第六十話 サイフォン
「あら、若いお客さんだわ。いらっしゃいませ」
「二人なんですけど……」
「はいはい、こちらへどうぞ」
柔和な笑みを浮かべる奥さんに案内してもらい、窓際の席に座る。
「ご注文は?」
「ブレンドコーヒーで。しずくは?」
「私はブレンドのアイスと、この自家製チーズケーキをお願いします!」
しずくは、メニューに載った写真を指差しながら言った。
奥さんは嬉しそうに笑って、こくりと頷く。
「うちのチーズケーキは絶品ですよ。すぐにお持ちしますね」
カウンターに戻っていく奥さんを見送り、俺としずくは顔を見合わせる。
「私、こういう雰囲気大好きかも……!」
そう言いながら、しずくは体を揺らした。
「雰囲気も最高だけど、サイフォンで淹れたコーヒーがすごく美味しいって、結構有名らしい」
「へぇ……! えっと、サイフォンってあれのことだよね?」
しずくが、カウンターの上を指差す。
「そうそう」
「よく見かけるけどさ……あれってどうやって使うの?」
「うーん……原理としては、マキネッタにちょっと近いかな」
サイフォンは、三つのパーツに分けられる。
上に設置する、円筒状の容器『ロート』。
布でできた『ろ過器』。
最初にお湯を入れておく『フラスコ』。
まずは、フラスコに規定の量の水を入れる。そして、アルコールランプなどで、下から熱する。沸騰してきたら、ろ過器をセットしたロートを、フラスコと組み合わせる。すると、フラスコ内のお湯が、蒸気圧を利用してロートの中へと上がっていく。
お湯が溜まったロートの中に、コーヒー粉を入れて、全体がお湯に触れるよう、しっかりと撹拌する。この状態で少し待ち、頃合いを見て火を消せば、圧力が下がり、コーヒーの成分が溶け出したお湯だけが、フラスコの中に戻る。ロート内の粉は、フィルターが受け止めるため、フラスコの中には落ちてこない。
これが、サイフォンを使ったコーヒーの淹れ方である。
「む、難しそう……なんか、化学実験、って感じ!」
「やってみると意外と簡単なんだけどな。ハンドドリップほど技量の差が出ないし、味も安定するから」
「へえ〜。純太郎、使ったことあるんだ」
「歌原さんに、体験させてもらったことがあるんだ。先代の店主が使ってたサイフォンを使って」
「先代っていうと、マスターのお父さんだよね?」
「ああ。先代のときは、喫茶メロウもサイフォンでコーヒーを淹れてたらしい」
「なるほど、そうだったんだ」
歌原さんは、ハンドドリップにこだわっているから使わないが、やはりムラが出にくいというのは、魅力のひとつだ。
それに何より、見た目がレトロでおしゃれだ。ひとつあるだけで、一気に喫茶店っぽくなる。
「お待たせしました。ブレンドのアイスとホット、それとチーズケーキね」
「わぁ……! ありがとうございます!」
「ふふっ、ゆっくりしていってね」
注文の品を並べた奥さんは、手を振って戻っていった。
コーヒーのカップからは、湯気が上がっている。夏場に冷房が効いた場所でホットを飲むというのも、また乙なものだ。
「チーズケーキも美味しそぉ~!」
チーズケーキの表面には、綺麗なきつね色の焼き色がついており、ベリーソースのかかったホイップクリームが添えられている。自分も頼めばよかったと思うくらい、そそられる見た目だ。
しかし、これからいくつも店を回る予定なのだ。最初から飛ばしすぎると、途中で食べられなくなってしまう。
「てかさ、このグラス可愛くない?」
しずくは、アイスコーヒーが入った器を見せてきた。
透明なガラスのコップには、カラフルな花の模様がプリントされている。
これまたレトロな雰囲気で、とても可愛らしい。
