情実と穴埋めの人事・1
彼について、これを知った関係者の十中八九が口を揃えて「意外だ」という感想を述べることなのだが、野木は時折タバコを嗜む。
社則で明文化された禁止規定こそ無いものの、安全管理上、決して歓迎はされない この喫煙という習慣を、しかし断ちがたく続ける者は、K.Kリングの社内にも やはり一定数存在し、専務たる野木も その1人である。
頻度でいうなら野木は最も少ないほうで、ならば いっそ止めてはどうかと、常には彼を激賞する社長が直々に窘めることもあったのだが、今日に至るまで、野木は誰の忠告にも従わず、各事務棟の屋上の隅にのみ残る、青天井の喫煙スペースを、多くの社員が家路につく頃、天候と気分が向いた日に、独り占めしに訪れる。
――この日の野木は、少しばかり くたびれていた。
前日日付けが変わる頃、社長令息·アキラくんの訪問を受け、彼の願いに応じて深夜車を飛ばし、群馬山中までの往復をこなし、仮眠を挟んで社長宅にアキラくんを送り届けたところで、丁度 警察が、行方知れずとなった社長について、事情聴取と居室の調査に訪れたのである。
捜索を願った社長には、実はGPS付きの指輪を予め渡してあり、その信号を追って群馬まで行った先に指輪だけが残っていたこと、その指輪について警察に知らせなかったのは、自動車で高速道路を移動していたと思しき そのGPS信号を追う為に、他に構う余裕が無かったからと、野木は警官に説明した。
予めGPSを付けていた準備の良さと、その情報を警察とは共有しなかったことについて、やって来た警官は不審がり、どこか横柄な態度で更なる説明を求め詰め寄って来たが、そのアゴ髭の警官に対し、野木はアキラを庇うように、2人の間に立ち塞がって こう述べた。
「――如何に不惑の成人男性とは申せ、急な病の可能性すら考慮もせず、私どもが不穏な前兆と感じていた電話での口論も勝手な思い込みで『痴話喧嘩』と片付けるような法の番人様が居座る組織に、片時の猶予も無い追跡劇の最中、再び事情を説明して協力を願おうなど誰が考えると思われますか?
残念ながら、私どもの追跡も一歩及ばなかったからには、昨夜 私どもが得た情報を提供するのに異存は申しませんが、これ以上、的外れな推理を披露して、恥の上塗りをする暇があったら、一刻も早く社長のスマホの位置情報を調べるなり、昨夜GPSが通過したルートの防犯カメラ映像に当たるなりしてほしいものですね、そちらも捜査のプロでいらっしゃるなら――」
野木の この要請に対し、しかしアゴ髭の警官は、「こちらにも段階を踏んだ手順というものがある」として、あくまで訪問した目的である居室の調査に着手した。
見るからに乱暴な手つきで父·広の部屋が物色され始め、不安な表情を浮かべたアキラに すかさず寄り添い、横暴な越権行為は1つも見逃すまいと、野木は終始睨みを利かせ、粗暴な動きが目に留まるたび、その法的根拠の妥当性を具さに問い続けた。その甲斐あってか、島田という名のアゴ髭の警官は、最初の勢いを徐々に失い、最後は、至って慇懃な手つきになり、その調査を終えて帰って行った。
そんなこんなで野木は昼過ぎに帰宅し、ようやく自室のベッドで1、2時間程寝入ったところで、枕元のスマホに、内藤から電話が入った。
――今日の出社は見合わせて良い―と、自ら語った手前、内藤は至極 申し訳無さそうに、遠慮がちに話を切り出してきたが、その用件は、どうも早期解決は見込めそうにない社長の失踪を受け、今後の会社の経営体制をどうするか、なるべく早く取締役会を開きたいということだった。
専務と常務の上下関係とは、他社が どうかは知らないが、ここK.K.リングに於いては、圧倒的に常務·内藤が上である。
それ故 内藤から賜った休日を自ら返上し、他産業に比して退社時間の早い社員達と すれ違いながら、夕暮れ時に急遽出社する運びとなった野木なのだった。
会議室に入るなり、休みを返上させたことを詫びてきた内藤だったが、それを制して最敬礼し、昨夜言いつけに背いて社長の後を追ったことを野木は詫び、手土産のラスクを献じたのであった。
「…よりによって このラスクを買ってくるとはねぇ…、」
斜めに向かい合う席に座り、早速供されたラスクを手に取り、しみじみと語られた内藤の言葉に、さては社長との つきあいで食べていただけの内藤かもしれない恐れに気づいた野木は、慌てて その真意を尋ねた。
「――もしかして、あまり お好きでは ありませんでしたか――?」
「――いいや、好きだよ、サクサクして美味しいからね。…いや、それがさ、広は これを『ガリガリ』って呼んで、異常に どハマりしてた時期があったんだよ、…で、あんまり広が このガリガリが好きだ、ガリガリが好きだ 言うものだから、――ひょっとして、これはガリガリ体型の私に対する、密かな愛の告白なんじゃないか―?ってね、人知れず悩んだことを思い出すのさ…」
――これは反応に困る話である――。
果たして、これを聞いた自分に望まれるリアクションとは一体……?
