表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
73/85

第七十三話 もえ、もえ

 それから、コーヒー器具のブースをいくつか回って、カタログを集めた。ほどほどに試飲をして、大体回り切ったかというところで、俺はあるものを見つけた。


「あれ、この豆は……」


 そこには『チャイナ』と書かれた豆が置いてあった。

 中国の徳広(デーホン)で採れた豆らしい。スペシャルティコーヒーの産地として有名なのは知っていたが、この目で見るのは初めてだった。

 ブースの人に試飲を頼み、カップを受け取る。このブースは、アイスで提供しているらしい。会場を歩き回って火照った体には、とてもありがたかった。

 匂いを嗅いでみると、トロピカルな香りが鼻に抜けた。今までに飲んできたどんな豆よりも、フルーティな印象で、思わず目を見開く。

 ひと口飲んで、さらに驚く。はっきりと感じる、ライチやピーチの風味。それから、炭酸飲料を飲んだときのような清涼感が、一気に駆け抜ける。


「わぉ、めっちゃ爽やか……! 東京駅で飲んだやつもジュースみたいだったけど、これはもっとすごいね!」

「ああ……ここまですっきりしたコーヒーは、初めて飲んだな」

「そうだ! これさ、マスターのお土産にどうかな?」

「あ、それいいかも」


 この、良い意味でコーヒーらしくない豆を、歌原さんが淹れたら、一体どうなるのだろう? 

 一度気になってしまえば、試さずにはいられない。俺は、チャイナの豆を二百グラム購入した。また手に感じる重みが増える。

 しかし、歌原さんのコーヒーを思えば、この程度はなんてことない。大阪を離れるのは名残惜しいが、これで東京に帰る楽しみが増えた。

 さて、残すところは、あと――――。


「お、純太郎ちゃん! しずくちゃん!」


 俺たちは、挨拶するために〝喫茶寅まる〟のブースへ向かった。

 寅松さんは、遠くからでもかなり目立つ、虎柄の法被を着ている。その隣にメイドさんを侍らせている構図は、まさにカオスそのものだ。


「アイちゃん! 昨日ぶり!」

「こんにちは。す、すごい列ですね……」


 彼女のブースの前には、長蛇の列ができていた。何故か男性ばかりで、鼻息が荒い人が多い気がする。


「おうおう、すごいやろ! 今日は〝メイドの愛がこもった・もえもえドリップコーヒー♡〟って商品で、絶賛ぼろ儲け中や! だっはっはっ!」


 なるほど、それで男性客ばかりなのか。

 昨日、俺と一緒に厨房を任されていたメイドさんが、抽出が終わったコーヒーに向かって、両手でハートを作る。


「はい、ご一緒に! もえ、もえ、きゅんっ♡」


 メイドさんの高い声が響く。

 昨日キッチンにいたから気がつかなかったが、この人も寅松さんにしっかり〝教育〟されているようだ。

 彼女の前に立つ男性は、大興奮でハートを作った。


「もえ、もえ、きゅん‼︎」


 男性の、野太い声が響く。


――――ここだけ、世界観が違いすぎないか?。


「そうや、しずくちゃ~ん……昨日渡した衣装、どうやったぁ?」


 寅松さんは、にやにやと悪い笑みを浮かべながら、しずくに擦り寄る。

 ぼっ、と顔を真っ赤にしたしずくは、反射的に口を開く。


「べ、別に! 何もありませんでしたよ!」

「ほ~ん……そかそか。ま、今後も大事に使ってや」

「ぐっ……まあ、たしかに……またリベンジするのはアリなのか……」

「せや。それに、もう一着(・・・・)用意したってええし」

「ええ……これ以上恥ずかしいのは嫌ですよ」

「ちゃうちゃう、しずくちゃん用やないで」


 しずくと寅松さんが、ぐるりと首を回して、俺のほうを向く。

 あ、嫌な予感がする。


「……着ませんよ」

「…………さて、仕事に戻りますかっと」

「あ、店長。こっちはもう手足りてます」

「ぐふっ」


 メイドさんの言葉に、撃沈する寅松さん。

 この人は、どうしてこうも愉快なのだろう。見習いたいようで、見習いたくない。


「くぅ〜! 純太郎ちゃんが女の子やったら、すぐスカウトしたのになぁ!」

「ええっ! ダメですよ! たとえ純太郎が女の子だったとしても、純太郎のもえもえきゅんは、私だけのものです!」


――――なんだそのヤキモチの焼き方は。


 俺が頭を抱えていると、寅松さんが豪快に笑い出す。


「だはは! ほんと、しずくちゃんは純太郎ちゃんが大好きやねぇ」

「そうですよ! 純太郎への愛なら、誰にも負けません!」


 しずくはそう言って、俺の腕に抱き着いた。汗ばんでるから申し訳ないと思いつつ、つい頬が緩む。


「かーっ! 見せつけてくれるわ! こーんなカワイイ子に、毎日好き好き言われるなんて、夢のようやなぁ」

「ああ……自慢の、彼女です」


 口ごもりながらそう言うと、しずくが隣で「えへへ」と笑った。

 その顔があまりにも可愛くて、それと同時に恥ずかしくもなってきて、俺は思わず押し黙る。


「ええなぁ、若いって……。よっしゃ、お姉ちゃんも負けてられん!」


 寅松さんは、どこからか真っ赤な鉢巻きを取り出すと、それを額に巻いた。


「ここからが後半戦や……! みんな、気張っていくでぇ!」

「あ、店長。雰囲気崩れちゃうんで、大人しくしててください」

「がーん!」


 寅松さんが、膝から崩れ落ちる。

 その様子を、俺たちは肩を揺らして見つめることしかできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