第89話 分かった気がして
「ウサミ」
「う、あぁ、あ……」
「ウサミ……ウサミ、落ち着け」
自分は自分一人分ほどの距離をとってウサミに声をかける。
ウサミの動悸はとても激しく、身体が大きく上下している。
自分は脚を進めようとしてはやめ、進めようとしてはやめ……声をかけ続けた。
自分は、自分のこの身体は……一度進んだら戻れないからだ。
前世……トオルの時は違ったのだろうか。
「ウサミ……」
自分はきっと、トオルだった。
トオルだった時の記憶など……追体験したもの以外残っていないが。
自分はひどく臆病だ。
今もこうして、ウサミに触れることすらも恐れている。進むことすら恐れている。
自分がただひたすらに敵に向かっていたのは……大切な誰かの死を見るのが怖いからだった。
自分が傷つくことなど、身体の一部が欠損することなど、死ぬことなど怖くはない……誰かが傷ついたり、死ぬことに比べれば。
ならば、今はどうか。
ウサミが傷ついている。
助けてやりたい、守ってやりたい。
しかし……自分はそう思いながらカズオを殺したのだ。
死に際に泣かせたのだ。
ウサミにも……同じことをしてしまうかもしれない。
自分は……他人の気持ちが分からない。
なにをすれば傷ついて、なにをすれば死んでしまうのか分からない。
分からないまま進むというのは……頼りのない暗闇を進むのと同じだ。
目の前に崖があるかもしれない。
すぐ横に猛獣がいるかもしれない。
もしかしたらお化けがいるかもしれない。
考えるだけで、身の毛がよだつ。
……まぁ、自分に毛は無いのだが。
「あ……あぁ……かみ、かぜ?」
触覚がピクリと動いた。
自分は反射的にグルッと回る形で後ろに下がる。
正気を取り戻しかけたウサミの瞳は崩れる寸前の廃墟のようにグラグラと揺れ動き、ピンと立っているはずの耳は垂れ下がっている。
「カミカゼ……」
「ウサミ……その、自分は────」
意を決してなにかを言おうとして、頭を上げた。
その時にはもう既に、ウサミは地面を蹴っていた。
そして自分の身体を前足で抱きしめた。
「ごめん」
「……それは、自分がウサミに言わなければならない言葉だ。ウサミが謝る必要などどこにも」
「俺の、俺のせいなんだ……俺が……」
間近にいるのに、ぼやけて見えない。
トオルから見た鮮明な景色が懐かしい。
されど触覚で分かる……ウサミの心が死ぬ寸前、壊れる寸前であると。
きっと何もしなければそうなると、敏感な自分には分かってしまった。
端から端までヒビが伝う硝子のように、一度触れれば粉々に崩れ去ってしまうことが。
それが分かってやっと……やっと、自分は脚を進める決心がついた。
ウサミの前足を解き、右前足の付け根の方から進む。
背中を通り、胸を通り……自分の身体を全て巻き付けて、ウサミの左頬に頭を寄せた。
そして……数多ある脚の一本一本に力を入れて……抱きしめた。
「違う。ウサミのせいなどではない。自分が……臆病なのが悪い。自分は……ウサミが傷つくところを……死ぬところを見たくないから……先に死のうと、していたんだ。すまない」
自分はいっそう強く抱きしめた。
硬くて冷たい自分の外殻と違い……ウサミの身体はもふもふで、ストーブのように暖かい。
……暖かい、本当に。
全身から伝わるウサミの鼓動から……ウサミもそう感じてくれているのが分かって嬉しく感じる。
「……ばか、なんで、なんで……そんなの……」
「あぁ、ばかだな。本当にすまない」
ウサミの頬がプルプルと震え、大粒の雫が流れ出る。
「俺……俺も……人のこと言えないからぁ……! カミカゼが、カミカゼが死んだと思った後、自分がどうなってもいいってぇ……」
「あぁ……分かる、分かるぞ」
そう自分で言っていて……ハッとした。
自分が……トオルが死んだ時に覆い被さって拳を振り下ろしたカズオの姿。
それが今……ウサミと重なったような気がした。
自分は今、分かる……分かるんだ。
自分以外の誰かの気持ちが……ウサミの気持ちが。
「俺っ、カミカゼが死んだらそうなるんだよ……だから、だからもう二度と……神風しないで……」
「…………」
自分は今まで生きてきて二度……神風をした。
最初は、トオルの時。
カズオを守るため、敵地の中心に特攻して多くを殺した。
……結果、カズオは死んだ。
その上死に際に……あんな顔をさせてしまった。
きゃらめるの貸しを返せぬまま……死んだ。
二度目は、カミカゼの時。
ウサミを守るため……生き残らせるためにスキルを使って地面に放った。
そしてキラーバードの放つ光に向かって突き進んだ。
結果……どうなっただろう……。
ウサミはこんなところまでやってきて、壊れる寸前になるまで泣かせた。
自分の意識がなくなった後に無茶もさせたらしい。
……何一つ、良い事がない。
自分が、自分一匹が突っ込んで、良い事など。
それは……なぜなのだろう。
それが分からないまま……自分は首を縦に振ることはできない……怖いからだ。
自分の中には未だ、呪いが燻っている。
今抱きしめている彼から貰った願いを、カミカゼという名を自分が汚してしまった。
「カミカゼ……約束、してくれ」
「っ……ウサミ……」
自分は……また、分からなくなってしまった。




