第72話 何一つ叶わない
「徹! 待て! 俺たちは待機の指令だろうが!! 戻れ!!」
聞き覚えのある声……和男だろうか。
確かめたくなり、振り返ろうとするがやはり身体が動かない。
徹の身体は和男の声など聞こえていないかのように、激しい音や光のある方へまっすぐ走っていく。
激しく呼吸する徹の口からは白い息が漏れ、すぐ隣にいる人間たちは見えない何かに弾かれたように血を撒き散らして倒れていく。
それでも徹は怯むことなく進み続ける。
「徹っ!! 徹ーーーッ!!!」
距離が離れているのか、和男の声はぼやけているように聞こえた。
徹は武器を脇で挟み込むように構え、右手の指で取っ手を引く。
「退かん! 退かん! 退ぁぁぁぁぁぁぁぁかん!!!!」
すると先ほど見て聞いた破裂音と紅い光が武器の先端から放たれ、向かってくる人間が一瞬で弾かれたように倒れていく。
……殺していく。
しかし徹が頭に被っている防具に攻撃が当たり、視界がぐわんと揺れ動く。
「死ねぇ ゛ぇ ゛ぇ ゛!!!!」
徹はそれでも地面を踏み、血が絡みつく喉で叫びながら武器の取っ手を引き続ける。
上から紅くねっとりとしたものが目にかかり、滲むような痛みと焼け焦げた鉄錆のような臭いが鼻をつんざく。
徹はそんな中たった一人で、何十人も……もしかしたら、百人殺しているかもしれない。
血で湿り、産まれたての山羊のように震える足、もはや感覚など何一つない、なのに決して倒れないこの身体。
半狂乱になった徹はまるで慈悲を持たぬ災害になったかのように人間を撃ち殺していく。
いつしか聞こえるのは武器の音と、苦悶の叫びだけになった。
元から自分のものではなかった視界が、ぼやけて紅くなってさらに現実感がなくなっていく。
そしてついに……徹の視界が真っ黒に染まった。
自分はそこで徹から投げ出されたように吹っ飛び、紅黒く染まった土と死体の上を滑っていく。
「……む、動けるな」
自分は冷静に起き上がり、触覚をピクピクと動かして、脚を動かして自分の感覚を確認する。
その間に黒い玉のようなものがとんでもない速度で自分に向かってくるのに気づいた。
自分は顎肢でそれを弾こうと試みるが……そこにはなにもなかったかのようにすり抜ける。
触れることができないようだ。
自分は警戒を解くことなく、死体と地面を踏んで歩く。
……自分の身体より遥かに大きな人間の死体を、踏みしめて。
そして……一つの死体の前で脚を止めた。
「……トオル」
顔を見たことはない、だが分かる。
この死体はトオルだ。
眉が太く、死しているのに鬼のように恐ろしい表情を浮かべたままだ。
こびりついた血に黒い土の粒が飛び、肌が見えないほどに汚れている。
胸や腹が何かで貫かれており、緑色であったろう迷彩服は紅黒く染まり切っている。
下半身は歩けていたのが不思議なくらい夥しい量の血に沈み、足首はあらぬ方向に捻じ曲がっている。
手先は吹っ飛んでしまったのか、指の長さが不揃いだ。
「徹ッ!!」
この声は……カズオか。
自分は声のする方に顔を向ける……が、もやがかかったようでよく見えない。
……そうだ、そういえば自分は目が悪かったんだ。
しかし触覚である程度読み取れる、鮮明だった視界で見た顔も覚えている。
カズオは死体の山を飛び越え、黒い玉が飛び交う中で紅く染まりながら……トオルの目の前ですっ転んだ。
砂煙が舞い、被っていた防具がカランカランと音を立てて転がっていく。
戦場では余計に小さく聞こえるカズオの呻き声、それを自分はしかと捉える。
なぜだか分からないが、彼から眼が離せない。
「あぁ……徹……徹……」
カズオは倒れながら顔だけを上げ、土で黒くなった顔を涙で濡らす。
その視線の先には、トオルの死体。
ザリザリと無様に這いながら、しゃくり上げて泣き続ける。
そして、カズオはトオルに覆い被さった。
