第八十四話 試運転
夏休みも残すところあと少し。
二学期への憂鬱が募る中、喫茶メロウに、とあるものが届いた。
「おお! これは……!」
「じゃーん! やっと届きましたぁ!」
カウンターに置かれたエスプレッソマシンを見て、思わず飛び跳ねそうになる。
これからは、この店でラテを淹れることができるというわけだ。嬉しい。嬉しすぎる。
「やっとこの日が来たね」
「はい……!」
今日という今日を、本当に心待ちにしていた。楽しみすぎて、毎晩、何度も何度もイメージトレーニングするくらい、心待ちにしていた。
しかし、所詮は妄想。上手くいくビジョンを思い浮かべたところで、実際に触れてみないことには、何も分からない。
早速準備を始めようとしたところで、しずくが店に飛び込んできた。
「こんにちはー! あっ! それ、もしかして!」
「いらっしゃい、しずくちゃん。そうそう、今日やった届いたんだぁ」
「すごっ! ぴかぴかですねっ!」
しずくが、興奮気味にマシンを眺める。そんな彼女に対し、俺は得意げな顔をしながら、ポルタフィルターを見せた。
「あっ! えっと……ポルタフィルターだ!」
「正解。よく覚えてたな」
「ふふ、私の灰色の脳細胞を舐めないでよね」
そう言いながら、しずくは胸を張った。今のセリフは、確か以前、しずくが演じた探偵キャラの決め台詞だった。
生で聞けたことに感動しつつ、俺はポルタフィルターを手渡す。
「わっ、意外と重たい!」
「高級感があっていいよな……!」
何より、この木製グリップの握り心地がたまらない。ずっと握っていたくなるほど、手に馴染む。
俺がポルタフィルターを眺めていると、しずくが突然、くすくすと笑い出す。その隣で、歌原さんまで笑い始めた。
「な、なんですか……?」
「だって、こんなに興奮した純太郎、初めて見たんだもん」
「そうだよぉ。いつもは物静か~って感じだもん。純くんって、ほんとかわいいねぇ」
二人は、ついに顔を見合わせて笑い始めた。
そんなにはしゃいでいただろうか? 自分の言動を思い返してみる。
――――確かに、めちゃくちゃテンション高いな、俺。
自覚した途端に、羞恥心が押し寄せてきた。顔がかぁっと熱くなり、二人と視線を合わせられなくなる。
「あっ、からかってごめんね? ほら、早速使ってみようよ」
「……なんか、子ども扱いしてませんか?」
「そ、そんなことないよぉ?」
歌原さんの目が、珍しく泳いでいた。
――――まあいっか。
今はとにかく、エスプレッソマシンのことだ。電源は刺さっている。水のタンクもセットした。起動する準備は整っている。
「じゃあ、押します……!」
電源ボタンを押す。すると、ぶーという音がして、起動状態のランプが点灯した。
「おお~! 早速エスプレッソを淹れるんだね⁉」
「いや、マシンが温まるまで十分くらいかかるから、少し待機だ」
内部のボイラーがちゃんと温まらないと、抽出が上手くいかない。
するとしずくが、がくっと肩を落とした。
「えぇ……そんなに待つのに、めっちゃ気合い入れてたの……?」
「ああ、やっぱり記念すべき初起動だし」
「ほんと、楽しみだったんだね」
やれやれと言った顔で、しずくは俺の肩をつついた。
それから三人でしゃべっているうちに、あっという間に十分くらい経ってしまった。そろそろ、マシンも温まったことだろう。
まずはお湯出しから。歯車型のハンドルを捻ると、抽出口から、ぼたぼたとお湯が落ちる。ちゃんと湯気が出ているのを見て、温まっていることを確認したら、抽出準備は完了。
電動ミルを使って、豆を極細挽きに。
――――ちなみに、今回使用する豆は、普段ドリップコーヒーに使用しているブレンドとは、まったく異なるブレンドだ。歌原さんが、ベトナムのロブスタ種を中心に、フルーティでコク深い味わいになるよう、特別に配合してくれたのだ。
ロブスタ種というのは、コーヒーの品種のことであり、世界中で生産されるコーヒー豆の、約三から四割ほどを占めている。特徴としては、強い生命力を持ち、立地の影響を受けづらいこと。味は、苦味が強く、コク深い。ただ、土臭いと言われることもあり、そのまま飲むのは苦手という人も多い。故に、その真価はブレンドで発揮される。強い苦味とコクが、コーヒーらしさを出すのにぴったりなのだ。
そして、エスプレッソにおいては、クレマ――――いわゆる乳化によって発生した泡が、他の品種に比べて出やすいという特徴がある。そのため、エスプレッソ用の豆として、よくブレンドに使われている印象だ。
コーヒー粉を、ポルタフィルターへ入れる。軽く均して、タンピング。このとき、かける圧力は十五からニ十キロが適しているらしい。
この日のために、何度もタンピングの練習はした。しかし、本番となると少しだけ緊張した。
そしてポルタフィルターを、エスプレッソマシンにセットする。
抽出口の真下にカップを置いて、いよいよ抽出。再び、ハンドルを捻る。
すると、黒い液体が、勢いよく流れ落ちてきた。
「あれ? イベントのときと、なんか違う?」
しずくが首を傾げる。
液体の勢いがよすぎるあまり、周囲に黒い水滴が飛び散っていく。これはもう、明らかに失敗だ。
「挽き目が粗すぎたみたいだな……」
水滴がついた部分を拭きながら、俺は顔をしかめた。
挽き目が粗いと、圧力が逃げて、水っぽいエスプレッソになってしまう。試しに飲んでみたが、やはりコーヒーの旨味とコクが弱く、あまり美味しくない。
こういうときの解決策は、至極単純。挽き目をさらに細かくすればいい。
挽き目の段階を細かくして、同じ工程を繰り返す。すると、今度はとろとろの液体が流れ落ちてきた。
「おお……!」
思わず、ガッツポーズしてしまった。
イベントで飲んだエスプレッソと、まったく同じ落ち方だ。
「んーっ! 美味しい! イベントのときと近い!」
「お~! これは確かに美味しいねぇ」
二人の反応も、かなり好感触だ。
さて、次はこれをラテにしていくわけだが――――。
「――――なにこれ?」
目の前に置かれた〝カフェラテもどき〟を見て、しずくは目を細める。




