲示板の前に立つ。昨日登録したばかりの僕にはまだ分からないことが多い。
掲示板には様々な依頼が並んでいた。薬草採取。街の近くでの素材採取。小型魔物の討伐。荷物運び。
その中には、明らかに僕には手の届かなそうな依頼も混ざっている。
「……どれを選べばいいんだろう」
掲示板を眺めていると、昨日とは別の受付嬢が声をかけてきた。
「依頼をお探しですか?」
「はい。ただ……冒険者の仕組みがまだよく分からなくて」
「昨日登録されたばかりですものね」
受付嬢は淡々と答える。
「まず、冒険者にはFランクからSランクまでの階級があります。登録したばかりの方は基本的にFランクです」
「Fランク……」
「はい。依頼には、それぞれ受注できるランクが設定されています。自分のランクより上の依頼を受けるには、ギルドの許可が必要になります」
受付嬢が掲示板の一角を指差した。
「Fランクで受けられるのは、主に薬草採取や素材採取、街の周辺に出る小型魔物の討伐などです」
「じゃあ、強い魔物の討伐依頼は……」
「今のノクトさんには受けられません」
即答だった。
「……そうですか」
「無理に上の依頼を受けて失敗すれば、処分の対象になることもあります。ランクは実績や実力、依頼の達成状況などを見てギルドが判断します」
「なるほど……」
強さだけで決まるわけではないらしい。
「ちなみに、ランクが上がると何が変わるんですか?」
「受けられる依頼が増えます。もちろん、報酬の高い依頼も増えます。それと……」
受付嬢は掲示板へ視線を向けた。
「冒険者としての信用にもなります」
「信用……」
その言葉が、妙に胸に残った。
僕はこれまで、「災厄」という言葉だけで判断されてきた。
何をしたかではなく、何を持っているか。
それだけで、僕という人間そのものを決めつけられてきた。
でも、ここでは違う。依頼を受けて達成する。それを積み重ねることで、少しずつ評価されていく。
胸元の木製プレートに触れる。
――なら。
「……やってみます」
「そうしてください」
受付嬢はそれだけ言って、依頼票の並ぶ掲示板へ視線を戻した。
僕は少しだけ拍子抜けした。もっと何か言われると思っていた。
けれど、受付嬢は特別に優しくしてくれるわけでもない。逆に、冷たく突き放すわけでもない。
ただ、仕事として必要なことを説明しているだけだった。
「……ありがとうございます」
「仕事ですので」
それだけ言うと、受付嬢は次の冒険者へ声をかけた。
僕はしばらく、その背中を眺めていた。
――仕事だから。
たったそれだけの言葉なのに、なぜか少し不思議な気持ちになった。
僕は今まで、人が僕に向ける態度には、いつも理由があった。家族だから。災厄だから。役に立たないから。
でも、この場所では違う。
僕が何者なのかではなく、冒険者として決められたルールに従って扱われている。
それが、妙に心地よかった。
僕はもう一度、掲示板へ向き直った。そして、その中から一枚の依頼票を手に取る。
――薬草採取。
まずは、自分がどこまでできるのか知りたい。
派手な成果より、まずは自分の足元を確かめたかった。依頼票を受付へ提出すると受付嬢はそれを一瞥して頷いた。
「森の浅い場所なら危険は少ないですが、奥には入らないでくださいね」
「はい!」
*
街の門を出る。
家を追い出されたばかりの頃とは心境がまるで違った。あの時は、いつ誰に殺されるか分からないという恐怖の中を歩いていた。
でも今は違う。自分の意思で、外に出ている。同じ森なのに、見える景色が少し違って見えた。
薬草を探しながら木々の間を歩く。地面に生える特徴的な葉の形。ギルドで渡された図鑑と見比べながら、一つ、また一つと摘み取っていく。
「これが冒険者……なのかな」
思わず、そんな独り言が漏れた。少しだけ、ワクワクしている自分に気づく。
十年間、何かに心を躍らせることなど忘れていたはずなのに。
――僕は、まだ十六歳なんだ。
そんな当たり前のことを、今更ながらに思い出した気がした。
*
薬草を探して森の中を進んでいると、茂みの向こうから、耳障りな唸り声が聞こえた。
「……っ」
足を止める。緑がかった、小柄な人型の魔物が二体、こちらへ向かってくるのが見えた。
――ゴブリン。
図鑑で見た姿と一致する。一体が、粗末な棍棒を振りかざして飛びかかってくる。
「……っ!」
