メンヘラとホイホイとファッション
「えー!甘木くんって、ドーナツ屋さんでバイトしてるんだぁ」
講義が終了した後の緩んだ空気の中、糖太は顔なじみのやたらパーソナルスペースが近めな学友Aに迫られていた。
「あー、うん。恥ずかしいからさ、みんなには内緒でお願い」
他愛もない雑談の中で個人情報を少しずつ盗まれていく。別段、ドーナツ屋でのバイトを恥じることなどないのだが、今はこの会話を早く終わらせることが先決である。
「ぜんっぜん恥ずかしくないよぉ。ねぇねぇ今度、遊び行ってもいい?」
間延びした語尾が少し耳に付く学友A。いや、普通に名前知らないんだよね、この人の。あと、友達の家に遊び行く感覚でバイト先に来られても普通に困ります。
「バイト先の店長が厳しくてさ、それはちょっと無理かも」
ちなみにこの学友Aさん、例に漏れず見た目からしてメンヘラ感が滲み出ている。なるだけ刺激をしないように、そっと会話を切り上げたい。
「えー、残念~。働いてるとこ、見たかったなぁ~」
全く残念そうな顔をせずに答える学友Aに違和感を覚える。これは嘘をついている味だ。
「じゃあさぁ...甘木くんのお家、遊びに行ってもいい?」
巧みなドア・イン・ザ・フェイスで攻められた糖太は、次に返す言葉を必死に探しながら頭をフル回転させていた。
◇
氷砂糖恋衣は現場を捉えていた。
講義終わりの糖太がいるであろう講義室で、メンヘラ臭い女に言い寄られる糖太の姿を。
最初は普通に雑談なのかなと、遠慮して遠くで見守っていた恋衣だが、次第に押され始めた糖太に違和感を覚えた。
「じゃあさぁ...甘木くんのお家、遊びに行ってもいい?」
講義室から出ていく学生の流れに乗って、糖太たちの会話が恋衣の耳に届く。え、なんだって?トータのおうちに?あの...メンヘラ女が?
改めて、今にも糖太に縋りつかんばかりのメンヘラ女に目を向ける。
あ、こいつ、いまトータに見えない絶妙な角度で嫌らしい笑みを浮かべてた。こいつぁやばい。
恋衣は焦る気持ちを抑えつつ、ズンズンと足音を立てて威嚇しながら糖太とメンヘラ女の方へと距離を詰めていった。
◇
「ごっっっっっめ~ん!トータお待たせ、遅くなっちゃった」
こめかみに力の入った笑みで糖太に声を掛けた恋衣。わざとらしく糖太とメンヘラ女の間に割って入ると、メンヘラ女は分かりやすく嫌そうな表情に変わった。
「あ、トータのお友達?ごめんなさいね、ちょっと急いでるから」
恋衣はクルっと糖太に背を向けると、「さっさと消えろ」と圧を感じる視線を携えてメンヘラ女と対面した。
「えー、甘木くん。この人だぁれ?ちょっと怖いかもぉ」
イラっとするモーション付きで怯えたふりをするメンヘラ女に、思わず「きもっ」と声を漏らす恋衣。ちょっと、恋衣さん。さすがにそれは聞こえますよ。
「あぁ、彼女は幼馴染の氷砂糖k」
他己紹介中の糖太は横からの衝撃に言葉を遮られる。衝撃の正体に目を向けると、糖太の左腕を両手でホールドする恋衣と目が合った。
「トータ、帰ろっ!」
近距離でパッと咲いた幼馴染の笑顔に負けた糖太は、恋衣のエスコートに引きずられて講義室を後にした。
モブに名前なんて要らんのですよ




