第六十九話 目に焼きつける
しばらく歩くと、やっとホテルにたどり着いた。
ホテルに着く頃には、しずくも落ち着いた様子で、部屋に入るなりエアコンのもとへと駆け寄った。俺もしずくに倣って、エアコンの風を全身で浴びる。
空調が効いた部屋は、まさに天国だった。二人揃って「あぁ~」とだらしない声を漏らした。
「はぁ、今日もほんっと、暑かったねぇ……」
「本当にな……あ、先にシャワー行ってきていいよ」
「いいの? ありがと! 今すぐに汗もメイク落としたいと思ってたから、ちょー助かる。お言葉に甘えるね」
しずくが浴室に向かい、俺は部屋でひとりになる。
途中、コンビニで買ってきた水を飲みながら、ぼーっと窓の外を眺めた。
今日は朝からビュッフェに行き、色々なカフェを巡り、バイトまでやった。
とても濃密で特別な一日だった。一人では、こうはいかないだろう。
しかし、明日も楽しみな予定が盛りだくさんだ。小学生の頃、遠足が楽しみで眠れなかった夜を、ふと思い出す。それほどまでに、俺は浮かれていた。
「――――ふぅ、さっぱりした」
そう時間が経たないうちに、バスローブ姿のしずくが浴室から出てきた。
昨日と同じシチュエーションなのに、また胸が高鳴る。
「お、お疲れ。俺も入ってくる」
「はーい。いってら〜」
しずくと入れ替わりで浴室に入ると、ふわりと甘いシャンプーの香りがした。
どこにいても、しずくを感じる。逃げ道はなかった。滝行のごとく、頭から冷水をかぶる。
すると、心地良さのあまり、いつの間にか平静を取り戻していた。べたついた汗を流す感覚は、やはり最高だ。
いつもより入念に全身を洗ってから、俺は浴室を出る。
――――なんと、部屋にメイドがいる。
目を疑う光景に、反射的に頬をつねった。
ああ、痛い。これは現実である。どんな急展開なんだ、これは。
目をぐりぐり擦ってから、再びメイドに視線を向ける。
そのメイドは、間違いなくしずくだった。
「あっ……!」
鏡を見ていた彼女は、俺に気づくなりぽっと頬を赤く染めて、慌て始める。
「こ、これは! そ、その……寅松さんがくれた紙袋に入ってて……」
そう言って、しずくはミニスカートの裾を押さえた。
しずくが今着ているメイド服は、喫茶寅まるの制服であるクラシカルメイドではない。
秋葉原でよく見るような、スカートが短く、露出が多いタイプだった。
特に目を惹くのは、胸元に空いたハート型の穴。その穴から、深い谷間が覗いている。
明らかな悪ふざけ。「盛り上がる」という言葉の意味は、きっと夜にまつわることだ。この服も、寅松さんの趣味だろうか? 相当趣味が――――いいな。
「ちょ、ちょっと……なんか言ってよ」
しずくの頬の赤みは、さらに増していく。ついには、全身がぷるぷると震え出す。
そんなに恥ずかしいのなら、何故着たりしたのだろう――――そんな疑問を投げかけたいのに、浴室を出たらメイドがいたという非現実的なシチュエーションのせいで、言葉が上手く出てこない。
俺が口をぱくぱくと動かしていると、しずくは何かを察したようで、そっと目を逸らした。
「な、なんで着たのかっていうと……その……結構可愛いなって思ったのと……純太郎がびっくりするかなって思ったのと……喜んでもらえるかなって……」
もじもじと体を小刻みに揺らしながら、しずくは俺の顔色を窺った。
「か……可愛いと、思う。すごく」
かろうじて絞り出せたのは、そんな単純な言葉だった。
しずくは、再び目を逸らして、髪の先端を指で弄り始める。
「まあ……それほどでもあるけど……?」
それから、やけに気まずい沈黙が流れた。
初めての状況に、どうしていいか分からない。時間だけが、ただ悪戯に過ぎていく。
「……目に焼きつけた?」
「え?」
「写真とか撮っちゃダメだから! こんな格好の私が見られるの、今だけだよ!」
しずくは、腰に手を当て、むんっと胸を張る。そのとき、彼女の豊かな胸が、跳ねるように揺れた。
「だ、大丈夫……焼きつけた……!」
「よろしい! ……じゃあ、あの、着替えるから、ちょっと向こう見てて」
「あ、うん」
背中を向けた途端、衣擦れの音が聞こえてきた。なんという生々しさ。
落ち着いていたはずの胸の高鳴りは、いつの間にかまた、そこにいた。




