第48話 限界のその先
「サクラ! 階段まであとどれくらいか分かるか!?」
「この速度でいけば一分かからずに着くはずっす!」
「それならまだなんとか……」
そう口に出したのも束の間、ドクンと心臓が鳴った気がした。
俺はそれがどうしようもなく不安に感じて、大きく横に跳んだ。
……本能に従ったその行動が正しかったと知らされるには一秒もかからなかった。
「っい……」
後方から飛んできた風の刃が俺の頬肉を削った。
軽く散る血潮を尻目に、歯を食いしばって走り続ける。
一分……耐え切れるのか……?
脳裏に飛来するのは、これから起こるかもしれない惨状。
──────全滅。
心を殺してモンスターの抜け殻を踏みにじってきたのに、痛くても死んで楽になりたくても、それでも生きたいと叫んできたのに……そんなの……!
一層強く歯を噛んだ、その時。
「アイテム……ボックス……」
片方の腹からガルタの爪が抜ける。
「しばりの石!」
俺の頭上で聞こえたその声とともに、電流が霧の中に消えていく。
ばちばちと弾けるような音に耳がピクピクと反応し、鬼の足音の間隔が遅くなった。
動きを封じるとまではいかずとも、動きを鈍化させることには成功したようだ。
片手の離れたガルタは苦しそうに呻きながら俺の身体に必死に掴まる。
けど……このままじゃガルタが落ちてしまう、ガルタの体力が持たない。
もう一箇所、どこかに掴まれれば……
……そうだ!
「俺の背中に噛みつけ! 思いっきり!」
「そんなの……!」
「早くしろ! 死ぬよりマシだろ!」
「っ……ごめん……!」
走りながら強張らせた背中に、灼熱が走った。
涙の混じったガルタの声が、俺の声にならない悲鳴で掻き消される。
意思とは関係なく視界が滲んで足がもつれて転びそうになる。
千切れそうなくらい目をぎゅっと瞑り、閉じた瞼から涙が溢れた。
俺も……もう限界が──────
「ウサミぃ!」
耳に飛び込む叫びに、俺は目を見開く。
「契約不履行で死ぬことだけは許さんぞ!!」
「……!」
──────お前たちがあっしを迎えに来た暁には……このチギリが、探検隊の一員となることを約束してやるのだよ。
「あっしをイザナミの一員にするまで、走れッ!」
会ってから一日も経ってない。
お互いのことだって碌に知らない。
それなのに……
「任せろ!」
限界の先の先まで、力が湧いてくるんだ。
「! 先輩! 階段が見えたっす!」
前から聞こえた希望に、俺の足は一層強く地面を蹴り出した。
階段にさえ着けば、もうこのフロアのモンスターは襲ってこない!
これで……!
「あっ」
俺は知っている。
力が抜けた時の、何が起こったか分からないまま失敗した時の声を。
それが聞こえたのはどこからだっただろうか。
霧越しで見えるぼやけた階段の手前、そこで前のめりに転倒するピンク色に、投げ出された茶。
スロウになった世界で、俺は思った。
俺は、俺たちはサクラに甘えすぎていたんだと。
よくよく考えれば分かることだった。
一番限界なのはサクラなのだと。
魔素総量が俺たちより少ないのに鬼を拘束できるほどのスキルを使用、俺とガルタを助けにきた時の驚異的な跳躍。
それに何より、回復スキルの連発。
丈夫なモンスターと言えど、多量の出血を伴う傷の再生にはエネルギーを大量に使う。
それをスキルたった一つでなんとかできるのだ。
一体どれだけの力を、魔素を消費するのか想像もつかない。
サクラはずっと、激しい魔素酔いの中走り続けていたのだ。
全身から流れる血が、氷のように冷たく感じた。
研ぎ澄まされた感覚の中で、俺たち四匹以外の足音が色濃く聞こえた。
スドン、スドン、スドン。
重たい鉄棒が岩を突く音が、棒のように無機質な足が地面を踏み締める音が。
もう猶予はない。
階段までは約百メートル。
手のない俺が地面に落ちたサクラとチギリを拾うには口を使うしかない。
けど、口は一つしかない。
二匹を同時に口で咥えること自体はできるかもしれないが、それを走りながらするのは無理だ。
どちらかを落としてしまう。
そもそも俺の今のスピードでは階段に着く前に鬼に追いつかれる。
そういう距離だ。
俺、一人ではもうどうしようも……
希望を手放しかけた、その時だった。
ガルタが俺の背中をポンと叩いた。
『仲間を、信じて!』
俺では、サクラかチギリどっちかしか拾えない、助けられない。
でも……ガルタの右手が、フリーだ!
「スキル発動──────」
回復した魔素も、もうほとんどない。素のスピードでは鬼に追いつかれる。
けど……チギリが励ましてくれた。
サクラが希望を示してくれた。
ガルタが背中を叩いてくれた。
そうしてくれた彼らが今、ここにいるのなら……!
「ホーンタックル!」
まだ頑張れる!
人間の両手で、魔素の流れを掬う。
残りの魔素じゃ両手いっぱいになるまでには至らない。
なら……川の底に沈んだ砂まで抉り取ればいい!
体内を巡る魔素の川、そこに俺は手を突っ込んで地面に突き刺す。
瞬間、体内がちぎれたような痛みが身体の中心に沈み込む。
あ、これ、まず……──────
あまりの痛みに一瞬意識が飛んだ……が、一度掬った魔素は止まらない。
コントロールを失った魔素は俺の身体から霧のように吹き出した。
意識を失っていても、一度スキル発動宣言が為されている……俺の身体に染み付いたホーンタックルを使うプロセスのおかげか、勝手に後ろ足に魔素が集中する。
そしてあろうことか、そのまま地面を蹴り出したのだ。
その衝撃で俺は手放した意識を取り戻す。
「……?」
意識の戻った俺はなにひとつ状況が掴めず、魔素を垂れ流しながら超高速で跳ぶ。
「うあっ!?」
俺に乗ったガルタはサクラを上手いことキャッチ……することができなかった。
しかし右手がサクラに掠り、餅のようにガルタにくっついた!
もはや奇跡としか言いようがない二匹のファインプレーだ。
そして……
「ぬおおおお!!?」
階段前に倒れたチギリは俺のスキルの風圧で階段に吹き飛ばされる。
「ぐおっ……」
それと同時にチギリは後頭部を階段に打ちつけてしまい、意識を手放した。
そして当の俺も……
「あ……」
石造の階段に角から突っ込み、そのままへし折れた。
上に乗ったガルタと、ガルタにくっついたサクラは上段に放り出され、俺は回転しながら背中から階段の角に放り出された。
その頃にはもう、俺の意識は残っていなかったが。
「……ギィ」
階段に倒れ込む俺たちを見て鬼はそう鳴いたかと思えば……そのままなにもせずに去っていったのだった。




