32 - 頼みと取引
地下牢とは、バトルショーに参加する「見世物」たちが夜を過ごす空間のことを言う。
「太陽が沈んだ後、人類は地上にいてはいけない。ここではそういう決まりがあるのだ」
「どうして?」
白くて長い髭が生える老人はルリアに答える。
「恐れているのだ。ーー我々人類が負けた時と同じことを起こさないために」
沈黙が5分も続いた。懐かしい過去を振り向いたように、老人は暗い天井を眺めながら息を吐く。
「それはいつの日かはもう覚えていないが、達ちゃんを拾ってきたのは孫娘だったことは覚えているーー」
そして、また別の話を語り出した。
--凄く弱っていて、病気か何かだろう。左目が真っ白で、右目と違って全く動かないんだ。
案の定、孫娘はそれを飼いたいと言い出した。しかも「達ちゃん」という名前まで付けた。わし断った。うちにはそんな犬を飼う余裕がないと。でも本当の理由は、あの時わしは「この犬はもうすぐ死ぬだろう」と思ったから。可愛がっているペットがある日急に死んでしまう、なんてことは孫娘の心に傷を残してしまうかもしれない。
でも、結局飼ってしまった。今すぐに達ちゃんを元の場所に戻せと言ったら、孫娘が泣き出した。しょうがないんだ。「お世話はちゃんと自分でやるだぞ、わしは手伝わないからな」と言って、達ちゃんはわしらの家族に加わった。
孫娘はまだ中学生になって受験がある。娘と息子も共働きで昼間は家にいなかった。わしは若い頃に身体を痛んでしまってな、あの頃はほぼ毎日家の庭で大空と睨めっこをしていたんだ。だから時間が経っていくうちに、達ちゃんの世話はわしがやることになった。
今思えばよかったかもしれない。あの頃の動物たちはまだ言葉は喋れないが、わしが達ちゃんに話しかけると、達ちゃんはまるでわしの言うことが理解したように、尻尾を振ったり、吠えたり……返事をしてくれたんだ。妻が死んでから退屈だった昼間の時間を、少しは面白く感じた。
「わしはこのようにお前を散歩に連れて行くことはできない。お前がしたければ勝手に行ってくれ」と、冗談を言ったつもりだったが、達ちゃんは本当に家を出てどこかへ行った。
人間の言葉がわかる動物実験が成功したって、あの時テレビ番組でそういうことをやってる人がいったが、わしは信じていなかった。でも、夕飯の時に自分で帰ってきた達ちゃんを見た時、わしはすごく驚いた。
それから、わしは何でも達ちゃんに話すようになった。
息子たちが聞き飽きたわしの武勇伝を聞かせたり、初恋の失敗を聞かせたり、孫娘はあんまりわしに懐かない悩みを聞かせたりして……解決策をくれたことは一度もなかったが、達ちゃんはいつもわしの話を聞いてくれた。
わしはそれでもよかったんだ。人は年を取るとね、話を聞いてくれる人ってすごく少ないんだ。
友人が次々とあの世へ行って、子供が家庭を持つとだんだんそっちに力を入れるようになって、孫の世代になるともはや話自体が成り立たない場合が多い。
お前たちは宇宙生まれだな? 空香から話は聞いた。
だからきっと知らないんだろう。昔の社会にとって、老人ってのは荷物しかないんだ。生産力がない一方、食糧だけは消耗し続けている。
今も同じか、ははは。
でも、そんなことはわしもわかっているんだ。早く死んでくれないかって、多分あの時の息子もそう思っていたんだろう。
うん? いや……息子はそういう人間じゃなかったな、多分娘のほうがそう思っていた……むぅ、よく覚えていなかった。
まあ、少なくともわしはそう思っている。早く死なないかな、もう息子たちの負担にはなりたくないんだ、てな。
そう言った悩みも、わしは全部達ちゃんに言っていた。友達と思っていたからな。ーーそうそう、ちょうどその頃だった。達ちゃんは友達というより、もう家族なんだって。
ある日、わしはそう思いながらわしが眠りについた。そして再び目を開くとーー
ーーーーー
「何があったの?」と気になって仕方がない。でも老人の顔を見ると、ルリアは口を噤んだ。
目が赤いから涙も赤く見えたのか、それとも本当の血涙なのか。老人は歯を軋ませた。音は脆くて鋭い。一体何があったんだろう、穏やかな老人だった印象が一瞬で崩壊し、今の彼の顔はまさに「鬼の形相」そのもの。
ーーとても聞ける雰囲気じゃない。
でも、聞かなくてもルリアは何となく想像はできた。「太陽が沈んだ後、人類は地上にいてはいけない」というルールと合わせて考えるとおそらくこうだ。
動物たちは人類が寝ている間を狙って反撃を起こした。そして人類が同じ手を使うのを阻止するために、夜は人類全員をこうして地下へ閉じ込む。
とルリアは頷きながら己の心に納得のいく答えを見つけたと感心する。それを確かめるためにもう一度老人の顔を伺うと、やっぱりちょっと違うなのか? と小首をかしげる。
「黄老師」
暗闇の中からクーカスは姿を現した。ボロいお碗を四つ持ってきて、それが今日の夕食らしい。
お碗を渡されて、ルリアは「ありがとう」と言った。
「大したもてなしはできないが……」
「いいえ、ありがとうございます」
湯気が漂う、暖かくて白いスープ。一口飲むと、ルリアはこの不思議な味に瞠目する。
「お粥は食べたことないのかい?」
「おかゆ?」
「いや、忘れてくれ」
