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X-it《エグジット》人をモノに変え、モノを人に変える、相反する力を巡る神々と人々の攻防  作者: 向愛 水哉
第1章 The X-axis

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約束・1

「ふふ…。でも良かった~。私 てっきり(りく)が浮気とかして、そのポッケに相手の連絡先とか隠してるのかな~?…って、すっごい心配しちゃったんだからね~?」


 だいぶ酔いが回って来たのか、夏美(なつみ)は ついさっき自分を悩ませた疑惑の全貌を、自分から すっかり白状してしまった。


 だいたい見当は付いていたものの、そんな疑いを持たせたことを、陸は心底申し訳なく思う。


「…ごめん、余計な心配させて…。…でも 夏美も知ってるよね? 俺、そんなに見境なくがっつかないし、『異性』関係については あんまり心配要らないって…。今 大切にしたいのは夏美だけだし…。」


 見惚れるような笑顔で そう言われ、夏美は うっすらながら彼の『真実』を語らせかけたことに恐縮した。


 多少なりとも名の売れた、駆け出しのピアニストだった彼である。少し念入りに検索すれば、話題に事欠く醜聞好きが 興味本位で群がりそうな、哀しい過去を並べた記事が、ネットの上には まだ残っている。


「―大切にしたいの、私だけ? …それはまぁ、たいへん結構なことでございますねぇ!」

「―夏美 酔ったね?」

「―酔ってませんよ~! 機嫌が回復しただけです! …ほんとにねぇ、今日はヤなこと2つもあってぇ、この上 陸の浮気とかマジだったら最悪だったんだからぁ…!」

「―ヤなこと2つ? それは大変だったね、…僕で良ければ話聞くよ?」


 トロンとした目つきと桜色に染まった頬。否定したところで もう酔ったのは間違いない。そして こんな風に夏美が酒に手を出す時は、大抵 仕事で何かしらのモヤモヤを抱えて帰った時なのだ。

 互いのグラスに発泡酒を注ぎ足しながら、陸は聞き役を申し出た。


「―う~ん? まぁねぇ、いつものことよ~、いつものことなんだけど…、また数字が合わなくてさ、…で、なかなかの難問だったけど、なんとか私が原因を突き止めて 一件落着ってなったの。私 エライでしょ? …なのにね、功労者・私なのに、なんかみんなして、安野さん もっと早く気づけよ~!? とか言い出してさ、―ヒドイでしょ? みんな問題の帳票とか帳簿とか見れば、私は無関係で気付けるポジじゃなかったってわかる筈なのに…! …言わせてもらえば一番怪しいのは例のミヨちゃんなんだけど、例によって彼女には社長との強いコネがあるもんだから、絶対気づいてる感じの子達も、私の味方はしてくれないんだよね~…。…あの場の雰囲気収める為に 私を頼ったのかもしれないけどさ、そんな犯人いじりなんか意味ないんだから、無駄な難癖つけないでほしいわ!」


「…そうだよね…、なんか辛いね、」


「…で、そんなこんなで やっと帰れたと思ったら、駅に着いたところで母さんから電話が来てね、なんの話かと思えば『お盆休みはいつからだ?』とか、『見合いの話があるから今年は必ず帰って来い!』とか言ってきてさ~!」


「―え? お見合い―?」


不意に飛び出したそのワードは、それを聞いた陸もまた心中穏やかではいられなくなるようなインパクトを伴うものなのであるが、夏美は微塵(みじん)も意に介さず、義憤満帆(ぎふんまんぱん)心外の至りといった表情で憤慨(ふんがい)しながら話を続けた。


「―その相手っていうのがね! 私のこと、『ゲジまゆ』とか言って、小学生の時 散々いじめてきたヤツなのよ~!! 母さんだって それ知ってるくせに、何を今さら向こうから願われたとか言われたって、ふざけるな!って感じ! 門前払(もんぜんばら)いにしてやれば良かったのよ、あんなヤツ!」


「…あ、でも それはさ、根強く一定数存在する素直になれない子供だった可能性が…、」


「―ないない! どっちにしろ願い下げよ、そんなコミュ障! そもそもせっかく頑張って東京出て来たのに、地元に帰って結婚とかあり得ないし! 萎えるし!! 私の王子様は~!! スマートで優しい陸様で決まりだも~ん!!」


「…―それは どうも、」


 そう言って、満面の笑みでグラスを掲げた夏美に付き合い、陸も苦笑して自分のグラスを持ち上げると、互いのグラスをカチンとぶつけ、2人は乾杯を交わした。


 しかし ここで陸は少し考えこんでしまった。


『ゲジまゆ』という表現は適切ではないが、少し濃い目の眉を持つ夏美は、そのおかげで愛嬌が加わり、その可愛らしく親しみやすい見た目さながらの気質も兼ね備えた美人である。


 彼女は素敵な人なのだ―。そして 望むなら『結婚』というものを もう充分考えても良い年頃でもある―。年端もいかない子供の頃から、その彼女の魅力に夢中だったと思われる問題の彼は、おそらく夏美が思うより はるかに真剣に、この話を持ち掛けたのだろう。彼女の母にまで伝わっていた悪態をついた過去があるからには、(まぁ、よほどのサイコパスだという恐れも無くは無いが―、)当然 その過去を帳消しに出来るくらいの何がしかを携えて、彼はこの交渉に臨んだと見るのが妥当だ―。


 翻って自分はどうか―?


 仮に彼女が生涯の伴侶を選ぶ時が訪れたとして、先刻も自覚した通り、彼女に甘えてばかりの自分が、果たして それに相応しい存在だろうか?


