親の欲眼と子の引け目
アキラがダイニングキッチンに戻ると、父・広は椅子に腰掛け、電気ケトルでお湯が沸くのを待っているところだった。
「―父さん、その お湯、僕らの為―? 華ちゃんなら今帰ったよ―、」
「―おお、そうか。…じゃあ 父さんとアキラで何か飲むか? ―何が良い―?」
「…う~ん、じゃあ、しょうが湯で―、」
「―お、なら父さんも それがいいな―、」
そうして2人は 各々のマグカップで しょうが湯を作り、晩御飯の支度を前に、ひと息つくことにした。
マグカップを持つ父の左手の小指に、先ほどの指輪が ちゃんと光っているのを確認し、アキラは少し安心して しょうが湯をひと口啜る。
「―ところでアキラ、これなんだが…、」
そう言って、父がアキラの前に差し出したのは、先刻テーブルの隅に置かれていた、1枚のプリントだった。
「―あ、三者面談の―…! …ごめん、出しっぱなしで忘れてた…、」
何しろ、父の帰りを前に、華と2人、芝居の打ち合わせに余念が無かったのである。
「ああ、いいんだが、再来週から、か?」
「―うん、…どうしても都合がつかない時は、前後1週間くらいはズラして対応してくれるって、先生が。…どう…? 大丈夫そう…?」
遠慮がちにアキラは尋ねた。
「―もちろん、都合はつけるさ、大事な息子の一大事だ。…それで、アキラは どういう道に進みたい―? やっぱり、目指すは工業系か?」
「―ううん。進学するなら近場の公立校を考えてたよ。工業系って今 結構 倍率高いし、そういう目的意識の高いところに行ったら、僕 却って 埋もれちゃいそうで…。近場の普通科なら、家のことも機械いじりも、今まで通り出来る感じに時間は作れそうだし、それがベストかな…?って思ってる。」
「…なんだか欲の無い話だなぁ…。倍率高くても、お前なら ちゃんと受かりそうだし、そういう専門的なところで より伸ばせる才能ってものをさ、お前は持ってる気がするよ、父さんは…、」
「―はい、親の欲眼! 世の中 上には上がいるってば。」
「…まぁ その辺は、先生の意見も伺ってみてだな。…希望日時の提出は水曜日までか、うん、良し。分かった。」
何やら つれないアキラを後目に、父・広は1人で言って納得した。
アキラが自分の進路に対し、些か弱気な姿勢でいるのは何故なのか? 父として、その理由は痛いほど よく解っている広である。2人の間に しばし訪れた沈黙は、少し重いものであったが、それを打ち破ったのは、唐突な広の思い出し笑いであった。
「…え? なに…? ―どうしたの…?」
急に1人で笑い出した広を怪訝に思い、アキラは戸惑う。
「―いや、なに、去年の授業参観を思い出したんだよ、どうしても父さんの都合がつかなくて、野木くんに行ってもらった時さ…!」
「―…ああ、あれね…、僕もビックリしたけど、1番災難だったのは野木さんだよ―、」
その時のことを思い出すと、野木には気の毒ながら、アキラも つられて笑ってしまう。
「―いや、でも、中々の評判だったんだろ? 野木くんのスマートなイケメンぶりは…!まぁ わかるとも、常々の仕事ぶりからして彼はそうだからな、いや、実際 見てみたかったよ、彼が お母さん方や女の子達の心をワシ掴みにするところをさ…!」
広は悪戯を まんまと成功させた子供のように、さも愉快そうに笑っている。
「―父兄の中では1番若かったからね…、なんか先生まで ちょっと浮ついちゃってさ、僕、どうしようって思った。…未だに時々『野木専務 元気?』って、僕に訊いて来る女子とかもいるんだよ、」
「ははっ、そりゃスゴい…! …そんなに好評だったんなら、今度の三者面談も、再び代打野木くん、という手もアリかな―?」
「―ちょっと父さん、授業参観と三者面談じゃハナシが違うんだよ…!? だいたい野木さんだって、そんなお願いばっかりされたら、ウチのこと、とんだブラック企業だって愛想尽かしちゃう…! せっかく優秀な人に入ってもらったのに、そんなことで辞められたら どうするのさ―?」
「―ははっ、冗談だって、そう怒るなよ、アキラ。…しかし まぁ、我が社のイメージアップを図るには、中々 有効な手段の1つであることは否定できないと思うね。」
「―イメージなんて…、…上辺を飾るより、真面目な仕事で重ねる信頼のほうが よほど大事だって、死んだジイちゃんが言ってたの、忘れたの―?」
「―アキラは ちゃんと憶えてるのか、偉いな…! 立派な跡取りに育ってるみたいで、父さん嬉しいぞ~!」
顔も身体も がっしりして、肉付きの良い父が見せる本心からの笑顔は、アキラにとって特別なものだ。少し大げさかもしれないが、それは この世の総ての心配事を消し去って、アキラを和ませ、安心させてくれる、不思議な温かさに満ちている。
少々親バカ丸出しの広の褒め言葉に照れ臭くなったアキラは、マグカップの蔭に隠れ、
「…そんな、立派な跡継ぎになれるかは、分かんないけどさ…、」
と、ごにょごにょ そう呟いた。
「―でもなぁ、アキラ。今の世の中、イメージ戦略だって、疎かには出来ない、重要事項の1つなんだぞ? …そりゃ20代のスマートイケメンと、アラウンド50の太ったオッサンじゃ、女性陣の喰い付きも違うさ、分かるだろ―? そういうところをだな―…」
「―でも僕は、お父さんのほうが良いから―…!」
父の話を遮って、アキラは きっぱり言い放った。
「…三者面談は、絶対 お父さんに来てもらったほうが、僕は嬉しいよ―…!」
真っ直ぐに父の目を見て、改めて そう告げたアキラに、広は更に にっこり。
「―そうか、アキラは そんなに父さんのほうが良いか―、―じゃあ父さん、何としても、万障繰り合わせて行かないとな―…!」
「―うん。…忙しいとこ悪いけど、お願いするよ…、」
いよいよ上機嫌になった父を余所に、こんなことでムキになった自分が恥ずかしくなったアキラは、赤く染まった頬を隠すように、俯きながら そう言った。
―この時のアキラは、その言葉通り、きっと面談には父が来てくれるものと信じて疑いもしなかった―。
―GPS付きの指輪を渡すほど、懸念事項が存在したことは確かである。しかし それはそれ、まさか この3週間後、再び父兄代理として、野木の臨席を願うことになるなど、この時のアキラは、夢にも思っていなかったのだ―。
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引き続き、次回も お楽しみいただけましたら幸いです。




