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X-it《エグジット》人をモノに変え、モノを人に変える、相反する力を巡る神々と人々の攻防  作者: 向愛 水哉
第1章 The X-axis

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約束・3

 声の主は女の子で、姿を見るまでもなく、(りく)には それが誰だか分かった。


 後にも先にも 彼を「先生」と呼ぶ立場にあった者は たった一人である。


 直前まで道端で右往左往していた自分の挙動の怪しさを、見なかったことにしてもらえるくらいの優雅さで以て陸が振り向いて見ると、そこにいたのは やはり二階堂蘭(にかいどうらん)だった。


「―やっぱり連城(れんじょう)先生―!! すごい…! こんなところで会えるなんて…!!」


およそ2年ぶりの再会に、蘭は見るからに嬉しそうに瞳を輝かせている。


―少し気になったのは、その目元が心なしか腫れぼったく見えたことであるが、以前よりひと回り大きくなった彼女は、相変わらず整った顔立ちの、愛らしい人形のような美少女だ―。


「―久しぶりだね、蘭ちゃん―。元気そうで何より―」

「―先生も―! ほんとに、お会いできて嬉しいです! 先生 今 お仕事は何をされてるんですか―?」

「…まぁ、タ○ミーとか、バ○トルを少々…かな…、今日は買い物の途中だよ。」

「―じゃあ、この近くにお住まいなんですね?」

「―ああ、居候先(いそうろうさき)が近いんだよ、」


 それを聞いた蘭は、瞬時に何かを察したように 老成(ませ)た眼差しの一瞥(いちべつ)をくれると、

「―先生、すっごくモテてたからなぁ~!住む場所には困ってないようで安心しました!」


―なんて生意気なことを言ってきた。しかし これは、彼女なりに陸の身を案じていた気持ちの裏返しなのかもしれない。


「―ごめんね、蘭ちゃん。あの時は…。ちゃんとした お別れもしないで レッスンを終わりにしてしまって、申し訳なかったって思ってる…。」


 陸が蘭にピアノを教えていたのは、彼女が小1の2学期から小3の1学期までの足掛け3年―。


それも始めは知人の手伝いで行った臨時のレッスンで、指導者になる気など毛頭なかった陸を蘭が気に入り、彼女の両親から是非にと願われ、専任で教えることになった、陸にとって唯一の教え子である。


「―お別れなんて、したくなかったからいいんです―!…お別れしちゃったら、こんな風に、声かけられなくなりそうでしょ?」


「…蘭ちゃん 今も(いずみ)先生のレッスンは受けてるの?」


「―はい! 今はクレメンティのソナチネをさらってます! でも私、やっぱり連城先生のレッスンが良かったなぁ…! 連城先生のお手本聞いてる時が一番楽しかったです!」


と、ここまでは笑顔で話していた蘭が、急に神妙な面持ちになって陸を見上げた。


「―先生、私、先生にまた会えたら お願いしたいことがあったんですけど、いいですか?」

「―なんだい?」

「―先生の右手、見せてください…!」


 雲の切れ間から 一時(いっとき)初夏の太陽が顔を覗かせ、記念樹の傍で語り合う2人に注ぐ影が一瞬その濃さを増した。


 蘭が面白半分に そんなことを願うような子供でないことは重々承知している陸だが、極力 事も無げに その願いを聞き入れたのは、本当は そこには触れてほしくない自分ごと誤魔化(ごまか)す為なのかもしれない―。


「―あ~、うん、いいよ、…」


 半袖のマウンテンパーカーのポケットから出て来た その右手には、白い手袋が嵌められている。校庭を囲う鉄柵を隔てて見る分には、本物の右手のように息づく それが、陸の養父が彼に最後に与えたという、よく出来た作り物なのだと 蘭は既に聞き知っている。


「―『ギシュ』ってすごいんですね―? 何も変わりないように見えます―」


 彼女の その一言に、彼女が何故 こんなことを願ったか? その真意を感じ取った陸は、彼によく馴染んだ その義手のアタッチメントを外し、手首から先の無い右腕を 彼女の眼前に晒した。