「きゃらめる……あげただろ、なぁっ。……っひ、昔からずっと、なぁ……お前が言ってたことっひ、覚えてるか、なぁ」
カズオは上擦った声でそう喚きながら、トオルの頬を親指で撫でる。
「貸し借りはなし……って、さぁぁ……義理がっ、人情がさぁ、っいいっちばん……大事っ、だってさぁぁ……」
カズオは紅く染まったトオルの胸を拳で叩く。
傷口から血が飛び散り、カズオの拳と顔に紅が飛ぶ。
「俺、俺っ……まだ、お前に返されてねぇんだけどさぁ、ひっ……っあ、あぁ……なぁ、なぁってぇ……」
ぺちゃ。
拳がトオルの身体に降ろされる度になるその音はあまりにも無機質。
微塵も反応のないトオルの身体は、無慈悲にも命がないと断言しているようだった。
自分はただただ、それを眺めることしかできない。
しかし、警戒を強めていた自分の触覚がいきなり激しく動き出し、遠くから迫る高温の玉を検知した。
「おい!! 逃げろ!! カズオッ!!」
気づけば自分はそう叫び、カズオの前に立っていた。
自分の目の前で仲間が死ぬなど、あってはならない。なにがあっても絶対にだ。
スキルの発動は間に合わない。
それでもここで、自分が盾となる。
そう覚悟したのに……
「返せ……俺の、俺のきゃら」
──────!!
その破裂音が、自分には一層大きく聞こえた。
カズオの頭から吹き出すように血が流れ、力無く倒れ込んだ。
自分の身体をすり抜けて、カズオの鮮血が辺りに飛び散った。
それはまるで……本当に自分の身体から出血したようだった。
なのに……自分の身体はどこも痛まない。
痛まないのに……
「ウオォ……ウオォ……!!」
痛かった。
どこか、自分の奥底のようなところが痛かった。
……たとえ、玉を受け止められたとしても……自分のこのちっぽけな身体ではカズオの大きな身体を守ることはできなかっただろう……。
「ウォ……ォ」
自分の身体が、濡れている。
雨か?
そう思って空を見上げても……曇り空を背景に砂と血が舞うだけ。
……生温い、温度のある水。
それが眼から落ち、触覚に伝って地面に落ちる。
……そうか、泣いているのか……自分は生まれて初めて、泣いているのか。
止める術のない涙は身体を伝い、触覚を伝って地面に垂れる。
敏感な触覚がひどくくすぐったい、それでも自分の脚は痛む奥底を守るように内に向かい、触覚を拭う気になれなかった。
自分の目の前で……カズオが、仲間が……トモダチが、死んだ。
なにも知らないはずのこの男の死に、自分はなぜこんなにも痛みを覚えるのだろう。
目の前で仲間が死ぬというのはなんて……なんて苦しいのだ……。
自分には到底、耐えられない……耐えられるわけがない……。
いっそ、もうここで死んでしまいたい……。
「ウサミ……」
勝手に溢れ出たその名前で……自分は気づいた。
ウサミだ。
カズオから眼が離せなかった理由……きっと自分は、命を賭して守りたい存在として重ねていたのだ、ウサミとカズオを。
……カミカゼ。
大切な彼にもらったこの名前が……きゃらめるにも似た、甘い響きを持った贈り物が……自分の心の中で、カズオを貫いたあの黒い玉になってしまったような気がした。
やっと……今更になって分かった。
自分はなんと、なんと愚かなのだろうか。
自分は彼の、ウサミの願いを……踏み躙ってしまったのだ。
彼がしないで欲しいと願った戦術……神風をして。
仲間を、トモダチを守るとは……自分の願いとは……一体なんだったのだろうか。
ウサミの願いも、カズオの願いも守れなかった自分が……どうしたらのうのうと生きられようか。
もう、生きる理由を探すことすらできない。
自分は生きる理由すら知らぬまま……歪んだ願いすら叶えられないまま、死んでゆくのか……。
重なったトオルとカズオの死体の上で、自分は泣き続けた。
大切なトモダチの願いに報いれない自分のことを呪いながら……カミカゼという熱すぎる玉に貫かれながら。




