それは終わりと始まりの音。・3
「……は?」
その声に、つられるように顔を横に向ける。
そこは向こう側にスタッフルームがあるだけの、造花の壁。
「酷いです」
その声と共に立ち上がったのは。
「……君は……」
あの、彼女だった。
さっき別れた時のまま、少し目を赤くして。
「だよねぇ、酷い男だよねぇ」
そして続いて立ち上がったのは。
「真崎……っ」
自分の所属する部署の上司、真崎だった。
ありえない場所の、ありえない組み合わせに頭が働かない。
口をあんぐりとあけたままの俺に、間宮さんがぽんぽんとスーツのポケットを上から叩いた。
そこは……
「携帯っ?」
もしかしてさっきここに入った時の……っ?
「だって、瑞貴の態度って丸わかりなんだもん、ねぇ? 間宮」
答えは、真崎が言い放った。
「なんで……」
彼女をここに……っ
間宮さんは真崎に視線を向けると、すっと椅子から腰を上げた。
「二人でちゃんと話してみて?」
「えっ、いやあの……っ」
話してみてって言われても……っ
多分縋るような目になっていたんだろう。
間宮さんは上体を屈めて、俺の耳元に口を寄せた。
「瑞貴が悩んでるのと一緒、彼女をお前の態度でどれだけ悩ませているのか自覚しろ。彼女が可愛そうだから傍に寄らないとか綺麗ごと吐くなよ? お前が苦しいだけだろ」
小声で囁くように囁かれた声は冷たく、言葉は辛辣だった。
けれどそう感じるのは、それが事実だから。
「それに……、瑞貴の中で答えは出ていると思うよ?」
「答え……」
間宮さんは屈めていた体を伸ばすと、目を細めて柔らかく笑んだ。
「大丈夫」
それだけ言うと、真崎と連れ立って店を後にした。
残された俺は、いまだ造花の壁の向こうで俯いたまま立ち尽くしている彼女に目を向けた。
「……こっち、おいで」
目の前の椅子に促せば、ぎゅっと口を閉じたままのろのろとそこに腰を下ろす。
両手で抱きしめているカバンが歪む位、体に力が入っているのが分かった。
「……その。聞いてた、んだよな?」
今の話。
そう言外に含めれば、彼女はゆっくりと頷いた。
深く、息を吐き出す。
くだらないけど。
くだらない感情かもしれないけど。
彼女に、こんな情けない姿を見せたくなかったなんて……落ち込む権利俺にはないか。
もう一度溜息をついてから、彼女を見た。
「ごめんな振り回して。情けない男で、幻滅しただろ?」
周りが期待する”瑞貴哲弘”は、こんな情けない奴じゃない。
でもきっと彼女は優しいから。
そんな事ないって……
「本当ですね」
「……」
その言葉に、自然と伏せていた目を上げた。
俺をじっと見る、彼女と目が合う。
「格好つけて、私の事考えてくれてる振りして。だったらなんで最初から放っておいてくれなかったんですか? そうしたら、憧れだけで終われたのに」
彼女のその言葉に、どくりと鼓動が高鳴る。
心臓を鷲掴みにされたような、この苦しさ。
「……ごめん」
「その上、可哀想だから離れるとか、私に喧嘩売ってます?!」
「……えと、いや……」
「それとも後輩だから許されるとか?!」
興奮しているんだと思う。
彼女は、あんな話を聞かされて興奮しているんだと……
いつものほんわりとした雰囲気がどこかいったような彼女に、申し訳ないと思いつつ驚いて目を見張ってしまった。
それに気づいたのか、少し視線を逸らしてぎゅっと両手を握りしめた。
「すみません、生意気な事を言って。だって、あんな話聞いたら……」
「そうだよな、うん。本当にごめん。もう近づかないようにするから」
そう告げながら、心の中で反抗する感情が頭をもたげる。
彼女から離れる事を、自分が望んでいないのは分かってる。
けれど……
すると彼女は、キッと俺を睨むように目を合わせてきた。
「私も、瑞貴先輩を乙女フィルターで見ていた事は謝ります! 完璧な人なんかいないって分かってるのに、そんな目で見てました!」
「お、おとめふぃるたぁ……?」
なんだそれ。
「だから、私が見ていなかった瑞貴先輩がいるように、先輩が見てない私もいると思うんです! だから、あのっ」
少し恥ずかしそうに口をもごもごとさせていたけれど、何か吹っ切ったように再び俺を見た。
「そんな簡単に、諦めないで下さい! じゃないと、振り回された私の乙女心が可哀想です!」
しんとした空気に、真っ赤な彼女。
一拍の後、俺の口から出たのは。
「……ぶふっ」
思わず吹き出してしまって、慌てて右手で口を押さえる。
それでも我慢できずに、肩を揺らして笑いをこらえた。
「おっ、乙女心っ……!」
「そうですっ、なんで笑うんですか!」
顔を真っ赤にしてテーブルを叩きそうな彼女に、どうしても笑いが刺激される。
だって、こんな……
「諦めるなって、俺に君を好きでい続けろって事?」
さっきの話を聞いてたなら、そういう事だよな?
凄くね? 自分を好きでいろ! って叫ぶ、女の子って。
彼女はやっと自分のいった言葉の意味を理解したらしく、これ以上ないほど顔を赤くして頬を両手で押さえる。
「すみませんっ、わっ私!」
その仕草に、心の中で何かが響いた。
それは、終わりを告げる音なのか。
始まりを告げる音なのか。
よく分からないけれど。
君を知りたいという感情は、溢れてくるから。
真っ赤になって俯く彼女の頬を、指先でつまむ。
むにっとなった頬のまま困ったように視線だけ向けてきた彼女に、素の笑みを零した。
「まず最初に。君の名前を教えてくれる?」
俺の好きな、君の名を。
これにて番外編完結です。
哲、やっと一歩を踏み出せました^^
幸せになった貰いたいものです。
お読み下さりありがとうございました!
遠野 雪