11話
私の記憶は夕薙くんを寝かしつけたところで途切れている。目が覚めると、私は自分の部屋のベッドの上にいた。そして不思議なことに、私は洗濯したばかりのパジャマをまとっていて、着替えた記憶のない制服は普段通り、クローゼットにかけられている。スマホの電源ボタンを押してみれば、7時を過ぎを指すデジタル模様と何件かの未読メッセージの通知が見られた。その通知に指で触れてみれば、凄まじい量のユリちゃんからのメッセージがあった。彼女は私を心配してくれて、まるで母親のような問いかけを送ってきている。その中に一通、違った人からのメッセージがある。
『おはよう幸村さん。秋介寝かしつけて幸村さんも寝ちゃったみたい。なんだか起こすのも可哀想だから、そのままお家にお邪魔しちゃった』
私がそれに返信しようとしたとき、私は自分のスマホの充電がもうゼロに近いことに気がついた。私はベッドの横にあるコンセントに刺さったままの充電の先を手にした。するとあることに気がつく。なんだかキッチンが騒がしい。何かが焼ける音や食器のカチャカチャとした重なる音がする。誰かがいる。私はハッと心臓が止まりそうになる。だって、考えてほしい。朝起きたら勝手に着替えていて、自分の部屋に誰かいる。恐怖以外の何物でもない。犯罪と料理の香りがする。形態の充電がない今、警察を自ら呼ぶ手段がない。叫び声を上げて近隣の人に気づいてもらうしか無い。いいや、もしかしたら私の空耳かもしれない。そんなことはないとわかっているが、そうであって欲しい。私は宝くじで一等が当たる確率、いや、私の頭に隕石が降ってきて死ぬ確率よりも低いであろうその可能性を噛み締めて、そっとベッドから降り、息と足音を極限まで殺してキッチンへ行ってみる。私がキッチン横の壁からキッチンを覗いてみると、たしかにそこに侵入者の姿が――
「あ、おはよう幸村さん。ごめん、勝手にキッチン借りちゃった」
私は足音や息を全く立てずに近づいたというのにすぐにバレてしまったという事実と、緊張の糸で反射的にビクッと体を揺らしてしまう。しかし、天使のような純粋無垢な柔らかな笑顔を私は知っていた。
「なんだ……夕薙くんか」
安心する気持ちにあふれ、私はそっと呟いた。
どうやら昨晩、先に水族館で目を覚ました夕薙くんは青桐さんと合流し目覚めない私を運んだらしい。ドアの鍵はもちろん閉まっていたが窓が空いていたため窓から部屋に入ったらしい。三階の部屋に窓から侵入するとか理解ができないが、そういうことらしい。それから私をベッドの上で寝かせて、眠気に勝てなかった夕薙くんはソファーで寝たらしい。そんな話を私は料亭で食べる料理のように豪華な朝ごはんを食べながら聞いた。よくうちにある材料だけでこんな物が作れるなと思いながら顔が自然に溶け出すほど美味しい料理を素早く口に運む。うまっうまっ。まぁ、年頃の少女の家に無断で踏み込むのはどうかと思うが、この際料理に免じて不問としようと思う。
「ベッドで寝てくれたら良かったのに。でも、寝られたみたいで良かった。顔色が全然良くなってる」
「それはやっぱり申し訳ないから。ソファーでもよく眠れたよ。幸村さんは?」
「私も。十二時間近く寝たからもう十分かな。夕薙くんは……睡眠負債溜まってそうだけど大丈夫?」
「うん。ありがとう。でも、そんなことより下の名前で呼んで欲しいな」
私はそんなふざけた言葉を聞いて一瞬飲み物が口の外に出そうになるのをなんとか飲み込んで聞き返した。
「え?」
「ほら、名字で呼ばれると他人行儀っていうか……距離を感じちゃうから……」
他人行儀と言うか、他人なのだが。そう心のなかで感じながら、私は「秋介くん」と呼んでみる。すると彼の顔は花が開くように明るくなり「呼び捨てで」と追加で注文をしてきた。
「秋介」
そう照れる彼のまつ毛は女の私なんかよりも長くて量も多い。羨ましい限りだ。
「私のことも名前でいいよ」
私が流れでそう言うと「いや、それはちょっと照れるから……」と拒否された。
なんだコイツ。
彼は食事を終えて、一緒に片付けをしたあとで「お邪魔しました」とそそくさと帰っていった。すると部屋はいつも以上に静かで、なんだか寂しく感じられた。そんなちょうどいいタイミングでブルブルと何処かからバイブ音が聞こえる。ベッドの上のお亡くなりになったスマホがHPを半分ほど回復させて電話が来たことを知らせていた。画面を見てみれば知らない番号。普通は出ないが、番号を心のなかで唱えてみればどこかで聞いたような、聞いていないような。やたらと長く続いた着信音はやがて消え、私はモヤッとした気持ちを持ったままその場を去ろうとしたが再びかかってきた。
「もしもし」
「私」
その声はどこか冷たさを感じる刹那ちゃんのものだった。
「今、暇?」
彼女と同じ、誰も待っていない静かな部屋のドアを開ける。久しぶりに帰ってきた部屋は少しホコリを被っていた。俺はそのままの足で部屋の印刷機でここ数日で取った写真を一気に現像する。その時部屋のチャイムが鳴った。確認しなくても訪問者を知ることは容易だった。
そしてそいつが、たとえ俺が部屋を開けずとも勝手に入ってくるということも。
「なんだ。いるじゃん」
パッと部屋の電気がついた。
「電気ぐらいつけなよ。うわぁー、また写真印刷してるの?飽きないね」
飽きるわけがない。そう思って彼女の写る写真たちのうち一枚を手に取る。寝顔の写真は初めてでいつ見ても愛らしい。
「あれ?このハンカチも?」
「あぁ、それは――」
それを見るたびに彼女に触れたときの暖かさ、柔らかさ、匂いが頭から離れない。
「ねぇ、いい加減捕まりなよストーカー。なにが『名前で呼ぶのは照れるー』だよ。もっとやばいだろ」
「いや、面と向かって呼ぶのはちょっと」
ここ数ヶ月で張り付いた敬語というのに、もう随分慣れてしまった。
「お前さー、膝枕はアウトだよ、変態」
かわいい。おひさまのような暖かみ。甘い金木犀の香り。優しく包んでくれる声色。俺は多くの写真が貼られる壁になんとか余白を見出して現像した写真たちを張り出す。貼るたびに自分の心が満たされていくのがわかる。かわいい、かわいい、かわいい、かわいい。
「やっぱお前きもいわ」




