30 - 小さいな抵抗
肉の仕入れ。
「殺し」の隠語として使っているのかとルリアはそう思っていたが、実際にシーカの仕事ぶりを目に当たると、それは本当に「殺し」ではなく、「肉の仕入れ」だった。
「……終わった」
アニモの死体を前に、ルリアはこの数秒間での出来事をもう一度思い出す。
ターゲットの屋敷に近づき、潜入。
ターゲットの姿を確認し、ルリアとクーカスは待機する。
シーカはそれから一人だけターゲットに近寄る。おかしいことは、五感の鋭いイヌ型はなぜかシーカに全く気付かなかったのだ。
--死ぬまで、そのイヌ型アニモはシーカの存在を全く察知できなかったようだ。
その後の工作は簡単だ。というより、シーカのその手慣れた仕事ぶりを見ていると、「簡単」だと錯覚してしまった。
一太刀で首を刎ね、血を抜く。
精確かつ迅速に、ロース、肩ロース。ヒレ、バラ、もも肉……
骨を断ったのは確かだ。今シーカが使っている包丁は決してバベル式神鋼剣より切れ味がいいなはずがない。
なのに、なぜだろう。とルリアは目を疑う。シーカの包丁捌きはまるでアニモの身体に包丁を泳がせているように見える。
「……手伝って」
シーカが肉を切り落とし、それを袋に詰め込むのがルリアとクーカスの仕事だ。
一本の骨を拾い上げ、袋に入れる前にルリアはじくりとその骨の切断面を見た。
切断された痕跡はなかった。どっちかと言えば、この骨は「切り落とされた」のではなく、「外された」のだ。
更に目を凝らせて、その骨には透明な何かがついている。
それは骨と骨の間にある、通称「軟骨」の部位だとルリアは知っている。しかし、だからこそ骨を斬らずに、その僅かな隙間に包丁を通らせることはどれほど難しい技かもよく理解しているのだ。
「……次の場所へ行こう」
ルリアは黙々とついていった。
今は効く空気じゃない。あるいは、このままついていけば、後でシーカとクーカスはきっと教えてくれる。
この一ヶ月の間に、ルリアにはまだ知らないことを。
次の場所は、とある屋敷だ。
「……ルリア。ここで待って」
シーカがそう言って、クーカスにも目を配った。
「ちょっと、二人」
ルリアは口を尖らせて、シーカの前に立った。そして眉を顰め、細めた目でクーカスとシーカを見る。
不機嫌丸出しだった。無理もない。これはルリアにとっての初めてだから。
--初めて、この二人の瞳に潜む意味が読み取れない。
「子供扱いしないで」
明らかに「危険」な屋敷。シーカはその中に入って、ここに残るルリアを守るためにクーカスを残す。ーーというシーカの配慮を、ルリアは不快感を覚えた。
「子供扱いなんてしないさ」
クーカスが茶化すと、ルリアは素早く「ボックス」から一丁の銃を展開させて、クーカスに銃口を向かわせた。
「弱い女扱いも嫌」
クーカスは両手を広げて、肩を竦めた。
「そうじゃない。--仲間と思っているんだ」
「じゃあ」
「だから、中に入らないほうがいい」
クーカスの口調に冗談の成分は一ミリもなかった。
「できれば見ないほうがいい。知らないほうが幸せ。--シーカが今やろうとすることは、おそらくそう言った類のことだ。ーー違うかい?」
そう言ってクーカスがシーカを見やると、シーカは顎を引いた。
「やれやれ……俺も噂でしか聞いたことはないけど、そういうことなら、確かに見なくて済むものならそうしたい」
人目に付かない場所で、クーカスは胡坐をかいた。
シーカが再び屋敷へ足を伸ばす。
「やっぱり、私も一緒に行く」
装備の点検をしながら、ルリアはシーカの前を歩いた。
「……傷になるよ」
「そうかもしれない。シーカが言うなら、きっとそうだね」
長い銀髪をまとめ、乱されないようにゴーグルで嵌め直す。ルリアは準備万端と言わんばかりな笑顔で、二人に振り向いた。
「さあ、行こう」
ーーーーーー
と言いながら、いざ屋敷に入るとルリアは十二分の警戒を保ち、シーカが教えた秘密通路で小心翼々に足を運んでいた。
「うわぁ! --ビックリさせないでよ!」
急に足を止めて、それで後についてきたクーカスがルリアの「ボックス」と軽くぶつかると、ルリアは驚いた声を上げてしまった。
「ごめんごめん……」
武器をすでに展開させている。いつでも戦闘に入れるように準備を整えたルリア。だが一方、シーカは武器として使う長い包丁に手を付けずにいて、クーカスもまるで観光のように屋敷の内装を眺めていた。
「……戦闘になることはない」
シーカは前を歩きながらそう言った。
敵の本陣の中。戦わずに済むことならそれに越したことはない。しかし、シーカの言葉には別の意味が込められているように聞こえた。
「どういうこと?」
