情実と穴埋めの人事・2
――そんな具合で2人の取締役会は、終始和やかな雰囲気で終わったのだが、それでいて野木にしてみれば、それなりの緊張を強いられる時間であったことも確かであった。
屋上の喫煙スペースで、1人タバコに火を点けた野木は、夕闇が迫る青紫の空を気怠げに見上げると、長い潜水から浮上して、潮を吹くクジラのように、細く長く煙を吐き出した。
野木としても、この喫煙という習慣は、火を扱うことでもあるし、値も張る上に 臭いのケアにも気を遣うことから、少なからず面倒なことは確かである。
――にも関わらず、稀な頻度とはいえ、これを止めるに至れないのは何故なのか―?
――吸い始めたのは20歳を過ぎた学生の頃だが、それは頭脳明晰な野木であっても、はっきりとは思い出せないほど幼い頃の記憶に起因している。
――吐き出されたタバコの煙は、細かな粒子で自由な曲線を描き、やがて虚空に吸い込まれるように、解けながら消えていく。
気づけば野木は、いつの間にか、その有り様を飽きもせず眺めていられる人間になっていた。
――それは おそらく彼にとり、柔らかく優しい時間が流れていた、遠い昔の感覚を呼び覚ます光景であり、匂いなのだ。
その煙を方程式に叩き込み、その挙動や振る舞いを予測することも、今の彼には可能であるが、この1本を吸い終える ひと時だけは、彼は敢えて自由に任せる至福の開放感に浸る。
たなびく煙と繋がって、眼裏に浮かぶ朧な記憶には、温もりに満ちた仄明るい場所で、幼い自分を優しく見守る2人の人物が現れる。
――穏やかに微笑む若き日の母の傍らで、嬉しそうに赤子の自分を覗き込む男の手には、しかし乳児への遠慮もなく火の点いたタバコが摘まれていた。
――それは この上も無く温かく、煙のように儚く消えた、幸せな時間の残像であり、その記憶が、野木をしてタバコを断ち難いものにせしめている――。
――そこに現れる男こそ、誰あろう、幼い自分と母とを捨てた、愚かな父だと分かっていても――。
◇ ◇ ◇
この喫煙スペースに逃れる前に、野木は今回の取締役会における最重要案件を、内藤とともに片付けて来た。
――それ即ち、中学生の四郎丸白少年に社長代行への就任を願い、その了解を得ることである――。
年齢相応に成長してきているとはいえ、土台が控え目で引っ込み思案なアキラ少年が、難色を示しはしないか、電話の直前に不安を漏らした内藤に対し、野木は1つの入れ知恵をした。そして内藤は、野木に言われた通りに こんな誘い文句でアキラを口説いたのである。
――「…勿論、受験が終わるまでは、研修と引継ぎ名目で、放課後 時間がある時に出社してくれるだけで良いんだよ。…それに、社長代行になってくれたならね、君が助けようとしている『トキオ』くん?の為に、社長権限の及ぶ範囲で我が社の資材や場所を使って構わないし、野木くんも、出来る範囲で協力すると言ってるんだが、どうだろうね――?」
――これを聞いたアキラは、内藤の心配を余所に、ほぼ考える間も無く2つ返事で これを了承したものだから、内藤が、その『トキオ』くんとやらが何者であるかを知りたがったのは必定というものである。
そこで総て正直に、「社長を追って行った先で拾った、自分を神の生まれ変わりと称する少年で、その身体は謎の一団によって機械に変えられ持ち去られて、今あるのは『魂』のみ」――などと語ったところで、これを即座に信じろというのは全く無理な相談というものであろう。
野木は少し考えて、
「…社長を探して行った先で出会ったのですが、自分のことを転生した『神』だと語る、少し風変わりな少年です―。行く宛も無く、困っていたようでしたので、アキラくんの判断で、連れ帰りました。」
――くらいの紹介に留めた。
しかし これだけでも内藤の不安を煽るには充分だった。
「…だ、大丈夫なのかね…? そんな…『神』を名乗るような、突拍子もないことを言う子など、アキラくんの身近に置いて…、今も一緒に居るのかい…?」
「――私も最初は気が進みませんでしたが、私の目で見ても大した害にはならないだろうと思えましたので、アキラくんの意向を尊重した次第です。ですが…、
――近いうちに、常務にも お目通り願いたいところではありますね、果たして彼が、アキラくんと近しくするのに相応しい人物か否か、常務にも お確かめ願いたいところです。」
「――そうだね、なるべく早く時間を作ろう、
――それで、まずは この緊急措置としての社長交代に伴う、明日以降のスケジュールについてなんだが…、」
◇ ◇ ◇
――百聞は一見に如かず、内藤も、その眼で見れば、少なくともトキオが普通の『人間』でないらしいことは理解してくれる筈――。
――驚いて腰を抜かしはしまいか、心配なところもあるにはあるが――。
◇ ◇ ◇
――その後、明日には3人の工場長を交えた会議を開き、今後の体制について詳細を詰めるということで、取締役会は お開きとなり、残務を請け負った内藤に暇を請い、野木は屋上に退散してきたという訳である。
携帯灰皿に吸い殻を仕舞い、今日の夕飯を どうするか、思い巡らしていた野木であったが、やおら屋上出入口のドアが開き、経理担当の二階堂皐月嬢が姿を現した。
「――野木専務―! 良かった…! やっぱり ここに居た~…!」
だいぶ急いで階段を駆け上がって来たのか、皐月嬢は弾む息を抑えながら、野木に歩み寄る。
「――二階堂さん、どうされました――?」
携帯灰皿をスーツのポケットに仕舞い、野木は尋ねた。
「――申し訳ありませんけど、戻ってもらえますか?…って内藤常務が…、ちょっと…、あの後、アキラくんの、大叔父様から お電話が入って――、」
「――アキラくんの――?」
◇ ◇ ◇
――その電話こそ、アキラの社長代行就任に『待った』をかける、彼の大叔父・四郎丸豊氏からの最初の連絡であった。
――ここまで お読みくださった読者諸氏は既に御存知のように、この後アキラ少年は無事社長代行になるのであるが、実は ここにも伝えておきたい一波乱があったのである。
今更ながら、話の時系列が前後している由、深く お詫び申し上げるが、この前後数話は そこに焦点を当ててお届けすることを どうか お許し願いたい。
ここまで お読みくださり、誠に ありがとうございます。
貴方様の1PVを頂戴できますこと、たいへん嬉しく思っております。
引き続き、次回も お楽しみいただけましたら幸いです。