「―ごめん、ちょっと 刺激が強いよね…?」

 望まれたのかもしれないこととはいえ、流石に大人げないことをした自覚のある陸は、早々に再び義手を装着すると、元のポケットにそれを収めた。


 水色のノートを胸元で抱え、うつむき加減に首を横に振りながら、蘭は答える。

「―ありがとうございます…! すこし…あきらめは つきました…、」

「―そう…?」


 ―『あきらめ』とは何に対してなのか? この まだ幼さの残る少女に それを強いてしまった自分の行いを省みるには、陸が心に負った傷は 未だ生癒えで、ぼんやりとした返事しかできない。それ故 蘭が気を取り直して


「―でも先生、教えるだけなら片手でも出来ますよね? …また 私にピアノ教える気はないですか―?」


と 問うてきたことに対しても、


「―ごめん…。今は もう…。ピアノに触りたいとも思えないんだよ…、」

躊躇(ためら)いもなく そう答えたのも、畢竟(ひっきょう) 無理からぬことだった。


「…そうですか…。」


 さわさわと葉擦れの音がして、日陰の冷気と日向の熱気を 風が混ぜ合わせ吹き抜ける。


「―私、いつか先生より上手くなりますよ、ピアノ― 」

無邪気を盾にしたような笑顔で、蘭は そう宣言した。


「―そうだね、蘭ちゃんなら きっと上手くなるよ― 」

―可能性として、無い事では無いと、陸も微笑みを手向ける。


 事実、蘭は陸から見て優秀な生徒だった。(すじ)が良く、努力を厭わない勤勉さで、指導技術がやや未熟な陸を、生徒としての彼女が補っていたきらいさえ感じていたほどだ。どんなに請い願われたとしても、まるで見込みのない生徒なら、陸は早晩レッスンを断っていただろう。


ことピアノに関しては、師弟として間違いなく相性の良い2人だった。


 「―ところで今は何の時間? 何かの授業中なのかな?」

 先生と生徒だった頃の調子を思い出して、陸は蘭に尋ねてみた。


「―理科の授業中です―、初夏の植物の観察っていうことで、今日は雨も降ってないから―、そうそう、スケッチもしなきゃなんですよ、初夏っぽい植物って何かなぁ…?」


 そう言って記念樹の根元に視線を移し、モデルになる植物を探し始めた蘭の持つノートに、

【5年1組 二階堂 蘭】

と書かれていることに気づいた陸は、この巡り合わせに思わず息を呑む―。


「…蘭ちゃんも もう5年生か…、1組なんだね…?」


「―そうです、なんで分かったんですか? ―あ、これかぁ―、」

蘭は すぐ その からくりに気づいて、笑顔で水色のノートを掲げて見せる。


「…あのさ、ちょっと 訊きたいことがあるんだけど、―蘭ちゃんが5年1組なら、この子のこと知らないかな―?」


そう言って陸は、先ほど警備員から取り戻した、問題の名札を左のポケットから取り出して見せた。


「―この名札…昨日、拾ったんだけど…、さっき そこの警備員さんに届けたら、ここには居ない子だって言われてさ…、」


 補足の説明をしながら、蘭の様子を窺い見ていた陸だが、小さな名札に書かれた名前を、目を細めて判読したらしい彼女の表情が、みるみるうちに硬くなっていくのが分かった。


「―【ななお】くんは、居ますよ、先生―…!」


「―え―?」


「―私、可変(おか)しな子だって思われるかもしれないけど…、誰が何と言おうと、七生(ななお)くんは〈居る〉んです!…本当に…! …でも誰も、私以外、七生くんを覚えていないの…!」


途中から涙声になり、両手で顔を覆ってしまった蘭を、陸は柵越しに慌てて(なだ)めた。


「―蘭ちゃん―? どうした―? …大丈夫だよ、可変しいなんて思わないから、僕で良ければ話してごらん? ゆっくりでいいから、落ち着いて―?」 


ここまでお読みくださった貴方様に、深く感謝申し上げます。

貴方様の その1PVが、筆者に力を お与えくださいます。

引き続き、明日も お楽しみいただけましたら幸いです。

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