第85話 カズオの弱音
「触るな、人間。ワタシに触れれば呪われるぞ」
そう言いながらクウビはとんでもない跳躍でカズオを跳び越える。
良かった……いきなり放電を始めるかと思ってた……。
カズオはカァァと唸りながら仰け反る。
「嫌われちまった」
「クウビに触れたら呪われるのか。覚えておこう」
「? くうび? 呪われるとか何の話だよ?」
「今クウビ本人がそう言っていただろう」
「だから何の話だって。クウビって誰よ」
「そこの紫色の兎の名前だ、さっきそう名乗ってくれた」
何一つおかしいことはない、当然のことだという顔で話すトオルを見て……カズオは腕を組んだり唸ったり仰け反ったり頭を掻きむしったり……紆余曲折を経て、物凄く微妙な表情でトオルの肩に手を置いた。
「あー……徹、お前がそんなに思い詰めてたとは。そりゃあそうだよな、俺と違ってお前には家族がいる」
「? 和男にも母親と父親がいるじゃないか」
「ちっげーよ、いや違わねーけど。確かにそっちも大事な家族だけども」
……俺とクウビの声は、トオルにだけ聞こえてるのか?
トオルはいまいち状況を飲み込めていないようで、瞬きの回数が目に見えて増えている。
「というかいつまで掴んでんのその子、離してあげなよ」
「む、そうだった。すまないウサミ」
「別に大丈夫だよ……撫でてくれてありがとうな」
「礼には及ばない……良ければ、カズオとも触れ合ってくれ。カズオは動物好きなのに動物に好かれないんだ」
「それくらいなら」
変わらず俺と会話を続けるトオルを見て、カズオは表示の微妙さを加速させる。
キリッと整っている眉がピクピクと揺れ動き、かっこいいのにかっこよさが台無しになっていた。
俺は胡座をかいているトオルの膝を経由し、カズオの股に着地して顔を見上げる。
カズオの表情はさらにへにゃりと崩れ、トオルの肩から手を離す。
「徹……サーカスでもやれるんじゃないのか?」
「?」
カズオの両手はユーフォーキャッチャーのアームのように俺を掴もうとゆっくりと降りてくる。
見上げる表情はかわいいものを愛でる時の、慈愛に満ちたものではなく……マッドサイエンティストのような、どこか不気味さを感じさせる笑みだった。
……動物に好かれない理由がよく分かった気がする。
正直俺も逃げ出してしまいたいが、トオルにあぁ言った手前そうもいかないよな……
俺はギュッと目を瞑りながらカズオの手を受け入れ、ふわっと地面から浮かぶ。
「お、お、おぉぉぉ……俺から逃げないなんて、初めてだぁ……良い子だなウサミ、よーしよしよしよしよし」
涙の混じった声で、ワシャワシャと激しく俺の背中を撫でられる。
摩擦で熱いくらい激しく……。
完全にペット扱いで、なんだかすごくムズムズする……俺って本物の兎よりかかなり大きい気がするんだけどな……?
「カズオが喜んでくれてなによりだ」
「俺……もう嫁なんていらねぇ、俺はウサミのために戦うんだ……!」
意味不明なことを言いながらカズオは立ち上がり、グワンと俺の身体が持ち上がる。
背から差す夕陽で、カズオの顔には俺の大きな影が浮かび上がっていた。
いつの間にか離れた場所にいるクウビはぼんやりと俺たちの様子を眺めていた。
……今はなにもしてこないみたいだし、一旦放置でいいか。
それよりもここから帰って元の場所に戻ることが先決……だけど、戦争を控えたトオルの悩み事を増やしたくないし……むぅぅ……。
俺がムヤムヤと悩んでいると、カズオのズボンのポケットからなにかが落下した。
カタリと音を鳴らして落ちるそれを、トオルは驚異的な反射神経でキャッチする。
「なんだ、これは……みるく、きゃらめる?」
「あっ……すっかり忘れてた」
カズオはしゃがんでから俺のことをゆっくりと地面に降ろし、トオルの持つキャラメルの箱を受け取った。
これは……某有名メーカーのキャラメルか。
俺が知ってるのとはデザインが違うし、ひらがなだし……なんというか、時代を感じるデザインだ。
やはりこれはタイムスリップなのか。
本当になんで……。
俺って、こうなる前なにしてたっけ……?
カズオはキャラメルの箱を引っ掻いて開け、銀紙に包まれたキャラメルをトオルにひょいと投げる。
次に俺とクウビの足元に銀紙を置いた。
「あま〜いみるくきゃらめるだ。高かったんだぞ」
「なに、高いのか。感謝する」
「遠慮するとかはないのね……」
……そうか、昔って砂糖が貴重だったんだっけ。
俺たちみたいな動物にもくれるなんて……カズオは裕福なのだろうか。
……いや、違う。
カズオの気前がいいのは、きっと……
「おい不器用、汚すぎるだろ」
「食べれればいいだろう。和男の分も開けてやろう」
「それ見て誰がお前に頼むんだよばか」
カズオは銀紙の塵でまみれたトオルの手をしっしと払い、手際よく包装を開ける。
俺とクウビも目を合わせ、同時にキャラメルの包装を開け始めた。
そしてみんなで口に入れる。
「んまっ」
俺は久方ぶりに感じた砂糖の甘みに、思わずそう声が漏れた。
口にへばりついていた血の味が、優しくコクのある甘さで溶かされていく。
あまりにも美味すぎてちょっと涙が滲んでくる。
「……乳臭いな」
「ちょお、美味しいとかじゃないのかよ」
「……和男」
「おん?」
「悩んでいるだろう。話を聞かせてくれ」
「……なんでこういう時だけ鋭いかね、徹は」
カズオは芝の上にどかっとお尻から座り、膝を立てて足を広げる。
そのままガクンと頭から項垂れ、膝に腕を乗せて体重を委ねた。
「……戦争、行きたくないんだ」