 ―養父がかけていた保険のおかげで、切断した右手の件での入院治療と奨学金の一括返済は叶ったものの、保険金は それでほぼ消えた。一時金(いちじきん)の形で支給された障害年金から、毎月家賃の補いはさせてもらっているが、陸の蓄えは極力減らすべきでないと主張する夏美が、それ以外に2人の生活に必要なものは総て賄ってくれている。 そもそも その一時金でさえ、夏美が申請を手伝ってくれたから支給されたようなものなのだ。


一年前、死に損なって行く宛ても無く途方に暮れていたあの時、この人が拾ってくれなかったら、自分は一体どうなっていたか? 唯一つ確かなのは、一年経った今も尚、自分には依然ここより他に行く宛ても、この先 生きていく為の生業も展望も、何もかも失くしたままだということ―。


 この人に救われ、生き長らえた、そこまでは良いとして、それから この人に甘えたきりで、この先に進む為の手立てを自分は未だに何一つ講じていないのだ―。


 こんな自分が こんな風に 彼女を占有し続けることが、俄かに とても罪深いことに思えてきて、甘く出来ている筈の酒を舌先で転がしてみても、弾ける泡に刺されるような痛みを覚え、気持ちは晴れない陸だった。


 「―まだ 少し早いよ―。」

 優しげな夏美の声に、憂いの沼に沈みかけていた陸は顔を上げた。


「…なにが…?」


「―私が結婚するのも、陸が本格的に社会復帰するのも、まだ少し早いって言ってるの!どーせあれでしょ? お見合いの話聞いて、焦ってるんでしょ? 顔に書いてありますぞ」


「―え? おれ―、」


思わず自分で自分の頬を叩いて気合いを入れた陸だったが、嘘が下手になったどころか、顔色から考えを見透かされるとは愈々(いよいよ)である。


「陸様ともあろうお方が、私の中で あの いじめっ子に引けをとることなんて1ミリもありませんのでご安心ください!」


「―でも俺、夏美の負担になってばっかで…、仕事だってさ、夏美、大変なこと多いのに…俺、将来的に夏美を養ってやれる見込みとか ほぼゼロだし…、」


「―も~! どーしてそーいう風に考えるかな~? だいたい仕事なんて、陸が居ようと居まいと行かなきゃいけないものなんだし、私はね、むしろ陸がいてくれるから、面倒な仕事も こうして頑張れてるんだからね? なんていうか、尽くされるより尽くしたい感じ? …1人の部屋と職場を往復してた頃に比べたら、今は毎日バラ色なんだから!


 そりゃ、ヤなことあって、落ち込む時もあるけどさ…、…私 陸の為なら何だって出来そうな気がするの! そういう気持ちにさせてくれる人が、こうして傍にいてくれるって、すっごく有難いことじゃない? 私 今 とっても幸せなんだよ? 陸は どう?」


「…うん、そうだね… 幸せだよ…、」

頬を赤く染めながら熱弁をふるう夏美の言葉を ひとつひとつ噛み締めながら、陸は しみじみと そう答えた。


「―でしょ? だからね、まだ しばらくは このままでいいじゃない! こっちの事情も知らないで、勝手な話を進めてくるようなおバカさんどもは放っておけばいいのよ!

まったく、地元で結婚とか、その気があったら わざわざ東京出て来ないっつーの!」


 どうやら同居している自分への気遣いなどでなく、夏美にとって、本当に気の進まない縁談であることは確からしい。それなら これ以上 水を向けるのも余計なお世話かもしれないと陸は思ったが、


「―でもさ…、やっぱり俺、夏美にばっかり負担かけてるような、今のままじゃダメだと思うんだ…。明日から もう少し本気出して仕事探す―、」


この夜 幾度も感じた危機感から、うっすら生まれた その決意だけは、この場限りで消えないように、夏美の前で宣言した。


「…そうお? …まだ そんな、無理しなくていいのに…、」


 と、ここで もう1杯…と持ち上げた発泡酒の缶が軽くなっているのに気づいた夏美は、立ち上がって冷蔵庫に向かった。しかし その扉を開けた途端、彼女は落胆の声を漏らす。


「あ~~~! 買い置き、無くなってる~~~!!」


「―あ、そういや、日曜の買い出しで補充出来なかったんだっけ? 売り切れてて…、」


「う~~~! 今週あと2日あるのにショック~!」


「―じゃあさ、明日行って買ってくるよ、平日ならお店もいくらか空いてるだろうし、」


「―ほんと? 行ってくれる?」


「ああ、CALDIのヤツだろ? ここの小学校から駅側に抜ければ直ぐだし―」


そう言って、陸は先ほどの名札をかざして見せた。

そこで夏美は目を輝かせて畳掛ける。


「―じゃあさ、じゃあさ、そこまで行くなら、『マージン』のビターチョコレートケーキも買ってきてくれる? 今日 頑張って来た私めに、ご褒美(ほうび)を上げたいと思います!」


それは夏美のお気に入りのスィーツ店の隠れた人気商品なのだが、


「―限定50個のアレ―?」

「―そう。平日ならイケるのではと…、」


テーブルに戻った夏美は、上目遣いで陸に願う。


「―いいよ、じゃあ、明日は夏美と一緒に起きて買いに行く。ただ、ダメだったらゴメンだけど…、」

「―うん、いいよ! 嬉しい! 約束ね―!」


 夏美は陸とテーブルの上で小指を絡めると、満面の笑みで念を押した。


 それが ひとつ目の約束―。


ここまでお読みくださり、誠に ありがとうございます。

貴方様の1PVが、筆者に力を お与えくださいます。

引き続き、明日も お楽しみいただけましたら幸いです。

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