第75話 博打と応援
「ヤタノヴァイス・サンライズ」
自分よりも強者であるはずの、あのムカデをたった一撃で焼き焦がした光を前にしてあっしの脳裏に覚えのない経験が過ぎった。
その時の情景も、音も、匂いも、味も、感覚の一つさえ伴わない……不気味な程に隔離された記憶が。
あっしは……裏切られた。
誰に? 分からない。
どこで? 分からない。
いつ? 分からない。
どう裏切られた? 分からない。
ただ……自分の中にもう一つの自我ができたかと錯覚するほど大きくて強い、記憶。
一つだけ分かるのは……金以外のもので信用して、そうして裏切られたこと。
わけが分からない、中身のないはずのその記憶にあっしは頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜられている。
あっしそのものを飲み込もうとしているような、かき消そうとしているような……なんの思い入れもないそのハリボテに、あっしは恐怖していた。
出処の分からない感情……そんなものに突き動かされるなど非合理の極み。
ただでさえ感情には価値がないというのに、この感情はハリボテのように薄っぺらい。
そのはずなのに妙に腑に落ちる、自分で積み上げたもののように思える。
頼れるのは己が積み上げた成功と失敗のみ。
一度した成功に倣い益を得る、一度した失敗を省みて損を避ける。
あっしは一度経験した失敗は絶対に繰り返さない、繰り返してなるものか。
なぜならそれは、自ら損をしにいくのと同義なのだから。
「アイテムボックス……」
その考えに沿うのならば……あっしはスキルを使って穴に隠れるのが適切。
ここであの頭の悪い虎の言葉を信じて死のリスクを負うことなど愚の骨頂、非合理、不合理。
いくらハリボテといえど、確かにこれはあっしの積み上げた経験の一つ……な、はずなのだ。
「……ッ」
ゆっくりと流れる白き世界で、光線はもう目の前に迫ってきている。
時間はない、機を逃すことこそが最も愚か。
奴らが仲間と、友達と呼ぶ……肩書きだけの他人の言葉か。
それとも自分の中にある、自分のものでないような経験か。
二者択一、二つに一つ。
どちらも等価値という名の無価値、しかし選択せねば大損という名の死が訪れるのみ。
こんな状況……たった数日の短いチギリとしての生涯なのに、何度も経験してきたような気がする。
こんな時、あっしはどう選択していたのか……思い出したような気がする。
今まであっしが、こういう状況で何をしてきたか……!
「出でよ! サラマンダリアの鱗!!」
それは……直感という名の博打!
あっしは目を瞑りながら四足に戻り、前足で掴んだ鱗を盾のように構えた。
それからすぐのことだった。
鱗を持つ前足の先端が、一瞬にして灰と化した。
自らの身体が切り取られる痛みに、あっしは声とも呼べぬ号哭を撒き散らす。
しかし、しかしだ。
あっしを襲う痛みは……それ以外になかったのだ。
恐る恐る、鱗で出来た影の中で目を開く。
「ハッ……賭けに勝ったか……」
なんと信じられないことに、鱗にぶつかった光は九つの放射状となって弾かれ、完全に防ぎきっているのだ。
金剛石のように硬い、ムカデの体表すら焼き焦がした圧倒的な光線を。
「大したことねぇのだなぁ!? こんのアホウドリめが!」
この衝撃の中で届くことわけがない、吠えるように吐き出した煽り文句。
まさに無意味、むしろ届いたなら相手の力を増幅させうるリスクしか生まない行動。
こんなのは無意味ですらない……ただの、大うつけなのだ。
◇◇◇◇◇
「チギリ……」
ともすれば離れた自分をも飲み込んでしまう光を、あのチギリが一歩も下がらずに受け止めている。
おじさんから教わった、サラマンダリアの鱗の特性を利用して。
ラビリンスに入る前、役に立つと豪語して買ったアイテムで。
「……スキル、発動」
僕は手に巻き付けられたサクラの身体を強く握りしめる。
身体に巡る魔素という魔素をかき集めて、手のひらに全て注ぎ込む。
「パワーコネクション」
そして余った片手で転がったリンガの実を拾い上げ、傍らに倒れたウサミの口にグリグリと突っ込む。
僕は全てを託すつもりで、瞳を潤ませて震えるサクラのことを見た。
「やっぱり……師匠はすごいっす! スキル発動……」
サクラは真っ黒の炭のようになったカミカゼの身体に覆いかぶさり、練り上げた魔素を全て放出する。
「回復ダンゴ!」
魔素で出来た自らの身体の一部を切り離し、対象を回復させるスキル。
サクラはカミカゼの口の中に潜り込ませるように身体を操作し、強引に自分の身体を摂取させる。
木の実には遠く及ばない応急処置程度の回復……けどそれはサクラ一匹でならの話だ。
僕のスキルで強化し続ければ……あるいは。
そう思った。
けど……サクラの表情は芳しくない。
「まだ……足りないっす……」
「そんな……」
僕はウサミの顎を持ってリンガの実を噛ませながら、たった一匹で光線を受け止めるチギリを見る。
ラビリンスに入る前に買った、金剛の姿のサラマンダリアの鱗。
あれには光系の攻撃を全て弾く力がある……でも、たった一枚の鱗じゃあ……
「ぐうううう……!」
弾いた光は火花のように飛び散り、鱗の真後ろにいるチギリはそれを浴び続けている。
ほんの欠片のような光、けどそれが嘘みたいにチギリの身体を黒く焦がしていく。
最初は防げていたはずの攻撃、しかしそれも時間の問題だった。
ピンク色の尻尾は途中から焼け爛れて千切れかかり、耳元も削れてきている。
キラーバードがスキルを放出仕切るのが先か、チギリが灰になるのが先か……五分五分だ。
……けど、両手の塞がった僕にできることは……ない。
……いいや、一つだけある。
今みたいに僕がなにもできない時、おじさんがしてほしいって頼んでくれたこと……
僕は大きく息を吸い込み、どこまでも貫かせるつもりで喉を開く。
「チギリィィィィ!!! がん、ばれぇぇぇぇえ!!!」
こうすれば力が湧くって、そう言われたのをよく覚えているんだ。
無意味なんかじゃない、応援だって僕の大事な役割なんだ。




