第86話 神風の背中
「……」
トオルは表情を変えずにカズオを見つめ続ける。
「徹はさ、愛国心強いし、守りたい家族もいるだろ……?」
「和男もいる」
「……っずぅ……お前ほんと、空気読めよ……」
腕に目を押し付けるカズオの声は濡れていて、耳まで赤くなっていた。
不謹慎かもしれないけど……少し笑ってしまった。
トオルはきっと、ただ純粋なんだ。
だからなんでも額面通りに受け取って、言いたいことも言える。
「俺さ……お前と違って、強くもないし……戦争に行っても何もできない、死ぬだけなんだ、けどそんなの、お国にとっちゃ関係ないだろ」
「そうだな」
「……俺、死にたくない……俺も、俺以外も死んでほしくない、のに……」
カズオは強く歯を噛み、茶色のキャラメルをグシャリと潰してしまう。
……聞いているだけで、心臓のあたりがズキリと音を立てる。
痛みのような、熱が走るのだ。
口内にあるキャラメルから、ピリピリと痺れを感じる気がする。
「……和男」
トオルがいきなり音を立てて立ち上がり、カズオがそれに驚いて顔を上げる。
トオルはズンズンと土を立てながらカズオへと歩み、そして……勢いよく抱き締めた。
そのあまりの勢いにカズオの身体は後ろに傾き、そのまま仰向けに倒れてトオルの下敷きになる。
「こんの、ばかぢか」
「自分はッ……自分は、友達が少ない。少ないんだ」
「え、あ、うん……知ってるよ」
「だから、和男。自分はお前のことは必ず守る、守ってみせる」
「……」
「だから……もう泣くな、和男。男だろう。男が泣くなどみっともない」
「……最後の一言、よけい」
「……そうなのか。覚えておこう」
「……は」
俺はその言葉を聞いた時、あまりの衝撃でキャラメルが口からこぼれ落ちた。
音も立てずに転がるキャラメルは草を巻き込んで絡まってしまう。
思い起こせばそうだった。
俺がここに来る前、俺は触れた……なんの脈絡もないタイムスリップかと思ったけど、違う……。
きっとこれは、いや、間違いなくトオルは……
「……キャラメル、美味いな」
「ぷはっ……最初からそう言えよ」
「和男は」
「ん?」
「美味いか?」
「……しょっぺぇよ、ちなみにお前のせい」
「塩はかけていないぞ?」
「やっぱお前バカだわ」
間違いない、間違いない……この、どっか抜けてて空気が読めなくて、恥ずかしいこともズバズバ言ってくるこの重たさと常識知らずは……!
「カミカゼの……前世……」
俺が呆けている間に、クウビがとんでもない跳躍で隣に着地する。
「ようやく気づいたか、タスク」
「ようやくって……お前は気づいてたのか」
「無論。ワタシの力だからな」
「お前の力って……」
「説明は後だ。そのキャラメルを噛め」
「え……落として土まみれなんだけど」
「この二人にとって、キャラメルは重要なアイテムだ。故にそれをトリガーにして術を発動する」
全て説明すると思うなとか言っていたやつが懇切丁寧に解説してくれてる……。
黙れ、食えとか言って口に突っ込んでこないのか?
タイムスリップも、人間がいることも、クウビのことも……そして、カミカゼがどうなっているのかも、気になることが多すぎる。
俺はショートしかけた脳で、半ば思考放棄気味にキャラメルを前歯で掴んで拾う。
土の粒が引っ付き、少し青臭い……本当にこれを噛むのかと、クウビの方に振り返った。
クウビは無言で頷き、前歯にキャラメルを移動させてくる。
「せーので噛むぞ」
「う……分かった、分かったよ」
俺はスゥと息を吸い込んだ。
「「せぇ……の!」」
意を決して前歯に力を入れ、噛んだ。
キャラメルはグニッと潰れて口の中で二つに分かれる。
その瞬間、カミカゼに触れた時と同じように視界がぼやけ……身体から力が抜けてグラリと倒れ込んだ。
◇◇◇◇◇
「──────……きろ」
……口の中が、甘い。
キャラメル……か。
「お……ろ」
えと……それでなんだっけ、なにしてたんだっけ。
「おき」
──────!
「銃声!?」
微睡んでいた意識が一気に覚醒し、反射的に飛び起きる。
「は……これ、は……」
覚醒したてで瞬きすると視界がぼやける。
それでも一度見るだけで今何が起きているのかが分かってしまう。
俺たちの世代が体験したことのない、しかし大昔から綿々と語り継がれてきた最悪の歴史。
それが今……目の前にある。
今となっては何度も嗅ぎ覚えのある、それでいて不快感は増すばかりな血と脂の臭い。
土や砂で汚れて黒ずんだ人間、氷のように冷たい表情で銃を乱射する人間、堀の下でただ泣きじゃくる人間、そして……
「うぶっ……おえっ、げほ、けほっ、ぶぉぇ……」
……今はもう、動かない人間。
身体の隅々に巡る血が、息が、細胞が、全部が逆流して俺の口から出ていくようだった。
葬式で見るような、死化粧された綺麗な様相では全くない。
全身が血で赤黒く染まり、力無く歪に投げ出された手足……なにより、俺は瞳が怖かった。
死んだ魚の目。
スーパーとかに置いてあるそれに、俺は何も感じてこなかった。
けど、その魚が人間になるだけで……ここまで生命の終わりを突きつけられるなんて思わなかった。
「大丈夫か、タスク」
「大丈夫な、わけ……」
「ワタシたちは見届けなければならない、悪いがすぐに起きてくれ」
「見届けるって……」
なにを……そう口に出す前に聞き覚えのある声が戦場に響いた。
「退かん! 退かん!! 退かぁぁぁぁぁん!!!」
聞き違えるはずもない……今覚えば、知っている声だった。
両手で銃を抱え、全速力で進撃していくトオルの背中は……俺たちを守るためなら絶対に退かない、彼そのものだった。
「行くぞタスク……彼の最期を、見届けるために」




