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第八十一話 意外な特技

 花火大会当日。

 夕方、俺は歌原さんに呼ばれ、喫茶メロウに向かっていた。

 しずくとの待ち合わせまでには終わると言っていたが――――。


「よお」


 カウンターに座っている女性が、俺に声をかけてきた。

 黒いオフショルダーのトップスに、デニムのボトムス。靴は厚底のブーツで、首元にはシルバーのネックレス。

 まったく見覚えがない人だ。俺が困惑していると、女性はため息をついて、顔をぐいっと近づけてきた。すると、どこかで見た顔だと気づく。

 俺たちの担任である真宮先生の顔が、ぼんやりと目の前の女性と重なった。


「真宮……先生?」

「アキラちゃんと呼べ」


 真宮先生は、いつも通り気怠そうな態度で、そう言った。


「なんで気づかねぇんだよ」

「それは、その……いつもの隈がなかったので」

「メイクで隠してんだよ。プールのときといい、お前、あたしを隈で判別してるのか?」


 ドン引きした顔になった真宮先生に対し、慌てて首を横に振る。


「そ、そもそも、どうして真宮先生が……」

「アキラちゃんと呼べ。別に、ただコーヒー飲みにきただけだよ」


 ああ、まあ、そうだよな。真宮先生と歌原さんは、親友みたいだし、飲みにくることくらいあるか。

 しかし、カウンターにいた歌原さんは、不満そうに頬を膨らませた。


「もう、違うでしょ? 純くんとしずくちゃんの着付けをしに来てくれたんでしょ?」

「はいはい、分かってるよ」


 真宮先生が、肩を竦める。


――――あれ、今、真宮先生が着付けするって言わなかったか?


 俺が混乱していると、歌原さんがくすっと笑う。


「実はね、アキラの実家って、老舗の呉服屋さんなの。だから、着付けのやり方とか、小さい頃から叩き込まれたんだって」

「跡を継ぐつもりはねぇのに、迷惑な話だ」


 そう言って、真宮先生はアイスコーヒーを飲み干し、残った氷をぼりぼりと食べ始めた。

 正直、彼女が着付けをしている姿が、まったくイメージできない。むしろ、洋服なんてどうでもいいくらいの人だと思っていた。


「浴衣も用意してくれたから。純くんも裏で着替えてきたら?」

「え……俺の浴衣ってことですか?」

「うんっ。せっかくしずくちゃんが浴衣着るって言ってるんだから、純くんも着たほうがいいと思って」


 歌原さんは、にこにこと笑いながら言った。


――――なるほど、だから俺を呼んだのか。


 少々強引だが、歌原さんの意見は一理ある。二人とも浴衣のほうが、花火大会の雰囲気を、より楽しめるかもしれない。 


「しずくちゃんが来る前に、着替えちゃいな。待ち合わせのときに、サプライズしちゃおうよ」


 歌原さんは、悪戯っぽい笑みを浮かべた。その様子に、真宮先生が再びため息をついて、席を立つ。


「そんじゃ、裏に用意があるから」

「よ、よろしくお願いします」

「ん」


 お店の奥には、焙煎機や豆のストックが置かれた部屋と、簡易的な休憩室がある。

 休憩室には、浴衣と思われる箱が、二つ並んでいた。


「神坂のやつは見せねぇぞ。由美からもきつく言われてるからな」

「分かってますよ」


 確かに気になりはするが、それが野暮だということくらいは分かる。

 真宮先生は、てきぱきと着付けを進めていく。浴衣のことはよく分からないけれど、真宮先生の手際が、すごくいいことだけは分かった。


「ほっせぇな。ちゃんと飯食ってんのか?」

「はい。まあ、人並みには」

「ならいいけど」


 心配してくれたのだろうか?

 そういえば、しずくが仕事で忙しいときも、真宮先生はずっと心配してくれていたっけ。

 見かけによらず、本当に生徒想いの人だ。


「神坂とは上手くやってんのか?」

「どういう質問ですか……」

「生徒同士の関係性を把握しておくのも、教師の役目だからな」


 絶妙に反論しづらいことを言われた。

 なんて答えようか迷っているうちに、真宮先生はふっと笑った。


「これから花火見にいこうってやつらが、上手くやってないわけねぇか」

「まあ、そうですね。なんか、改めて言うと恥ずかしいですけど」

「悪い悪い。そうだ、お前から見て、神坂の調子はどうだ? 仕事とか、上手くいってそうか?」

「体調も仕事も、いい調子だと思います。むしろ、仕事が楽しくて仕方ないって感じで」


 夏休み前と比べれば、とても生き生き仕事をしていると思う。それに、最近はますます張り切っているようだ。同棲の話が出たことがきっかけらしい。

「貯金しとかないとね!」と、かなり前向きに考えているようだった。

 しずくばかりに苦労させるわけにはいかない。もともと、バイト代を使い込むようなことはせず、こつこつ貯めている俺も、これからは一層気を引き締めていこうと思った。


「そうか。ま、お前が言うなら大丈夫なんだろう」

「なんで、そんなに信用してくれるんですか?」

「お前が、由美と似てるからかな」


 そう言って、真宮先生は小さく笑った。


「お前らは、周りをよく見てるっつーか、些細な変化にもよく気づくだろ」

「そう、ですかね」


 正直、自覚はまったくない。ただ、お客さんを見ていると、何を思っているのか、なんとなく分かるときがある。真宮先生は、その感覚のことを言っているのかもしれない。


「神坂がどんなに強がったところで、お前の目は誤魔化せねぇ。だから、あいつのそばにお前がいるってのは、こっちとしても安心なんだ」

「……そんなふうに言ってもらえて、嬉しいです」

「けどな、まだお前らは学生なんだから、節度を守った付き合いをしろよ?」

「それは大丈夫です」

「ほんとか? 盛りのついた猿みたいに、いちゃこらいちゃこらしてんじゃないだろうな」

「してませんって!」


 顔を赤くしながら叫ぶと、真宮先生は「はっはっは」と乾いた笑いをこぼした。


「いいよなぁ、この年で恋人とかよぉ。あたしなんて、ここ数年ずっといねぇんだからな」

「え、なんでですか?」

「なんで? どういう意味だよ」


 真宮先生が、むすっと頬を膨らませた。慌てて首を横に振る。


「へ、変な意味じゃなくて……真宮先生って、美人だし、優しいから、恋人がいないのが信じられなくて」

「……お前、いつもそうやって女を口説いてんのか?」

「口説く⁉」


 慌てふためく俺の様子を見て、さっきとは違い、真宮先生は普通に笑い声を漏らした。


「なるほど、素直なだけか」

「何に納得したんですか……?」

「別に。お前には、裏表ってのがないんだな」


 真宮先生は、そう言って結び終わった帯を叩いた。


「ほい、これで完成だ」

「おぉ……」


 手鏡に映った、紺色の浴衣姿の俺は、普段よりも、少し大人びて見えた。しかし、腰に巻かれた白い帯が爽やかなおかげで、重たすぎない印象に仕上げてくれている。


「ありがとうございます……!」

「気に入ったなら何よりだ。そろそろ神坂が来る。お前は、待ち合わせの時間までぶらぶらしとけ」


 俺は真宮先生に深々と頭を下げ、喫茶メロウをあとにした。

 いつもと違う格好で外を歩くのは、少し恥ずかしい。しかし、それも少しずつ慣れてきて、やがては、とても浮かれている自分がいることに気づいた。


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