第87話 二人の最期
「すまないがワタシの前足は貸せん、自力で来い」
「……分かった」
正直、行きたくなかった。
カミカゼ……トオルが死ぬところなんて、見たくない。
けど、今見なかったら……もうトオルの死に目には立ち会えない。
そのことにひどく後悔する気がして……俺は走るクウビについていった。
そこらに転がる死体を見たらまた吐きそうになって、俺は必死に目を逸らした。
それでも立ち上る硝煙、容赦なく降り注ぐ陽光、血を纏って飛ぶ砂土、飛び交う銃弾と悲鳴。
浴びたくもないそれらを全部浴びながら、進撃を続けるトオルを目指した。
そして、それを追うのは……俺らだけではなく。
「徹! 待て! 俺たちは待機の指令だろうが!! 戻れ!!」
「……カズオ」
走りながら喉を裂いて叫ぶ彼の目は、グラグラと揺れ動いていた。
おそらく仲間であったろう死体を跳び越え、一心不乱に走っていた。
彼の身体はトオルのように大きくなく、軍服の下にある筋肉量も少ない……遠目で見たトオルと比べてもだ。
それだけトオルが強いのか、それか……
「徹っ!! 徹ーーーッ!!!」
カズオが、戦いに向いていないのか。
「退かん! 退かん! 退かぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」
俺たちはカズオを追い越し、トオルの元に辿り着いた。
ライフル銃を脇に挟みながら引き金を引き、連続して射撃音が鳴り響く。
正確無比なその弾丸は正面にいる敵を尽く弾き飛ばし、血の雨を降らせていた。
「……強い」
思わずそう声が零れてしまうほどだった。
もしかしたら、彼は歴史に名を遺すほどの軍人だったのかもしれない。
「ッグ……!」
「トオル!」
トオルの被っていたヘルメットが宙を舞い、額から血がボタボタと流れ落ちる。
ぐわんと揺れ動く頭は、今にも気絶しそうな人間のそれだ。
いても立ってもいられず、俺は体内の魔素をかき集める。
「無駄だ。先と違い、今度は干渉できない設定にしてある」
「なんで! そうだ、今助けられればトオルの死が回避できるんじゃ……」
「タスク。たとえ誰であろうと、鬼であろうと……神であろうと、死を捻じ曲げることはできない」
「ッ……」
その言葉を紡ぐクウビの顔は……どこか、覚悟が決まっているようだった。
絶対……クウビはあいつとは別人だ。
そう確信させる……オーラみたいなものがある。
それなら、クウビは一体……
「集中しろ、タスク。ワタシを身に宿す以上……この光景から目を逸らすことは許されない」
俺は息を吸い込んで重く頷き、倒れ込みそうなトオルを見上げる。
そのまま、地面に大の字になってしまう……そう思った。
しかしトオルは何かに取り憑かれているかのように、糸に繋がれた操り人形のように体勢を元に戻した。
「死ねぇ ゛ぇ ゛ぇ ゛!!!!」
そして再び銃を構え、歩きながら射撃を続ける。
喉に血が絡まっているのか、うがいしているみたいな声だった。
その声に込められている感情は、もはやなんなのか分からない。
憎しみでもない、執念でもない、悲しみでもない、怒りでもない……血を吐きながら叫ぶトオルの中にあるものは……なんなのだろうか。
トオルがカミカゼなら……どう、思うだろう……。
「ウア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛!!」
トオルの身体には、既にいくつもの銃弾が突き刺さっていた、あるいは突き抜けていた。
赤黒く染まり、辺りに転がる死体にだんだんと近づいていく……産まれたての小鹿のように震える足でひたすらに歩みを進め、銃を撃ち続ける。
彼の顔は既に血で真っ赤に染まっており、目の白い部分も真っ赤、それでも瞼は一向に閉じられない。
殲滅。
ただそれだけを目的に据えている機械のように。
トオルの銃から漂う火薬の臭いと、滴り落ちる血の臭いが次第に濃さを増していき、再び胃酸が喉を迫り上がる。
「今吐くな。目を逸らすな。彼の……最期の戦いだ」
俺は溢れる涙と一緒に胃酸を飲み込んだ。
今やもうゾンビのようになったトオルを見上げながら……俺は強く前足を握り締めることしかできなかった。
──────!
銃声。
いくつもそれが飛び交うこの戦場で……今のが一際大きく聞こえた。
それはトオルの心臓を撃ち抜き……彼は今まで殺してきた人間と同じように、弾け飛ぶように地面に投げ出された。
言葉が、出なかった。
「徹ッ!!」
「っ……」
来たら駄目だ。
そう言おうとして、クウビに干渉できないと言われたことを思い出した。
縫い付けられたようにその場を動けない俺は、もう僅か数メートルのところまで迫ったカズオを見た。
……転んだ。
カズオは死体に足を取られ、顔面から地面に突っ込んだ。
頭に被ったヘルメットが音を立てて転がり……それを気にせず彼は這いながら進み続ける。
カズオは縫い付けられたように動けない俺の前を横切り、トオルの身体に触れた。
「あぁ……徹……徹……」
倒れたカズオは、自分の顔だけを持ち上げてトオルの顔を見た。
崩れ落ちた。
もうすでに倒れているのに……彼の中で、彼そのものが崩れ落ちた。
そんな音がした。
カズオの顔には涙が流れているのに、血と混ざり合った黒い土は一向に流れ落ちない。
小刻みに震える身体で、トオルの名前を呼び続けながらゆっくりとトオルに覆い被さった。
「きゃらめる……あげただろ、なぁっ。……っひ、昔からずっと、なぁ……お前が言ってたことっひ、覚えてるか、なぁ」
見れない、これ以上は……もう、見ていられない……見たく、ない……
「……見て、やってくれ。これを……彼は目を逸らさずに見たのだから」
「彼、って……」
「……言わずとも分かるだろう」
俺は迫り上がる涙をグジグジと拭い、自分以上に泣いているカズオのもとに駆け寄る。
カズオは硝子玉を触るように優しく、愛おしく……トオルの頬を撫でた。
「貸し借りはなし……って、さぁぁ……義理がっ、人情がさぁ、っいいっちばん……大事っ、だってさぁぁ……」
嗚咽に巻き込まれながら、カズオはトオルの胸に拳を振り下ろした。
ぺちゃっと血が跳ぶも、トオルは表情一つ変えることもない。
カズオのことを、大切な存在を守り抜くために……自分のことを殺したトオルは、死してなお阿修羅のように恐ろしい顔を浮かべている。
「俺、俺っ……まだ、お前に返されてねぇんだけどさぁ、ひっ……っあ、あぁ……なぁ、なぁってぇ……」
「っぁ、あ、ぁあ……」
気づけば、俺も声を上げて泣いていた。
カミカゼも……俺を庇った時、こんな顔をしていたんじゃないか、させていたんじゃないかと思うと……自分の中がぐちゃぐちゃで、何も分からなくなりそうだ……。
「返せ……俺の、俺のきゃら」
──────!!
「……っひ」
カズオの頭が……トオルの胸に落ちた。
ぺちゃ。
その音とともにまた血が飛び散った。
その血は俺の額をすり抜け、地面を赤く濡らした。
「……よくぞ、見届けた」
気づけば震えていた身体を抱きしめるようにうずくまり……そして……
「うあぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!」
何一つ分からなくなった自分を……声にして吐き出した。




