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X-it《エグジット》人をモノに変え、モノを人に変える、相反する力を巡る神々と人々の攻防  作者: 向愛 水哉
第1章 The X-axis

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ワケ有り品も歓迎します·2

 ―これは まったく、この日の七歩(かずほ)にとって、想定外の出来事であった。


その為 七歩が咄嗟に返した「はい」という返事は、心持ち上擦うわずったものとなり、そのことに少し気恥ずかしさを覚えた彼女であったが、ともかく先生の ご指名とあらば従わなくてはならない。


 しかし 緊張した足取りで黒板まで向かう間、七歩の頭を占めたのは、その問3を解く算段などでなく、この3カ月、七生(ななお)から聞かされてきた話と、目下のこの状況が、真っ向から食い違っている この不思議についてであった。


 ―毎日どんなに挙手しても、どんなに声を上げても、自分の発言は まったく取り合ってもらえない―どころか、自分の存在自体、無いもののように扱われているようだ―、と、堪え切れなくなる度に、七歩かずほ相手に七生ななおこぼしていた彼の辛い日々を思えば、たまたま―それも放課後までの時間を潰す為に登校しただけの自分が、先生に当てられてしまうとは、一体この不条理な不公平は何なのか―?


 七生が気の毒になるのもさることながら、もしかすると、キリヤが万城目家(ひえぬきけ)に及ぼしている影響の性質は、自分達が考えていたものと少し違うのではないか―?―そんな疑念が、この時 七歩の中によぎった。


 これまでに起きたことを踏まえ、キリヤが現れたことで、万城目家は世間から『忘れ去られる』魔法をかけられているのだと仮定していた七生と七歩だが、実のところ そうではなく、例えば、これは『意地悪を仕向ける』魔法だったとするならば、なるほど 今のこの状況にも説明はつく―。


 実際 この早乙女繭子(さおとめまゆこ)という妙齢の女教師は、去年から引き続き七歩の担任を務めているのであるが、いつも無表情で、たまに七歩が登校すれば、必ず このように彼女を指名し、些か難しい問題を与えてくる。ある意味 意地悪とも取れる仕打ちを繰り返しているのだ。

(もっとも それは、休みがちな七歩の学習進度を測る為、教師として当然の行為なのかもしれないが―)


 ひとまずの仮説を得、七歩は それまでの思考と歩みを止めると、目の前の黒板に書かれた〈問3〉を解くことに集中し、チョークを片手に その小数の割り算にとりかかる。


 入学したての頃から学校を休みがちだった七歩の為に、彼女の勉強に付添い、そのサポート役を担っていたのは、家業の質屋のかたわら、大学で非常勤講師を務めていた父である。


 この春 その父が姿を消してしまった後も、その彼の意志に報い、マイペースではあるものの、自宅での学習は習慣的に継続していた七歩である。この小数の割り算については、2週間ほど前に既に独学でマスターしていた。少し時間は開いてしまったが、それでも、一度身に付けたものは裏切らない筈、と自分を信じ、筆算をこなした この時の七歩は、しかし いつになく余裕は無かったのかもしれない。


 その為 この時、廊下側の前から2番目の席で、食い入るように前のめりになり、彼女を見守る少年の気配に全く気づかなかったことも、無理からぬことではあったのだ。


 「―出来ました―、」

 チョークを置き、解答の確認を促すように、七歩(かずほ)は先生に申し出た。


常に固い表情とは裏腹に、細く柔らかそうに見える長い髪を1つに束ねた早乙女が、七歩の解答を見るのに、気持ち体の向きを変えると、その髪は、4月に登校した時より更に長く、今では腰まで届くほどに伸びていることに七歩は気づく。

 髪を切りに行く暇もないほど、仕事熱心で忙しいのか―? 確かに その可能性は否定出来ないくらいには、早乙女の教師としてのソツない指導ぶりは、七歩も認めるところではある。


「―はい、正解です。―よく出来ました。―模範解答ですね―。」


とはいえ、冷徹で面白味に欠けるところも否定は出来ない。

この上ない賛辞ではあるが、早乙女が語る口調と表情は至って冷たく淡々としている。

なんとも、心は伴っていないような―。


 しかし それを受けて、教室に広まったクラスメイトの控えめなざわめきは、口々に七歩を好意的に称賛する響きを持っていた。


 しまいには、席に戻る直前、斜め後ろに座る あの初香(ういか)ちゃんが、


「―すごいね、七歩ちゃん―!」

などと満面の笑みで七歩を讃えてきたものだから、


「―そっかな? ありがと、」

と、七歩も思わず笑顔で応えてしまったのだが…、


 ―これは どういうことなのか―?