老人は、--クーカスが「黄老師」と呼ぶ老人は申し訳なさそうに、禿げた頭を掻きながら話を続けた。
「一粒の米しか入ってないこれをお粥と呼ぶのはあんまりにも図々しい。これは白い熱湯に過ぎないのだ。悪かったなお嬢ちゃん」
ふうふう、と白い熱湯に息を吹きかけて、ずるずるとルリアはもう一口啜った。
「さて、今度はお嬢ちゃんたちの話を聞かせてもらおうか」
それからルリアは黄に話した。自分たちは宇宙から来た、「パイオニア」という小隊として行動をしていたなどの自己紹介から、一ヵ月前にこの町に来たことと今の町に戻ってきた理由。
--そしてなぜ今ここに来た理由も教えた。
「そうか」
そう言って黄はこの地下牢の隅へ目をやった。それにつれてルリアも目をそこへ向けたが、暗くて何も見えなかった。
でも目を凝らせて数秒経つと、段々そこに何人かの人類がいるのが見えてきた。
ルリアとシーカを警戒しているかのように見える。--その中には「憎悪」と表現すべき目つきをしている者もいた。
「彼らに悪気はない。どうか責めないでやってくれ」
黄の口調は緩やかだった。
「お前たちのアジトがやられた理由は容易に想像できる。むしろアニモ抗う奴らのアジトが見つけられた理由は一つしかないのだ」
「それが何ですか?」
ルリアがそう訊いて、シーカはお碗を置いて身体の向きを黄に向けた。
「密告者だ」
黄がそれを口に出した瞬間、空気が凍り付いたように感じた。その寒気の元を辿って目を泳がせる、するとルリアの目線は地下牢の隅にいる人たちのところに留まった。
なるほど、と。どうしてあの人たちはそんな目で私たちを見るのか、今のルリアはよくわかった。
「アニモの命を狙う者、この町から逃げ出そうとする者……人類の中にそんなこと企んでいる奴は今も少なくない。でもそれとほぼ同様にーー」
嘲笑うかのように黄は黄色い歯をむきだして、
「『仲間を売ればせめて自分の命だから助かる』と思っているバカもいるのだ」
「そんな……」
ルリアは言葉を詰まらせた。シーカはいつも通り何も言わなかったが、大きく見開いた両目は彼の驚くを物語っていた。クーカスに至ってはもう爆発寸前のようだ。彼ならこのことをすでに知っているはずだったが、やはり彼にとってこれを何度聞いても信じられないことのようだ。
「だからわしらから見れば、お前たちを助けることはとても危険なのだ。--空香の仲間であるお前たち二人だけなら信じよう。でも、その襲われた人たちは信じられない、彼らが密告者じゃない証拠はないからな」
「……サンスさんたちはそんな人じゃない」
珍しくシーカが熱くなった。
「全員とは言ってない。その中に一人でもいればの話だ」
「……そのようなことをする人は一人もいない」
「それはどうかな? だったらどうして彼らは急に襲われて、今お前たちがこうして彼らを探すよう、わしらに頼みに来たのだ?」
ついに返す言葉がなくなった。
「黄老師」
沈黙に陥るルリアとシーカに代わって、クーカスが黄に頭を下げた。
「お願いします、黄老師。俺はこの目で見た、サンスさんたちは本当にいい人だーー」
「悪い人なんていないよ。仲間を売る連中も自分が生きるために精一杯だ、そんな人たちが悪い人とは思ってないさ。ーーいい人かどうかはどうでもいい。わしらにとって味方か敵かの話だ。--これは前にお前にも教えたはずだ、空香」
難色を浮かべ、クーカスが一歩後ろへ下がった。
「コーローシ、さん? --あの、私もコーローシって呼んでもいいですか?」
ルリアが手を上げて黄に訊ねる。
「お嬢ちゃん、『老師』の意味わかってるか?」
さらさらとルリアは銀髪を揺らしながら頭を横に振った。そしてそれを見た黄は呆れたような顔で言う。
「黄でいい」
「じゃあ黄さんで」
呼び方が決まった後、ルリアはすぐに本題を切り出した。
「サンスさんたちの捜査。この頼みを断るつもりですね?」
「ああ」
「では」
ルリアはシーカの後ろへ回って、彼の背中に手を当てて彼を前に突き出した。
「頼みことはやめます。--取引と行きましょう」
「ほう?」
興味ありそうな顔で黄は口元を緩めた。
ルリアは「ボックス」の収納スペースを開けた。そこからシーカが作ってくれた非常食を黄に渡した。
「これはアニモの肉を急速に乾燥させた、……えーど、名前何だっけ……」
「干し肉だ」
「そうそう! それ!」
一口齧って、黄は目を見開いた。
「どう? 美味しいでしょう?」
「不味い」
ええ!? とルリアがびっくりして転びそうになった。でもすぐに黄は笑った。
「まずいけど、今の時代じゃあ貴重な肉だ。アニモに勝てない人類が食べられる肉は一種類しかない。でもその肉を食べてしまったら、わしらは人間でなくなる……」
涙目で黄はその一切れの干し肉を眺めた。
「それを作ったのは彼です。だからーー」
「ダメだな」
黄は干し肉を食べきってからもう一度頭を横に振った。隅にいる人たちを見ながら言う。
「見たの通りに、一切れの干し肉じゃあここの皆の腹を満たせない。それが二切れや三切れに増えたところで何の問題も解決できない」
「それなら心配無用です」
ルリアがそう言い出すと、クーカスとシーカは彼女の隣に立ち並んだ。
「ああ、そうだ黄老師」
「……量の心配は余計だ」
クーカスとシーカは天井を指しながらそう言った。




