魔獣襲来①
私は緊張しながら神殿へとやって来た。
人々の視線が、私に突き刺さる。
やはり、父であるピラカンザ伯爵が爵位を返上しても、私を見る目は厳しかった。
それでも、私は顔を上げてセインフォード殿下と共に神殿の中を歩いていく。
この神殿は、かつてこの国が帝国だった時代から現存する、由緒ある古い神殿だ。
長い年月を経た石造りの建物には、帝国時代の面影が色濃く残されている。
高い天井を支える巨大な石柱。
壁には古い時代の彫刻が施され、色鮮やかなステンドグラスからは柔らかな光が差し込んでいた。
そして、神殿の奥にある大広間には、歴代の皇帝と皇后の名前が刻まれた巨大な墓碑が安置されている。
今日の慰霊祭は、この墓碑の前で執り行われるのだ。
私たちは案内された席に腰を下ろした。
「マリア、大丈夫か?」
隣に座ったセインフォード殿下が、小さな声で尋ねてくる。
「はい。少し緊張していますけど……」
「何かあれば私がいる。心配するな」
「ありがとうございます」
私は殿下に微笑んだ。
やがて、神官たちによる祈りが始まった。
厳かな祈りの声が広間に響き渡る。
かつて帝国を治めた皇帝たち。
そして、帝国の繁栄を支えながらも、時には権力争いに巻き込まれ、悲しい最期を迎えた人々。
この神殿には、そんな長い歴史が刻まれている。
私もまた聖女として、かつてこの国に存在した聖女たちのことを思った。
彼女たちは、どのような人生を送ったのだろう。
人々を救い、感謝された聖女もいただろう。
けれど、その力を権力者たちに利用され、犠牲となった聖女もいたという。
同じ聖女として、決して他人事とは思えなかった。
やがて祈りが終わり、献花の儀式が始まった。
最初に国王陛下と王妃陛下が墓碑の前へ進み、花を捧げる。
続いて王太子アークレイン殿下が献花を終えた。
そして、いよいよセインフォード殿下と私の順番がやって来た。
私は小さく息を呑んだ。
建国祭の時のように、また何か騒ぎが起きるかもしれない。
そんな不安が胸をよぎる。
けれど、セインフォード殿下に手を取られ、私はゆっくりと墓碑の前へ進んだ。
そして、用意された白い花を捧げる。
どうか、安らかにお眠りください。
心の中でそう祈り、静かに頭を下げた。
幸いなことに、何事も起こらなかった。
その後も儀式は滞りなく進み、慰霊祭は無事に終了した。
私はようやく安堵の息を吐いた。
けれど、今日の私には、もう一つ気になっていることがあった。
オリビアさんのことだ。
建国祭の日。
セインフォード殿下と共に会場を去ろうとした時、確かに聞こえた気がした。
『誰か助けて』
あの声が、どうしても忘れられなかった。
それに、あの時のオリビアさんの魔力は明らかにおかしかった。
まるで、邪悪な何かに取り憑かれているような……。
私は会場を見渡し、オリビアさんの姿を探した。
「あっ……」
いた。
広間の隅に、オリビアさんが立っていた。
私はセインフォード殿下の袖を引いた。
「殿下。オリビアさんがいます」
「……ああ」
殿下も彼女の姿に気がついた。
実は、建国祭の日に感じた異変については、すでに殿下にも話してあった。
だからこそ、殿下も警戒しているのだろう。
「少し話をしてみましょう」
「分かった。ただし、無理はするな」
私たちはオリビアさんへと近づいた。
「ベルシュタイン侯爵令嬢」
声を掛けると、彼女はゆっくりとこちらを向いた。
「……な、にか?」
その反応に、私は違和感を覚えた。
この間のオリビアさんの態度なら、嫌味の一つでも言ってきそうなものなのに。
今の彼女は、どこかぼんやりとしている。
まるで、心ここにあらずといった様子だった。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「……ええ」
返事はあった。
けれど、その声には感情が感じられない。
私はそっと彼女の魔力を探ってみた。
やはり、おかしい。
彼女自身の魔力とは異なる、何かが混ざっている。
それなのに、あの日のような心の声は聞こえてこなかった。
「あの、何か困っていることはありませんか?」
「……困っていること?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「いいえ。何も……」
本当に?
私はもう少し話を聞こうとした。
けれど、その時だった。
「まあ! オリビア!」
聞き覚えのある声が響いた。
ベルシュタイン侯爵夫人だった。
侯爵夫人は私たちの姿を見るなり、険しい表情を浮かべた。
「オリビア。こんなところで何をしているのです!」
「……お母様」
「さあ、こちらへいらっしゃい」
侯爵夫人は娘の腕を掴んだ。
「お待ちください」
私は慌てて止めた。
そしてセインフォード殿下も声を掛ける。
「少し彼女と話をしたいのだが…」
「まあ、殿下まで。娘に何かご用でしょうか?」
侯爵夫人は警戒するように私達を見た。
「まさか、また娘に何か言いがかりでも?」
「そのようなつもりはありませんわ」
私が答えると、侯爵夫人は冷たく笑った。
「それなら結構ですわ。オリビア、行きますよ」
「……はい、お母様」
オリビアさんは抵抗することもなく、母親に連れられて歩き出した。
私達は、その後ろ姿を見るしかなかった。
「……殿下」
「ああ。私も妙だと思った」
セインフォード殿下は小さく頷いた。
「以前の彼女とは、まるで別人のようだったな」
「はい……」
結局、私たちは何もできなかった。
ただ、母親に連れられていくオリビアさんを見送ることしかできなかった。
◇◇◇
私は、オリビアを連れて神殿の小さな一室へと入った。
そこは、祭典の際に貴族たちが休憩するために用意された部屋だった。
侯爵夫人は扉を閉めると、深いため息をついた。
「まったく……。あの娘と話をするなど、何を考えているのです!」
オリビアは何も答えなかった。
ただ、ぼんやりと私を見つめている。
「オリビア。あなたはセインフォード殿下の妻になるのです。あのような娘に負けてはなりません」
「……はい、お母様」
「そう。それでいいのよ」
その答えに私は満足した。
そしてオリビアに着けている魔道具を外した。
宝石が埋め込まれた装飾品。
私は魔道具を握りしめ、ゆっくりと魔力を注ぎ始める。
すると、宝石が不気味な黒い光を放った。
その光に呼応するように、オリビアの瞳から生気が失われていく。
「いいこと、オリビア。あなたは私の言うことだけを聞いていればいいのです」
「……はい」
「セインフォード殿下の妻になるのは、あなたなのですから」
「……はい、お母様」
でも、次の瞬間。
「うっ……!」
私は、突然、激しい眩暈に襲われた。
足元がふらつき、思わず近くの椅子に腰を下ろす。
「はぁ……はぁ……」
息が苦しい。
最近、こうしたことが増えている。
少し歩いただけで疲れ、夜になっても身体のだるさが抜けない。
鏡を見るたびに、顔色も悪くなっている気がする。
けれどここで、私がしっかりしないと、そう自分に言い聞かせた。
「少し……疲れているだけよ……」
そう呟き、再び魔道具を握りしめる。
娘を思い通りに操るため。
そして、セインフォード殿下の妻にする為に。




