表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
66/85

第六十六話 よくない大人

 ちょうど、厨房の近くの席に座っていた中年の男性が、しずくを呼ぶ。


「はーい! ご注文お伺いいたします!」

「えっと、ブレンドのホットと――――って、し、SHIZUKU⁉」

「あ、気づかれちゃいました?」

「な、ナニコレ⁉ まさか、ドッキリ⁉」

「あはは、違いますよ。ここ、知り合いのお店で、お手伝いしに来たんです。あ、拡散はほどほどにしてくださいね?」


 お客さんが、こくこくと頷く。


「あ、あの、じゃあ、ツーショットでチェキとか、撮れますか……?」

「もちろん! サインも書いていいですか?」

「え、え、むしろいいんですか……⁉︎」

「はい! いつも応援ありがとうございます!」


 しずくは、お客さんとツーショットを撮ったのち、チェキにサインを書き込んだ。

それを受け取ったお客さんは、目を潤ませながら、しずくに何度もお礼を言っていた。

 その様子を見て、寅松さんが唸る。


「さすがしずくちゃん、いや、SHIZUKUや……! うちが教えることはもう、なんもあらへん!」


 寅松さんは、涙を拭う素振りをしてから、大きく頷いた。

 些かオーバーリアクションではあるが、今のしずくは俺から見ても素晴らしい接客だと思う。やったことがないと言っていたわりには、かなり様になっていた。あれぞまさしく、神対応というやつなのだろう。

 あのお客さんも、今日という日が、一生の思い出になったに違いない。


「いや……待てよ……?」


 寅松さんは数秒黙り込んだのち、その目をたちまち輝かせた。

 まだ出会って間もないが、今の間と表情から、ろくなことを考えていないということだけは分かった。


「あのSHIZUKUとツーショットが撮れるなんて、もっと金取らな損や。なんなら、大々的に売り出せば、この店もがっぽがっぽ間違いなし……!」


 寅松さんの瞳が、金のマークになっている。金に目が眩んでいる人を間近にするのは、これが初めてだった。なんというか、こういう大人にはなってはいけない気がする。

 そうこうしていると、接客を終えたしずくが、伝票を持って戻ってきた。


「ブレンドのホットと、イタリアンプリンひとつお願いします!」


 注文を受けた俺は、再びブレンドの用意をする。


「純太郎、調子はどう?」


 注文の品を待ちながら、しずくが俺のほうへ身を乗り出してきた。


「ああ、なんとか間に合ってるよ。しずくも、上手くやってるみたいだな」

「まあね! ちょっと緊張してるけど、ノリと勢いでなんとかしてる!」


 そう言って、しずくはピースした。


「あとは、女優の勉強をしたのが活きてるのかも。メイドさんになりきったら、結構なんとかなるよ」

「なるほどな……」


 俺には理解できない感覚だが、しずくが女優の仕事を経て成長したのだと思うと、なんだか少し誇らしい。

 しずくは「よしっ」と気合いを入れ直して、注文の品を受け取った。


「じゃあ、行ってくるね」

「ああ、頑張れ。終わったらコーヒー淹れるよ」

「やった!」


 しずくを見送ると、また新たな注文が入った。

 俺もぐっと気合いを入れ直して、電動ミルに豆を入れた。



 夢中になってコーヒーを淹れているうちに、気づけば閉店時間の二十時がすぐそこまで迫っていた。

 客足も落ち着いてきて、最後のお客さんが、今まさに退店した。


「はいはーい、お疲れさんお疲れさん!」


 最後のお客さんを見送って、寅松さんが手を叩く。


「ちゃちゃっと締め作業して、今日はおしまい!」


 寅松さんの号令を合図に、一斉に片付けが始まる。俺は厨房の片付け、しずくは、ホールの片付けを手伝った。


「あ、あの、SHIZUKUさん……!」

「はい!」


 締め作業が終わると、しずくが他のメイドさんにあっという間に囲まれてしまった。

 どうやら、ずっと話しかけるのを我慢していたらしい。


「すまんなぁ、純太郎ちゃん。しずくちゃん、ちょっと借りてもええか? みんな話したくてたまらんかったみたいで」

「はい、大丈夫ですよ。それにしても、皆さんすごいですね」


 業務中、誰ひとりとして、話しかけたいオーラを出していなかった。

しずくほどの有名人を前にして、感情を押し殺すというのは、なかなかできることではないと思う。


「おおきに。みんな長いこと店を支えてくれてる、自慢の仲間や。うちは、由美ほど高い技術を持ってへんからな。あの子たちがいないと、なーんもできへん」


 自虐的なことを言いながらも、寅松さんはけらけらと笑った。


「ま、そのぶん教育に関しては自信あんねんけどな。最初は恥ずかしがってた子も、今では立派なメイドさんや!」

「……ちなみに、あの制服って、何かこだわりが?」

「こだわり? そんな大層なもんちゃうよ。うちの趣味ってだけ」

「な、なるほど」


 一体どんな教育をすれば、メイド服が恥ずかしくなくなるのだろう。

 いや、想像するのはやめておこう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