まるで、「戦いになったほうがマシだ」とでも思っているかのような喋り方だったので、ルリアはもう一度シーカに問ってみた。
案の定というべきか、シーカは答えなかった。
地下室のような場所を通って、1階へ上がる。
次は天井にある小さなドアを開けて、通気管を辿って進む。
「何この匂い……」
鼻を摘まんで、ルリアはこの悪臭の源を探そうと目を周りへ泳がせた。
四つん這いになった人が一人通せるほどの通気管。今、ルリアの真下にちょうど出口があった。
網状の蓋が出口のドアになっている。ルリアはそこから覗き込むと、裸姿の男が数人拘束されているのが見えた。
悪臭の正体もそれだった。血まみれな男たちから漂う、鼻を突き刺すような血の匂い。
血の匂いは今まで何度も嗅いだ。だけどこれはただの血じゃないとルリアは勘づいた。
「ねぇシーカ」
何かが混ざっている。ルリアはシーカにこの異臭の正体を訊ねようと口を開くと、シーカは立てた指を唇に近づけた。
「次!」
野獣の吠え声が聞こえた。部屋の奥に錆びついた鉄の門が開けられた音もした。そしてすぐに、2体のイヌ型アニモが男たちに近づき、その大きな口で男たちを咥えたままどこかへ行こうとする。
ルリアは動き出した。この網の鉄格子を外して、今すぐにも男たちを助けようと。
「シーカ?」
だがシーカはそんな彼女を止めた。悲しいそうな、どうしようもない表情で、シーカは頭を振る。
そのまま数秒が過ぎる。男たちは皆アニモに連れ去られた。そして更に数分が経つ。シーカは初めて鉄格子を外した。
「シーカ、そろそろ説明して」
部屋に下りて、しゃがんで何かを拾い上げたシーカにルリアは問い詰めた。
「……説明より実際に見たほうが速い。ーー見たいなら」
そう言って、シーカは奥にあるドアへ歩き出した。このドアの向こうには、さっきみたアニモたちがいるのを容易に想像できる。
けれど、それでもシーカとクーカスは一向に戦う準備をしないまま、ドアに手を付けた。
鉄のドアが再び軋む。それからルリアたちの前に現れた光景は、思わず息を飲み込ませるものだった。
男たちは、もはや死体とも言えない様子に、--今の男たちの様子を表す言葉を考えるなら、ルリアは「喰い滓」しか浮かばなかった。
「ぐっ」
腹から胸元まで、そして喉へ。吐き出すことを必死に堪えて、ルリアは両手で口を押さえたまま、シーカを睨む。
「……助けなかったじゃない」
ルリアが訴えているものを聞くまでもない。シーカはさっき拾った小瓶をルリアに見せながら彼女に説明した。
「……俺たちがここに来る前に、彼らはすでに死ぬ運命であった」
空になった小瓶から、一滴の液体が零れ落ちる。
そしてすべてが繋がった。
「毒、ですか」
ルリアの問いに対して、シーカは顎を引いた。
ルリアはもう一度部屋を見回った。
男たちの残骸以外に、数体のイヌ型アニモの死体がそこらへんに並んでいる。その中には、さっき見たあの2体もあった。
「これがこの町の実態だ」
後ろにいるクーカスは噛み殺すように言葉を発した。
「ペットになって奴らが興味を失うまで生きるか、食糧になって奴らの腹が減るまで生きるか。--この町の人類にはこの二つの生き方しかないのだ」
アニモの死体に近づき、クーカスはその頭を、頭蓋骨と一緒に踏みつぶした。
「そして食糧になった人類たちは最後の抗いとして、自ら毒を飲み、こいつらをあの世まで道連れーーで間違いないような? シーカ」
「……ああ」
シーカは空になった小瓶に、アニモの死体から滲み出す血を採取しながら話す。
「……俺がここに来るまでは皆そうしているらしい。ザラさん、--さっきの女の人だが、彼女がこの毒を作っていた。俺はこうして血のサンプルを採取して、ザラさんが更なる強い毒薬を作るのを手伝っている」
「助けられたはずだった……」
唇を噛み、ルリアは口を開く。
「今まではそうだったかもしれない。ここの人類たちがアニモに勝つ方法はそれだけだったかもしれない。でも」
シーカの手を止め、ルリアは彼に語り掛けた。
「今は違う。私たちが来たから、もうこんなやり方は……」
蓋を締め、シーカは小瓶を懐に入れる。
「……そうだな。もうこんなやり方は要らない。--でも、すでにこの毒を飲み込んだ人は何人もいた。ーーだろ?」
シーカがそう訊くと、クーカスが頷いた。彼の周りにも、この毒でアニモに一矢報いた者がいるのがわかった。
「……さあ、次の場所へ行こう。彼らの最後を見届けよう。これが終わってから」
屋敷を出て、三人は次の場所へ移動した。
「……もう二度とこんなことが起きないように。--今度こそ、確実にボスイヌを仕留める作戦を考えるんだ」