 七歩は すっかり混乱の渦に巻かれ、へたり込むように着席した。


 ―早乙女は意地悪をしている…のかどうかも怪しいが、それにも増して、この教室の、クラスメイトの反応は、キリヤが現れる前と あまり変わらない―


 ―少なくとも、5年2組の面々には、七歩の姿は見えているし、声も聞こえているのだ、間違いなく―!


 そのことに気づいた七歩は、自分の姿が見られていない前提で、朝 教室に入った時から、今の今に至るまで、油断の果てに見苦しい姿を晒していなかったか、頭を抱えながら大急ぎで思い返し、ギリギリセーフだったことに、大きく安堵の溜息をついた。


―それにしても、これは ほんとうに、一体 どういうことなのか―?


 先ほどのクラスメイトの温かい反応は、逆に 人との関わりを避けている七歩に対する回りくどい意地悪と受け取るなら、『意地悪』仮説も成立し得るのかもしれない―。


 しかし、あの初香ちゃんの笑顔が 自分に対する意地悪として向けられたものだなどという歪んだ解釈は、たとえ 今が どんなに不可思議な魔法に包まれた時であるとはいえ、到底 受け入れられない七歩だった。―彼女の心は、まだ純真なのだ―。


 加えて こんな『意地悪』仮説を採用せずとも、七歩の中には もう一つ、この事態を説明できる仮説が浮かび上がって来ていた。―それは よりシンプルに この状況を説き明かせるもので、おそらく これが正解なのかもしれないと七歩は考えるに至った。


 ―つまり、時に『人形』に変えられてしまう『七生』の周囲だけが変化したのだ―


 けれど、こんな残酷に姉弟の2人を分け隔てるようなことを、当の七生に言える筈もない―。たとえ それが、七生の生真面目さが招くことかもしれなくても、この数カ月、1人寂しい思いを抱え、それでも ひたむきに学校に通い続けた彼を思えば尚のこと、七生に対する罪悪感のようなもので、七歩は いたたまれなくなった。しょせん仮説でしかない、こんな酷い話は、自分の胸の裡だけに留めておこうと、七歩は1人固く誓った。


そもそも今日学校に来た目的は、放課後に控える作戦行動を完遂する為なのである。


少しくらい状況を見誤っていたからといって、今、自分達を脅かすものに立ち向かう為、今日すべきことに何も変わりは無い―。


―これしきのことで、揺らいではいられないのだ―。


 その後 七歩は、何が起ころうと決して心を動かすことなく、それまで以上にただ ひたすら、まるで石になることを目指すが如く、無心に静かに頑なに、放課後が訪れる時だけを待った。


 それでも給食の時分には、6人で机を並べた中に混じっていた初香が、夏休みと七夕を前にした特別なメニューを、七歩と共に食べられる喜びを笑顔で語ってくれたものだから、この上もなく嬉しくなってしまった七歩が、一言と言わず二言も三言も言葉を返してしまったことについては、許してほしいものだと、七歩は心の中で七生に詫びた。


 そんな風に、全身全霊『無』の境地で、4時間目と5時間目と掃除の時間と帰りの会を終えた七歩に、ようやく待ち望んだ放課後がやって来た。


 何をおいても すぐ帰ろうという体勢を整えていた七歩は、『さようなら』の挨拶とともに出口を目指さんとしたが、溜まっていた配布物を渡す為、早乙女が彼女を呼び止めたところから、雲行きは やや怪しくなった。


 とはいえ、配布物は 既に持ちやすいようにA4の茶封筒1つにまとめてあり、早乙女から語られた言葉も、『保護者の方にも見てもらうように』と、『気をつけて帰りなさい』の実に簡潔な二言だけだった。


 少しのタイムロスではあったが、4月以降、七生がいないものとして扱われるようになったからには、早乙女のこの計らいは、確かに必要で有難いことには違いない。


 七歩は手早く その封筒をランドセルに仕舞うと、今度こそ―! と、教室の外に一歩踏み出した。だが その時―、








ここまでお読みくださり、誠に ありがとうございます。

今日は若干 奇妙なところで区切ってしまいましたが、

引き続き、明日も お楽しみいただけましたら幸いです。

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