あるいは既に、この内藤常務は、自分がアキラくんに対して抱いている感情を見抜いている故の牽制なのか――?
自分も大概ではあるが、この内藤常務も また、常に飄々として、その表情から多くを読み取ることは難しい。
――2人の間の空気が、妙な緊張感で充たされた次の瞬間、内藤は戯けた調子で こう言った。
「――いや、全く私の思い過ごしだったんだけどね。」
――どうやら笑うところだったらしい。
この御仁は、真顔で こうしたネタを仕込んでくるから油断がならない。
咄嗟に苦笑いしか返せなかったフォローをすべく、野木は こんな言葉を内藤に返した。
「――ですが、社長と常務が良好な関係にあるのは我が社の大きな強みですよね、」
「――嬉しいことを言ってくれるねぇ…、いや しかし、私にも慢心が有ったのかもしれないね…。結局 広は、誰と何を言い争って、何故行方が知れないなんてことになったのか、…私は何も教えてもらえなかった…、」
「――それは常務に限った話では ありませんよね? …我が社全員、アキラくんでさえ、何も聞かされなかった――。アキラくんも仰っていましたが、やはり『あのこと』が関わっていると見るべきでしょうか…?」
――『あのこと』とは、以前にも少し触れたが、K.K.リングの創業者であるアキラの曽祖父が、先の大戦末期、政府筋の組織から処分を依頼された、『ある物質』に纏わることを指す――
「――それが最も疑われることではあるね。…それで…ここから本題に入らせてもらうけども、それを踏まえても、広が戻らない間、その代役は、アキラくんに任せたいと思う。…創業家との繋がりは、――気休めのようなものかもしれないが――、それでも不可欠なものでもあると私は思っているんだ。野木くんは どう思う――?」
「――異論は有りません。ですが、アキラくんが受験生であることを思えば、せめて来春までは、まずは名ばかり社長の形で良いのでは?」
「――勿論、そのつもりだよ。そもそもアキラくんを社長に据えたいのは血筋の件だけでなく、私には、友人として、広が不在の間、我が社を守ると同時に アキラくんの生活が立ち行くように配慮する、善管義務があると思うからさ。
筆頭株主の四郎丸家とはいえ、現在の我が社の配当だけでアキラくんの学費や医療費を賄うのは 恐らく無理があるからね。
――アキラくんがこれまで通りの生活を送って、現在の主治医先生の元で、変わらぬ医療と経過観察を受ける為には、飾りであっても社長として、報酬を受け取ってもらう必要がある。
――その為には、私と野木くんが広のぶんまで、その穴を埋めて働く必要も出てくる訳ではあるんだけどね…、それを、了承してもらえるだろうか――?」
「――それは勿論――、…大恩ある社長と、その御子息の為ですから――。…安心しました、常務も私と似た考えを お持ちのようで…。
――ただ その為には、現在 私が預かる第4プラント建設に係る業務は、一旦棚上げさせてもらって よろしいでしょうか?」
「――広には すまんが、それが良いだろうね。なに、広が戻れば再開すれば良いだけの話だから、――広が消えた理由も まだ判然としない以上、無闇な新規拡大路線は選ばないほうが無難でもあるし、異論は無いよ。
――久しぶりに現場に戻ってもらうことになるけども、まぁ、君に任せたいのは第2第3のほうだから、あちらの工場長2人となら、また上手くやれるだろう? 君だったら、」
「――約2年ぶり、ですからね…。早く感覚を取り戻せるよう努めます、」
「――いや、ありがとう。
…君の意向を早く確認したくて、徹夜明けだというのに、呼びつけてしまって すまなかったね。…2人の意見は概ね一致していると分かって、私も心強いよ。
――要するに、我々は、互いに社長の器でないという自覚があるんだね、」
――ここで2人は、顔を見合わせ苦笑した。
「…少し意外でした。内藤常務でしたら、社長の代役など直ぐにも熟せる筈ですよね…?」
「――君のほうこそ、ここぞと野心家の顔を覗かせて来るんじゃないかと、内心ハラハラしていたよ…?……ただ仕事が出来るだけ――では、足りないものがあるんだよね、社長業というのは、きっと…。
まったく、急場しのぎの情実人事とか穴埋めとか言われても仕方ないかもしれないが、我が社の社員は多かれ少なかれ、あの汗っかきの広を放っておけない気持ちでやってるところがあるからね…、その広が大切にしてきたアキラくんの為となれば、広の失踪に伴う動揺も、最小限に抑えられると私は踏んでるんだ。
…それに……広が頑張った甲斐あって、あのアキラくん、なかなか どうして、社長に相応しい人物に育っているように思うよ。…まぁ、我が社の商売を思えば、些か ひ弱で品が良過ぎる嫌いはあるけどもね…、」
「――確かに。ですが常務、その点は まだ我々にも、改善の余地があると思われませんか――?」
「…はは、それは言えるね……、」
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