第八十話 未来のための話し合い
俺は、それをじっと見つめ返す。
「……あ、あの……何か言ってもらえると助かるんだけど」
しずくは目を泳がせながら、すっと身を引いた。
「ああ、いい考えだなって思って」
「いい考えって……え⁉ もしかして乗り気⁉」
しずくはおろおろしながら、大きく仰け反る。
「じ、自分から言い出しておいてなんだけど……こういうのはよく考えたほうがいいと思うっていうか……ほら、私って、気を抜くと結構だらしない生活しちゃうし……家事とか、あんまやってこなかったから、迷惑かけちゃうかもしれないし……」
縮こまったしずくは、指先でストローのゴミをつつく。そして、ちらちらと俺の様子を窺い始めた。その瞳には、不安と、わずかな期待が込められている。
「任せてくれるなら、家事は全部俺がやるけど」
「え⁉」
しずくの体が、びくっと跳ねる。
「家事は得意なほうだし。しずくの食べたいものとか、用意するよ」
「ぐっ……魅力的すぎる……!」
腕を組んで、しずくは天井を仰ぐ。
さっきから、リアクションがころころ変わって面白いな。
「もしや……毎朝、純太郎のコーヒーが飲める?」
「ああ、もちろん」
朝だけと言わず、時間があるときは、いつだって。
そう伝えると、しずくは頬を赤らめて、ついには俯いてしまった。
「……ずるい。それじゃあ、私ばっかりもらってるじゃん」
「俺は、しずくがいてくれたらそれで――――」
「ダメダメ! そんなんじゃダメ! 同棲するなら、やっぱり対等じゃないと!」
しずくは、仕事で使っているであろうメモ帳を取り出し、広げた。
「今から同棲会議をします。ここから先は、冗談でしたじゃ済まないからね!」
「は、はい」
なんだか、大事になってきたな。まあ、俺としても冗談のつもりはなかったし、前向きな話し合いであれば大歓迎だ。
「まず、家事は分担します」
「え……」
「なんでいきなり心配そうな顔になるの!」
しずくが、インターホンを押すかのように、俺の頬をつついた。不満そうな彼女に、俺は両手を上げて敵意がないことを示す。
「ごめん……でも、あんまりやってこなかったって」
「これからやるの! 高校卒業までに、めっちゃ女子力上げる!」
しずくは、ぷにぷにと俺の頬を連続でつついた。この調子でつつかれたら、いずれ頬に指の痕が残りそうだ。
「料理は任せるにしても、せめて洗濯とか、掃除くらいはやるよ」
「でも、そこまでしたら、負担が大きすぎないか?」
まず忙しさが違う。しずくの仕事は、ほぼ毎日。休みはあまりないし、日によっては朝から晩まで働くなんてこともある。そんな状態で家事までやろうものなら、体が休まらない。
「うっ……じゃあ代わりに、家賃を多めに払う、とか」
「それは逆に、こっちが申し訳ないな……」
「いやいや! これくらいはさせてくれないと!」
それから俺たちは、同棲について色々と話し合い、やがて結論を出した。
「――――じゃあ読み上げるよ? 家賃は私が7、純太郎が3! 家事は全部純太郎! 日用品代は私持ち! 光熱費は折半! これでいいよね⁉」
「ああ、いいと思う」
達成感を抱きながら、俺たちは握手をかわした。
「はぁ……面白かった」
しずくはけらけらと笑って、二杯目のアイスコーヒーを飲み干した。
そして、少しだけ真剣な顔になって。
「本当にいつか、同棲できたらいいね」
「……そうだな」
実際、壁はたくさんある。
理想的な部屋が借りられるかも分からないし、第一、両親への挨拶という、とても大きな関門を突破しなければならない。特に、しずくのご両親からすれば、自分の愛娘が、突然男と同棲するなんて言い出したら、卒倒したっておかしくない。
俺には、誠実な対応を取る義務がある。
「ま、いつか絶対同棲を始めるとして……まずは、高校生っぽいことを楽しまないとね」
にっと笑ったしずくは、バッグから一枚のチラシを取り出した。
「――――花火大会?」
「うん。この日さ、ちょうど仕事が夕方で終わりなんだよね。一緒に行かない?」
「ああ、いいよ」
「やった! 約束だからね!」
花火大会なんて、最後に行ったのは、本当に幼い頃だったと思う。父さんに肩車してもらった朧げな思い出だけが、記憶に残っていた。
「せっかくだし、浴衣着ようかなぁ」
「しずくの浴衣か……」
しずくの浴衣姿を想像する。……うん、絶対に似合う。どんな色でもばっちり着こなしているところが、簡単に想像できた。
「でも、小さい頃のやつしか持ってないんだよねぇ。かといって、レンタルだと混みそうだしなぁ……」
どうしようかなぁ、としずくが唸る。
「――――あ、花火大会行くの?」
ちょうどテーブルのそばを通った歌原さんが、チラシを見て言った。
「はい! 純太郎と行こうと思ってて」
「なるほどねぇ。そうだ、浴衣の着付けなら、できる人知ってるよ?」
「え、ほんとですか⁉」
しずくが勢いよく立ち上がる。
歌原さんは、スマホを操作しながら言葉を続ける。
「頼んでみよっか? 多分、すぐやってくれると思う。浴衣も貸してもらえると思うよ」
「やったー! ぜひお願いします!」
「はいは~い」
歌原さんは、朗らかに手を振って、カウンターへ戻っていった。
もしかすると、しずくの浴衣姿が見られるかもしれない。そんな希望が見えてきた途端、俺は自然と笑みを浮かべていた。




