第90話 死ぬのが怖いって言えるように
「っ……ウサミ……自分は……自分はッ」
「……ごめん、カミカゼ。俺……言っててこんなの無理だって思っちゃった」
「そ、それは……」
自分は……そこまで失望されていたのか。
そう思った。
しかし……腹から伝わるウサミの拍動はそれを否定する。
「俺も神風してるんだ。カミカゼにだけ……って分かりにくいな」
「特攻と呼べばいいのではないか?」
「……そうだな、そうしよう」
……………………。
「……もしや。これが、微妙な空気というやつか」
「正解。なんかシリアスな雰囲気だったのに……どうしてくれるんだよ」
「む、すまない。ではやり直しというのはどうだろうか」
「やり直しとかないから」
「そうなのか。覚えて」
「おかなくていいから」
ぼやけた視界の中で、ウサミと目線がぶつかり合う。
すると示し合わせたように、同時に二人で吹き出した。
ウサミの目の周りは赤く腫れていて、右目は痣で涙が拭えないようでくすぐったそうだ。
だから自分は肌を触らないよう細心の注意を払い、触覚で涙を拭ってやった。
「……ありがと」
「礼には及ばん」
「……それでさ、約束の話。やっぱやり直していいか?」
「構わないが……空気というやつが大事なのではないか? カズオもそんなことを言っていた……気がする」
……気がするだけだ。
そんな記憶はないと思う……今残っているカズオの記憶は、吹けばすぐ消えそうな……霧のような記憶だ。
「いいんだ。こういう時話さないと、機会がなくなっちゃうだろ?」
「そういうものなのか。自分はいつでも構わないが」
「カミカゼはまぁそうかもな……俺は恥ずかしがり屋だから、空気がないと話せないというか……まぁそんなのはいいんだ」
ウサミはちょいちょいと自分の頭を耳で小突く。
……どういう意図があるのだろうか。
そのまま固まって数秒考える。
「……一回離れてってこと」
「あぁ、なるほど」
自分はウサミの頭を通り、頭頂部からジャンプして自分の頭を地面に降ろす。
そのまま歩みを進め、ウサミの身体から自分の身体を離した。
ウサミはくすぐったがりでもあるようで、何度か震えていた……何度も抱きしめるのは良くないのかもしれない。
それはさておき……今はウサミに向き合わねばならない。
自分はグルッと回って上体を持ち上げ、ウサミと同じ目線になる。
「俺……カミカゼに特攻しないでってお願いしただろ」
「……あぁ」
「けどそれってさ……自分にできないことを相手にやれってお願いするってことで、おかしいだろ?」
「自分にできないことを相手に望むのは……おかしいのか」
「ものによるかもしれないけど……俺はそう思う」
ウサミは視線を揺らしながら俯く。
「けど……けど、カミカゼに特攻してほしくないのは変わらなくて」
「……」
「俺は、その……特攻はあくまで手段なんだ、自分の望みを叶えるための……もしくは起きて欲しくないことを起こさないために」
「……自分もそうだ」
「カミカゼ……死ぬのって怖いか?」
「いや、怖くない」
「それは、どうして?」
「……どうして、か」
自分は考えた。
なぜ、自分は死を恐れないのか。
もう既に一度死んでいるから……違う、それならトオルの記憶がない時に特攻できた理由にならない。
……他に考える材料はあるか?
……分からない。
「……分からない」
分からない。
そう答えるしか無かった。
ウサミは顔を上げ、一歩前に進む。
「俺は死ぬのが怖いよ。けど、なんで怖いかって聞かれたら……俺も分からない」
「……そうなのか」
「違うかもしれないんだけどさ……カミカゼは、勘定に自分のことを入れてないん、じゃないかなって……」
「……なるほど」
未だ言葉にならない、卵のようなウサミの感情。
触覚から伝わるウサミの息の揺らぎと心音から、朧気ながらその正体が察せられる。
「自分は、自分のことを無価値に見すぎ……ウサミの言葉にするなら、そんなところだろうか」
「そう、それ。なんでそれは分かるのに普段は……いや、今じゃないか」
「自分は、確かに……つい先程、無価値だと実感したんだ」
自分は思い出す。
トオルとカズオの死体の上で……初めて泣いたあの時を。
「大切な友を守ることすらできない自分は……自分が、どうしてのうのうと生きていられようと。カズオの願い、ウサミの願い……どちらも守れなかった自分が生きる理由とはなんなのかと」
ウサミの喉が音を立てた。
「今も……それは分からない。分からないんだ……分からないことばかりなんだ……子どものようで、情けないだろう」
「……そんなことないよ。実年齢的にも多分カミカゼの方が圧倒的に高いし」
「実年齢?」
「あぁごめんなんでもない、忘れて」
俺は……とウサミは続けた。
「カミカゼが子どもっぽいって思ったこと……確かにあるよ。初めてちゃんと話した時も、自分が戦う理由がカミカゼは分かってなかった」
「あぁ、初めて抱きしめてくれた時だな」
「やめて恥ずかしいから……! ……その時、子どもっぽいって思ったのは不自然だったからだよ」
「不自然?」
「だって、何も分からないまま命をかけるなんて、いくら自分のことを無価値に見てたとしてもおかしいと思うんだ」
ウサミは前足を自分に伸ばす。
「今回みたいに……カミカゼはトオルだった時のことを思い出せたみたいにさ。大切な記憶を取り戻していけばきっと……死ぬのが怖くなっていくと思うんだ」
「そういう、ものなのか?」
「そうだよ。俺も……大切な記憶ができてから、生きたいって思うようになった。まぁそうなる前も死ぬのは怖かったけどさ……」
もう一歩、ウサミは進んだ。
「チギリも記憶がぽっかり抜けていた。ガルタとサクラは……まだどうか分からないけど。だからその……カミカゼの記憶、探しに行こう」
ウサミは後ろ足で立ち、もう片方の前足を伸ばす。
「一緒に、死ぬのが怖いって思えるようになりたいんだ。カミカゼ」
……あぁ、やはり似ている。
ウサミとカズオは。
何も知らない自分に、一方的に教えるのではなく……一緒に知ろうとしてくれる。
思えばきゃらめるをくれた時も……自分と一緒に、味を知ろうとしてくれていたのではないだろうか。
ウサミが探しに行こうと言ってくれた時、鍵のかかった箱のように開かない……そんな記憶の中身が、ほんの少し透けて見えた。
カズオが、よく言ってくれた言葉……
『徹はなんも知らないんだから、俺が教えてやらないとな』
俺が教えてやらないとな……そう言ってカズオはいつも何かを持ってきてくれた。
その何かが何だったか……今は、きゃらめるしか思い出せない。
もっと、もっと知りたい、思い出したい。
カズオはもう、いない……しかし、今の自分にはウサミがいる。
ウサミと一緒に、なにかを知れる。
「……なぁ、早く手とってくれよ。後ろ足で立つの結構疲れるんだけど」
「手ではなく、前足だ」
「あぁもう! こんな時までKY発動しないでくれよ……」
「けーわい、とはなんだ?」
「空気が読めないってことだよ!」
「そうなのか、覚えておこう」
そう言ってから、自分はウサミの前足を顎肢でとった。
ウサミはぷんすか怒りながらも快活に笑い、伝わってくる拍動からも嬉しい気持ちが伝わってくる。
そして不思議なことに……何も食べていないのに味を感じた。
なぜか、口の中が塩辛い。
きゃらめるとは違う味だ。
なんの味だろうか……これも、ウサミと共に行けば知れるのだろうか。
どうなんだ、ウサミ……そう問う前に、自分の意識は白に包まれた。