「こういうのって確か〝アデリアレトロ〟っていうんだよね」
「なんだ? それ」
「昭和くらいに流行ったガラスのブランドで、アデリアっていうのがあるんだけど、それを現代でも使えるようにリメイクしたもの……だったかな? 最近流行ってるよね、ちょっと古いものを復活させるの」
「そういえば……近々、四十年以上前のマンガが、再アニメ化されるなんて話を聞いたな」
「そうそう、時代は巡るんだねーなんて、お母さんが言ってたなぁ」
俺たちからすれば、生まれるよりも遥か昔の作品だ。まったく知らない世界だからこそ、興味をそそられる部分がある。このアデリアレトロだって、色々な柄のものを集めていくのは、なかなか面白そうだ。
「って、コーヒー冷めちゃうよね。ごめんごめん」
しずくが、どうぞどうぞと手で促してくる。俺はお言葉に甘えてカップに口をつけた。
使っている豆は、少々深煎りのようで、はっきりとした苦味と、奥深いコクを感じた。棘や雑味はほとんどなく、サイフォンで淹れたからこその、安定した味だ。
「美味い……!」
「アイスコーヒーも美味しいよ! ちょー私好み!」
カップを交換し、それぞれ飲んでみた。
豆の種類は同じようで、アイスでもコク深い苦味がしっかりと出ている。長居して、思わず何杯もおかわりしたくなる一杯だ。
「豆はブラジルがメインかな」
メニューを細かく見ていくと、ブレンドの内容が書いてあった。予想通り、メインはブラジルの豆を使っているらしい。
「え、なんで分かるの⁉」
「深煎りのブレンドってなると、大抵ブラジルの豆が入ってるんだよ。スタンダードなんて言われるくらい、苦味、酸味、コクのバランスが、すごくいいんだ」
ブラジルの豆の大きな特徴は、癖がないこと。フルーティな豆と比べると、酸味は柔らかめで、チョコやナッツの甘味を感じる。
だからこそ、色んな豆と調和する。歌原さんがブレンドを調整するときも、ブラジルを基本として考えることが多い印象だ。
「なるほど……だからちょっと懐かしく感じたのかな? どこかで飲んだ気がするって、ずっと思ってたんだよね」
そう言いながら、しずくは再びストローに口をつける。コーヒーがぐんぐんと減っていくにつれ、しずくの笑顔が輝きを増していく。
「っと、チーズケーキも忘れちゃダメだよね」
しずくは、生クリームをつけて、チーズケーキを口に運ぶ。
「あっ! すごい美味しい! 甘すぎないからかな? 生クリームがめっちゃ合う!」
そう言うとしずくは、チーズケーキをひと口大に切り分け、フォークをこちらに差し出してきた。
「純太郎、あーん」
「しずく、自分で食べるよ」
「……あーん!」
「……はい」
有無を言わさぬ態度に、折れるしかなくなった俺は、観念して口を開けた。
濃厚なクリームチーズが、舌の上でとろける。程よい酸味がありつつも、生クリームと砂糖によって、甘味とコクが引き出されている。これにホイップクリームは甘すぎるかも、と思っていたが、ベリーソースの酸味と合わさると、ちょうど良い甘さになる。
奥さんの言う通り、これはまさしく絶品だ。こんなに美味しいとなると、長年愛されてきたに違いない。
口の中にチーズケーキの甘味が残っているうちに、コーヒーを口に運ぶ。
「めちゃくちゃ合う……!」
「この組み合わせ、大正解だね!」
得意げに笑いながら、しずくはまた、チーズケーキを口に運んだ。
「――――ありがとう。また来てくださいね」
会計を終え、お礼を言って、店をあとにする。
美味しいコーヒーに、美味しいスイーツ。とてもいい気分だ。これなら、外の熱気にも耐えられる――――わけでもなく。
「だぁ……あっつぅ……」
店を出てすぐ、しずくがしんどそうな声を上げた。




