第71話 いつか貰つたきやらめる
光に包まれた瞬間だったか、自分の魂がどこかに引っ張られるような感覚を覚えた。
防御を固めるために魔素を総動員し、全身の力さえそれに捧げた自分には到底抗う力など残っていなかった。
意識は、遠くへ昇っていく──────
◆◆◆◆◆
「──────る……徹!」
真隣から声が聞こえ、自分はそちらに顔を向ける。
……視界が、妙にはっきりとしているな。
夕焼けに照らされた男の顔には小さく髭が生え、キリッと整えられた眉が凛々しい。
灰色の頭は綺麗な丸となっていて、触るとチクチクしていそうだ。
一体……誰だ。
もしや……人間なのか?
というか、ここはどこだ。
自分は戦っていたはずでは……
自分の戸惑いなど隅に追いやるように、勝手に口元がもごもごと動き出す。
「なんだ」
「相変わらずぼーっとしてんなお前。せっかくの男前が台無し、嫁さんが泣くぞ?」
「家内は強い。そんなことでは泣かない」
「そういう話じゃねぇって……はぁ、なんでこんなのが結婚できて俺ができねんだよぉ……。俺独身のまま死にたくねぇよぉ……」
爽やかな風が吹き、草花がサワサワと靡く。
彼は胡座のまま、クロスした足に頭を落とすようにガクンと項垂れる。
制御の効かない自分の視界の上下から何度か黒の幕が降り、フラッシュするような感覚になぜか懐かしさを覚える。
自分はそのまま固まってしまい、長い沈黙が訪れた。
鳥の囀りや蝉の鳴き声が空から降り注ぎ、自分の首が下に曲げられる。
傾斜の下に流れる川の流れはゆったりと静かで、カエルの鳴き声が昇ってやってくる。
地面についた……手、だろうか。
手には乾いた土の感触と、揺れる草にくすぐられるような感覚が舞い込む。
丸い影に覆われた地面に一輪だけ咲く、黄色の花。
それがなんだか、頑張れと自分を励ましている気がした。
「……和男」
口から出たその知らない名前は、不思議なほど自分の心に温もりを染み込ませる。
持ち上がる自分の頭に揺られ、同じく顔を上げた……和男という人間の黒目は金色の光を瞬かせていた。
「自分は友達が少ない。どうやら口下手なようでな」
「……知ってるよ」
和男は身体を大の字にして太陽の光を全身で受け止める。
「だから……自分はお前のことを必ず守ると誓う」
「……」
「勇敢な兵士として国と、家内とこれから産まれる子供の未来のため……そして和男、お前が生きて未来を手にするために。自分は恐れない。敵を殲滅する」
自分の手はシャツを巻き込んで胸を掴み、心の臓の波が全身に広がっていく。
和男は豆鉄砲をくらった鳩のようにポカンとした表情になり、やがてブハッと吹き出した。
閉じられた瞼からは涙が流れ、掠れた笑い声を自分は固まったまま受け取り続ける。
「お前ほんと……よくそんな小っ恥ずかしいこと言えるよな」
「恥ずかしくないぞ」
「普通は恥ずかしいの」
普通は恥ずかしいのか。
覚えておこう。
……覚えておいたところで、もう自分は死ぬのか。
そう思うと自然と心が締め上げられるような気持ちになる。
それでも徹と呼ばれるこの身体は明るい和男の顔を見つめ続ける。
和男はふっと笑ってズボンのポケットに手を伸ばす。
小麦色の手がそこから取り出したのは、優しい黄色の箱。
『ミルクキャラメル』と書かれた箱から、和男は銀紙で包まれたキューブをひょいと投げてくる。
自分はそれを勝手にキャッチする。
「なんだこれは」
「きゃらめるだよ、きゃらめる。高かったんだからな?」
「なに、高いのか。感謝する」
「遠慮するとかはないのね……」
自分の視界は手元に移され、銀紙の包装をビリビリに破いていく。
横から「不器用不器用」というヤジが飛んでくるも、徹はなにも気にしていないのか和男に見向きもしない。
銀紙の残骸に塗れた手のひらに現れたのは、明るい茶色のキューブ。
格子状の切れ込みが入っており、すんすんと嗅いでみるとバターの匂いが鼻をついた。
徹はそれを口の中に放り込む。
思ったより硬い。
徹の舌の中で転がるきゃらめるの味が、自分にも伝わってくる。
木の実とは違う、コクのある甘み。
それになにやら乳の匂いがする。
未体験の味や香りに自分は悪くないじゃないかと思ったが……
「乳臭いな」
徹はそう口にした。
「ちょお、美味しいとかじゃないのかよ」
「いや、美味いぞ?」
「そっちを先に言えよ!」
和男が起き上がり、徹の身体を押し倒す。
絵の具を伸ばすように橙色が視界を巡り、夕陽で一瞬キラリと輝くと徹は眩しかったのか目を閉じる。
暗闇に染まった視界はしばらく開かず……待っていると、いきなり近くで爆発音が轟いた。
次の瞬間、自分の目の前に広がったのは黒の大地。
先ほどまで寝転がっていた身体はいつの間にか地面を二足の足で踏み締めており、肩のあたりがジワリと湿っているのを感じる。
湿っているのに、熱い……傷、血か。
迷彩柄の服を着た大勢の人間が黒い金属のなにかを両手に持ち、耳を裂くような破裂音と光を撒き散らしている。
武器、だろうか。
よく見ると、自分の両手にもその武器らしきものが抱えられている。
血と土で汚れた手。
先程まで腕の中にあったはずの、和男の温もりはどこにもなかった。
これは、一体……?




