第六十八話 それ禁止
「――――ほんじゃ、今日の給料ね! だいぶ色つけといたから!」
着替え終わったしずくと共に、寅松さんから茶封筒を受け取る。
「え⁉ こ、こんなに⁉」
「さすがにもらいすぎじゃ……」
寅松さんは、首を横に振った。
「見合った給料やと思うで? しずくちゃんのおかげで、今日はぎょうさんお客さんが来たし、純太郎ちゃんのドリップを見て、他の子たちの技術も上がったしな」
俺のドリップが、参考になったということか。そんな自覚はなかったが故に、やけに嬉しい。
「もしよかったら、また働きにきてな! 二人ならいつでも歓迎や!」
「はい! またメイドさんになりに来ます!」
「相変わらず、ええ返事や。あ、そうだ。これ、お土産ね」
寅松さんは、クッキーの詰め合わせと、ぱんぱんに張った大きな紙袋を渡してきた。
紙袋の口は閉じられており、その中身は窺えない。
「あの、これは……?」
「んー? そら、ホテル戻ってからのお楽しみや」
「え〜⁉ 気になるんですけど!」
「まあまあ……きっと、二人とも盛り上がると思うで?」
寅松さんが、ニヤリと笑う。
この表情と、この間は――――いや、今は考えないことにしよう。
「明日はうちのブースにも、ぜひ遊びに来てな!」
寅松さんに見送られ、俺たちは喫茶寅まるをあとにした。
気づけば、辺りはすっかり真っ暗だ。時折吹き抜ける風は、どこか生温く、徐々に汗が滲み始める。
しかし、労働をやり切ったあとの達成感の前には、そんな不快感などないに等しい。
「ふぅ……。疲れたけど、めっちゃ楽しかったね!」
軽やかな足取りのしずくが、夜空を見上げながら言った。
夜空には、夏の大三角形がくっきりと浮かんでいる。
「ああ、いい刺激になったな」
「うんうん。みんないい人だったし!」
「それにしても、メイド喫茶だったのは、ちょっとびっくりしたけどな」
「ねっ! でも、実はちょっと憧れてたから、着られて嬉しかったんだよねー、なんて」
しずくは、頬を薄く染めながら笑う。その瞳は、星くずのようにきらめいていた。
「へえ、そうだったのか。ちょっと意外だな」
「変、かな? ぶっちゃけほんとは、似合ってなかった?」
「まさか。すごい似合ってたよ。着られて良かったな」
「……うん。へへ、純太郎なら、そう言ってくれると思った〜」
しずくは照れ臭そうに、俺の服の裾を掴む。
彼女のこういういじらしいところが、すごく好きだ。何度でも褒めたくなってしまう。
「ほら私ってさー、仕事だと、クール系の服を着ることが多いでしょ? 私服もなるべく目立たないように、カジュアルなもの着てることがが多いし。だから、ああいう可愛い服って、あんまり着る機会がなくて。だから、たまーに着たくなるんだよね。フリルもりもりの、ちょ〜可愛い服!」
「なるほど。他の可愛い服も見てみたいな。似合いそうだし」
「当然! なんたって私ですから! 今度、ファッションショーしちゃおっかな〜。なんと特別、お客さんは純太郎だけ!」
「はは、特等席だな。楽しみにしてる」
「あ、冗談だと思ってるなー? もう、私を独り占めできる人なんて、純太郎しかいないんだからね?」
そう言って、しずくはちょっぴりいじけたあと、すぐにとびっきりの笑顔を見せた。
その顔がたまらなく愛おしくて、思わず目を細める。
「あ、そうだ! 明日のイベントのあとさ、アメ村行く予定じゃん?」
アメ村とは、心斎橋の西側に位置する〝アメリカ村〟と呼ばれるエリアの略称である。
古着屋や、音楽関係のショップが多く並んでいるとか。
「純太郎の服、私にコーディネートさせてくれない?」
「いいけど……俺の服なんか見て楽しいか?」
「もう、ほんと純太郎は女心が分かってないなぁ。純太郎のだから楽しいの!」
「そ、そうか。そこまで言うなら、お願いします」
「うんうん。分かればいいの、分かれば」
服に頓着がない身としては、ファッションの最前線にいるしずくに選んでもらうことに、ありがたいと思う反面、申し訳なさも感じていた。
まあ結局、しずくが楽しんでくれるのであれば、俺はなんでもいいのだが。
「純太郎ってさ、ぶっちゃけあんまファッション興味ないでしょ?」
その通りだと、俺は頷く。
先述した通り、俺は服に頓着がない。何故なら、自分には意味のないものだと勝手に決めつけていたからだ。しずくと出会ってからは、少しは気にするようになったが、それでもまだ、俺はファッションにあまり関心を持てずにいた。
流行に追いつける自信がないし、そもそも自分に何が似合うのかも分からない。結局、無難でカジュアルなものばかり身につけてしまう。
「――――じゃあさ、私の好きな格好させていいよね⁉」
「え? あ、ああ。着て欲しい服があるなら、俺はなんでも着るけど」
「よし! 言ったね⁉ なんでもって、言ったね⁉︎」
「あ、でも、その……あんまり恥ずかしい服とかは、勘弁して欲しい、かも」
――――例えば、メイド服とか。
寅松さんとしずくの会話を思い出し、うっすらと冷や汗をかく。
そんな心配をよそに、しずくは首をぶんぶんと横に振った。
「そこは心配しないで! 選ぶからには本気だから!」
しずくの瞳の中で、炎がめらめらと燃えている。
何がそんなに、彼女を突き動かすのだろう。やはり女性の心とは、難解である。
「はあ、楽しみだなぁ……。純太郎、結構スタイルいいし、着せ替え甲斐がありそうなんだよなぁ……」
「そ、そうか? 普通だと思うけど……」
「ちっちっち、純太郎は分かってないなぁ。君みたいなスタイルが好きな女の子って、いっぱいいるんだよ? メイドさんたちも、みんな褒めてたでしょ? それに――――何を隠そう、私だってそのひとりなんだから!」
しずくの指が、俺の肩をつつく。
この貧相な体の、どこに魅力があるというのだろう。いや、自分で考えたところで、分からないものは分からない。しずくが好んでくれるなら、それでいいではないか。
「まあ、しずくが好きって思ってくれるなら、俺は何されたっていいよ」
なんの気なしにそう言うと、突然、しずくの足がぴたりと止まる。
「……純太郎」
「ん?」
「そのセリフ、禁止!」
「ええ、なんでだ?」
「禁止なもんは禁止なの! ほら、帰るよ!」
しずくはそう言って、俺の手を強く引いた。
顔を伏せるようにして歩いているが、夜道でもわかるくらい、耳の裏まで真っ赤だ。
一体、俺の言葉の何が、しずくをこうさせたのだろう。考えてみても、今は分かりそうにない。我ながら、どこまでも鈍感なやつである。




