第十一話 昇格試験
いくつかの依頼をこなし、講習で学んだことを実践する日々が続いていた。
そんなある日。
いつものように依頼の報告をするためギルドへ戻ると受付嬢が僕を呼び止めた。
「ノクトさん。少しご提案があります」
「……提案?」
「Eランクへの昇格試験を受けてみませんか?」
「……え」
思わず言葉に詰まった。
「僕が……Eランクに?」
「はい」
受付嬢は手元の書類に目を落としながら続ける。
「依頼達成数、討伐実績、依頼ごとの評価。それから、講習をきちんと受けて実践されていること。総合的に見て、Eランク相当と判断しました」
「……災厄だから、ということでは」
思わず、そう尋ねていた。
これまで、僕は何度も「災厄」という言葉だけで判断されてきた。
だからこそ、今回もそうなのではないか。そんな疑念が、反射的に湧いた。
「いいえ」
受付嬢は、はっきりと首を振った。
「あなたが積み重ねてきた実績を見て判断しています。それだけです」
「…………」
胸の奥が静かに熱くなった。僕の名前を呼んでくれた木製のプレート。自分で受けた依頼。自分で倒した魔物。自分で稼いだお金。その一つ一つが、ちゃんと積み重なっていた。
「……分かりました」
僕は小さく息を吐いた。
「受けさせてください」
「では、試験は三日後です」
「はい」
受付嬢はいつも通り淡々と頷いた。けれど、ギルドを出たあとも、胸の奥に残った熱は消えなかった。
*
三日後。
ギルドの裏手にある広場には、僕を含めて数人のFランク冒険者が集まっていた。
誰も、僕には近づかない。
少し離れた場所で、何人かが小声で話している。
「……あれって」
「災厄……?」
聞こえてくる声。けれど、以前ほど気にならなくなっている自分に、少しだけ驚いた。
もちろん、完全に平気なわけじゃない。ただ、今の僕には、やることがある。目の前の試験に集中すればいい。
しばらくして、試験官が姿を現した。屈強な体つきをした壮年の男だった。長年、冒険者として活動してきたのだろう。顔や腕には、いくつもの古い傷が残っている。試験官は受験者たちを一様に見渡すと、淡々と口を開いた。
「試験は二部構成だ」
その声に、周囲が静かになる。
「第一に、知識の確認。第二に、実地試験を行う」
最初に行われたのは、簡単な筆記試験だった。地図の読み方。方角の判断。魔物の生態。薬草の見分け方。
そして――依頼内容の正しい理解。
僕は、一つずつ問題を解いていく。講習で教わったこと。これまでの依頼で経験したこと。それらを思い出しながら、答えを書き込んでいった。
やがて、試験官が答案を回収する。
「続いて、実地試験に移る」
試験官が地図を配りながら説明を続けた。
「指定した地点まで移動し、指示された薬草の採取、小型魔物の討伐、周辺の安全確認を行え」
地図を見る。目的地は森の中にある小さな泉。距離はそれほど遠くない。
「規定時間内に帰還すること」
そして、最後に試験官は受験者たちを見渡して言った。
「必要以上に魔物を追わないこと。これも評価対象に含む」
「……」
その一言に、思わず息を呑んだ。頭の中に、あの日の光景が蘇る。逃げていくゴブリン。追いかけた僕は気づけば、知らない森の中。
そして――夕暮れ。
「……今度は、同じ失敗をしない」
小さく、自分に言い聞かせた。
「試験開始」
試験官の合図と同時に、受験者たちがそれぞれの方向へ散っていく。僕も地図を片手に、森へ足を踏み入れた。
*
森へ入ってすぐ。僕は立ち止まり、周囲を見渡した。大きな木。少し先にある岩。地面の傾斜。太陽の位置。
講習で教わったことを思い出しながら、現在地を確認する。
「……ここから、北東」
地図を見る。進むべき方向を決め、歩き始める。以前とは違う。ただ前へ進むのではなく、周囲を確認しながら進む。少し歩くたびに、目印になるものを覚えていく。
やがて、目的地までの途中で薬草を見つけた。
「……これだ」
指定された薬草。葉の形を確認してから、慎重に採取する。その直後、茂みが揺れた。
「……!」
緑色の小さな身体が姿を現す。コボルトだ。棍棒を構え、こちらへ向かってくる。
僕は一歩だけ下がり、右手へ意識を集中させる。黒い霧が、薄く指先を覆う。
コボルトが棍棒を振り下ろした。身体を横へずらす。その勢いを利用して、右手を振り抜く。
――一撃。
コボルトが地面へ倒れた。
「……これでいい」
討伐証明となる部位を回収する。そして、すぐに周囲を確認した。他に魔物はいない。
「……行こう」
僕は再び歩き始めた。
*
しばらくして、指定地点である泉が見えてきた。
「……あった」
水面が静かに揺れている。僕は泉の周辺をゆっくりと見回した。安全確認。魔物の痕跡。不自然なものがないか。一つずつ確認していく。
そのときだった。
「……これは」
泉の近くの草むらの中に、小さな魔物の死骸が転がっていた。ただの死骸ではない。
身体の一部に――黒い斑点が広がっていた。
「……また、これだ」
植物で見たもの。ゴブリンの死骸で見たもの。それとよく似ている。
なぜ、こんな場所にある?なぜ、また同じ斑点が……。
頭の中に、いくつもの疑問が浮かんだ。
僕はゆっくりと手を伸ばすが、指先が触れる直前で止めた。
「…………」
今は、試験中だ。分からないものに、わざわざ近づく必要はない。確かめるのは、帰ってからでもできる。以前の僕なら、迷わず触れていただろう。
でも今は違う。目の前にある目的を優先する。僕は死骸から少し離れた。
そして周囲を確認し、異常がないことを確かめる。地図へ簡単な印をつけた。
「……帰ろう」
試験の目的は、まだ終わっていない。規定時間内に戻る。それまでが試験だ。
僕は地図を握り直し、来た道へ向かって歩き始めた。けれど、森の奥から小さな物音が聞こえた。
「……?」
足を止める。木々の向こうに何かが動いたような気がした。僕は目を凝らした。
――一瞬。
木々の間を、緑色の影が横切った。そして、その影の奥から、もう一つ。
さらに、もう一つ。
「…………」
僕は息を潜めた。何かがおかしい。そんな感覚だけが、胸の奥に残った。




