↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
10/17

第十話 学ぶということ

 翌日、ギルドの一角にある小さな講習室へ向かった。


 受付嬢が用意してくれた、初心者向けの講習。地図の読み方。森での目印の付け方。簡単な野営の知識。そして、依頼中に注意すべきこと。


 昨日の失敗を思い出しながら、僕は扉を開けた。部屋には、すでに数人の新人冒険者たちが席についていた。僕と同じくらいの年齢か少し年上だろうか。


 彼らは互いに軽く言葉を交わしながら、講習が始まるのを待っている。僕が部屋へ入った瞬間。何人かの視線が、一斉にこちらへ向いた。


「……」


 一瞬の沈黙。それから、誰かが小さく耳打ちする声が聞こえた。


「あれが……」


「……災厄、だろ」


 聞こえないふりをして、僕は一番後ろの席へ向かった。誰かと目が合うことはなかった


 ――慣れている。


 そのはずだった。それでも、胸の奥がわずかに軋む。屋敷にいた頃も、同じだった。


 視線を向けられれば、そこには嫌悪があった。声をかければ、拒絶された。


 けれど――今は違う。


 ここにいる人たちは、僕のことを何も知らない。ただ、「災厄」という噂を聞いて、距離を取っているだけだ。


 それだけのこと。そう思えば、少しだけ気持ちを落ち着けることができた。


 *


 しばらくして、講師が入ってきた。中年の男性だった。長年、冒険者として活動してきたのだろう。身体にはいくつもの古い傷が残っている。


「今日は初心者向けの講習だ。難しいことはしない」


 講師は受講者を見回した。


「だが、一つだけ覚えて帰ってほしい」


 黒板に、一本の線を引く。


「冒険者は、魔物を倒すだけが仕事じゃない」


 その言葉に、僕の手が止まった。


「依頼には必ず目的がある。討伐なら討伐。護衛なら護衛。採取なら採取だ」


 講師は淡々と説明を続ける。


「目的を忘れて魔物を追いかけたり、予定された範囲を勝手に離れたりすれば、それだけで失敗になる」


「……」


 まるで、昨日の僕のことを言われているようだった。


「強さだけで生き残れるほど、冒険者の仕事は甘くない」


 胸に、その言葉が残った。続いて、森で迷わないための方法が説明される。


「太陽の位置。風向き。地形。木々の形。目印になる岩や川」


 講師は黒板へ簡単な森の図を描いていく。


「一つだけを信じるな。複数の情報を使って、自分の位置を確認しろ」


 僕は必死に書き留めた。昨日の失敗を、無駄にしたくなかった。


「そして、森へ入る前に帰還予定時刻を決めておけ」


 講師が言う。


「予定を過ぎたら、依頼を続けるんじゃない。戻る判断をしろ」


 僕は小さく頷いた。


 ――昨日、僕に足りなかったものだ。


 *


 講習の後半。


「じゃあ、実際に地図を作ってみろ」


 講師が簡単な地図を配る。


「二人一組で――」


 その言葉と同時に、周囲の受講者たちが動き始めた。


「一緒にやろう」


「ああ」


 自然と組ができていく。僕の周囲だけが、静かに空いていった。


「……一人でやります」


 小さく申し出る。講師は特に気に留める様子もなく頷いた。


「構わない。一人でも、やることは同じだ」


「はい」


 僕は一人で地図へ向き合った。周りからは、組んだ相手同士の小さな会話や笑い声が聞こえてくる。


 けれど、僕は気にしないようにした。地図を見る。分かれ道。大きな岩。川。森の入口。


 一つずつ確認しながら、紙へ書き込んでいく。――知識が増えていく。


 それだけで、少しだけ安心できた。


 *


 講習が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。


「お疲れ」


「また明日な」


「今度、一緒に依頼受けようぜ」


 新人たちは連れ立って、講習室を出ていく僕は少し遅れて、一人で部屋を出た。誰かと言葉を交わすこともなく、宿への道を歩く。

寂しくないと言えば、嘘になる。でも、この孤独には、以前とは少し違う質感があった。


 屋敷での孤独は――


 拒絶され、否定される痛みだった。


 今の孤独は――


 ただ、まだ誰にも近づけていないだけ。静かな距離だった。


「……いつか」


 誰かと普通に話せる日が来るのだろうか。そんなことを考えながら、僕は夜道を歩いた。


 *


 数日後。


 僕は森の奥にある薬草の群生地を訪ねる依頼を受けた。街道からかなり離れた場所だ。以前の僕なら、少し不安になっていただろう。

でも、今日は違った。森へ入る前。僕は懐から小さな紙とペンを取り出した。


「……ここから入って」


 周囲を見渡す。


「大きな木が一つ。そこから少し進むと岩」


 簡単な地図へ、目印を書き込んでいく。太陽の位置も確認する。進むたびに、今いる場所を意識する。


 ――昨日までの僕なら、こんなことはしていなかった。


 ただ目的地へ向かって歩いていただろう。薬草の群生地へ到着する。


「……あった」


 必要な薬草を確認し、丁寧に採取していく。

その途中に少し離れた場所で、何かが動いた。


「……魔物?」


 目を凝らす。小型のゴブリンだった。こちらに気づいたゴブリンが、森の奥へ走っていく。


「……」


 反射的に、一歩踏み出しかけた。


 ――追う。


 そう思った瞬間。昨日の失敗が頭をよぎった。森の中。見失った道。夕暮れ。街道へ戻れなくなった恐怖。


「……いや」


 僕は足を止めた。


「今回の依頼は、薬草の採取だ」


 ゴブリンを倒すことじゃない。僕は周囲を見渡した。今いる場所。帰る方向。予定している時間。


「……追わなくていい」


 ゴブリンの姿は、すでに木々の向こうへ消えていた。僕はそのまま採取を続けた。


 依頼を終えたあと。来た道を、地図を確認しながら戻る。何度か立ち止まり、目印を確認する。


 *


 森を抜ける。目の前に街道が現れた。


「……戻れた」


 思わず、小さく笑った。昨日までなら、魔物を追っていた。今日は追わなかった。


 昨日は、森で迷った。今日は、迷わず戻ってこられた。ほんの小さな違い。けれど、僕にとっては、大きな違いだった。


「……ちゃんと、覚えてる」


 講習で教わったこと。昨日の失敗。その全部が、少しずつ自分の中に積み重なっている。力だけでは、駄目だった。


 知らないなら、知ればいい。できないなら、覚えればいい。失敗したなら、次に活かせばいい。


 僕は胸元の木製プレートへ、そっと触れた。


「……次は、何を覚えよう」


 夕暮れの街道を、僕はゆっくりと歩き始めた。その足取りは、数日前よりほんの少しだけ軽かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。