とっさに避けようとするが、身体の反応が追いつかない。
「速い……!」
棍棒が肩をかすめ、鈍い痛みが走った。
――おかしい。
訓練場では、あれほどの力を出せたのに。全力を出せば、きっと簡単に倒せる。そう思って、右手に闇の力を集めようとする。
けれど、渦を巻く黒い靄は、思うように定まらなかった。狭い森の中で全力を放てば、周囲の木々ごと巻き込んでしまうかもしれない。
「くっ……」
躊躇いが、動きを鈍らせる。
もう一体のゴブリンが、横から回り込んでくる。
――どうすればいい。
あの日、狼を倒したときはただ生きたい一心で力が溢れ出しただけだった。
今は、加減をしなければならない。それだけで、こんなにも難しくなる。
*
二体のゴブリンに挟まれ、僕は息を荒くしながら考えた。
――巨大な一撃じゃなくていい。
あのときのような、全てを薙ぎ払う力じゃなくていい。
僕は右手を軽く握り、意識を集中させる。
手のひらいっぱいに広げるのではなく、指先だけに、ほんの少しだけ闇を纏わせるイメージ。
「……少しだけ」
黒い靄が、細い刃のように、僕の腕へ絡みついていく。
飛びかかってきたゴブリンへ向けて、腕を振るう。
闇を纏った一撃が、その身体を捉えた。
「――ギィッ!」
ゴブリンが短い悲鳴を上げて崩れ落ちる。
もう一体も、勢いのまま踏み込んできたところを、同じように迎え撃った。
しばらくして、辺りは静かになった。
僕はその場に膝をつき、荒い息を整える。
「……疲れる」
全力の一撃よりも、遥かに神経を使った気がした。
それでも、確かな手応えがあった。
「大きく出すより……こっちの方が使いやすいのかもしれない」
思わず、そう呟く。
あの日、訓練場でガルドに見せた力は、ただの破壊でしかなかった。でも、この加減された使い方には、まるで違う可能性がある気がした。
――この力は、育てていけるものなのかもしれない。
そんな予感が、胸の奥に静かに広がった。
*
薬草採取を再開する。
しばらく歩いていると、他の草花とは明らかに様子の違う草花が目に留まった。
葉の縁が、黒く変色している。
「……何だろう、これ」
図鑑には載っていない特徴だった。
しゃがみ込み、恐る恐るその葉に触れる。
――その瞬間。
「……っ!?」
指先が、ぴりっと痺れた。
次の瞬間、闇の力がひとりでに反応するように黒い靄がわずかに漏れ出した。
「……今の、何だ?」
慌てて手を引く。
植物は、何事もなかったかのように、そこにあるだけだった。
僕はしばらくその場に立ち尽くし、黒く変色した葉を見つめた。
何かが引っかかる。
でも、それが何なのか、見当もつかない。
……深追いはやめよう。
今の僕には、まだ分からないことが多すぎる。
その草花には触れず、僕はその場を後にした。
*
夕方ギルドへ戻る。
採取した薬草を受付カウンターへ差し出すと、受付嬢が丁寧に数を確認してくれた。
「初依頼、お疲れ様でした」
そう言って、彼女は小さな革袋を差し出す。中には、硬貨が数枚。僕はそれを、じっと見つめた。前世でも。ヴェルステット家にいた頃でも。僕はずっと、誰かに与えられる側だった。食事も、着るものも、居場所さえも。
すべて、他人の気分次第で与えられたり、奪われたりするものだった。でも、今、手のひらの上にあるこれは違う。
「……僕が、稼いだ」
小さく、けれどはっきりと呟く。たったそれだけの言葉が、これまでのどんな出来事よりも、僕の胸を熱くした。
*
ノクトがギルドを出ていったあと。受付カウンターに残った薬草の束を、受付嬢は改めて整理していた。
品質を確認しながら、一枚ずつ丁寧に仕分けていく。その手が、ふと止まった。
「……あら?」
薬草の葉に、ごく小さな黒い斑点が浮かんでいる。ほんのわずかな染み。
最初からあったのかどうかさえ、分からないほど小さい。
受付嬢は眉を寄せた。
「この森で……こんな変色あったかしら?」
もう一枚。
その隣の薬草にも、同じ黒い斑点が浮かんでいる。
「……?」
彼女は首を傾げながら、その二本をそっと脇へよけた。
けれど――そのとき。
彼女の視界の端で、黒い斑点がほんの一瞬だけ、脈打ったように見えた。
「……今のは……?」
受付嬢が顔を近づける。
しかし、薬草は何事もなかったかのように静かにそこにある。
窓の外では、夕日が街並みを赤く染め始めていた。




