22Hong Kong5
◇彩語り◇
凛に相談したい。この手紙どお処理すればいいの?
LA本社に届いた一通の手紙。差出人は「N」。消印はドイツ・ベルリン。
ナオミの顔が浮かぶ。
明日、凛はLAに着く予定だ。待ちきれないよ。
彩さんへ
突然いなくなってごめんなさい。
私がどおしているかは聞かないで。(彩さん、連れ戻してくれたら嬉しいな)
彩さんは今でも私の憧れです。
あなたの元で働かせてもらった時間は楽しかった。
充実していました。
もっと彩さんから多くを学びたかったのですが、
どおすることもできません。
ありがとうございました。
笑顔が素敵な彩さんへ
お元気で。 偽物エクボのN。
トミーへ
私の心の中は変わろうとしていた。本当よ。
あなたは年下だけど、賢くて純粋で愛しかった。可愛かった。
こんなにキスが嬉しかったことはない。
こんなにも自分の身体を愛されたことはない。
後悔はある。凄くある。
でもね、あなたはあなたの人生を歩んでください。
夢のひとときをありがとう。
可愛いトミーへ
お元気で。 小さな胸のN。
華社長へ
初めて華さんにお会いした時の緊張は忘れません。
あなたの声に表情に雰囲気に圧倒されて、無理に明るく振る舞ってしまいました。
華さんのことですから、私が消えて何かを感じたはず。
でも、「彩音」には何の関係もないことです。(華さんの前で悪人はイヤだ)
仕事、ご一緒したかったです。ありがとうございました。お元気で。 N。
ナカモリアキラさまへ
自己紹介、冗談かと本気で思いましたよ。
あなたの真顔でのハスキーボイス。魅力的でした。
いつも珈琲を飲みながら、私を少し気にしながら微笑んでくれましたね。
もう少しでドキューンでした。でも、アキラさんは華社長一筋ですよね。
見てればわかります。女のカンです。
ありがとうございました。お元気で。 N。
小林博さまへ
偽名でしょ?あなたはスペシャリストですよね。
ふざけて肩に顎を乗せたときに、あなたに返された鋭い視線。すごく怖かった。
でも、直ぐに笑顔に戻りブロックチェーン技術を説明してくれた。
嬉しかったです。本当に嬉しかった。チタンフレームの眼鏡、似合わないですよ。
ありがとうございました。お元気で。 N。
◇/◇
彩から手紙を渡された。消印はベルリン。差出人は「N」。
読んだ。「偽物エクボのN」ナオミは自分でそう書いた。
胸が痛くなった。
「もっと彩さんから多くを学びたかったのですが、どうすることもできません」
国家安全部か……本当のことだと思った。ナオミは彩の質感に憧れた。
彩のえくぼへの羨望があった。それは香港での観察でわかっていた。
トミーへの手紙が、いちばん正直だった。任務の言葉ではなかった。
国安に戻って書かされた言葉でもなかった。
ナオミという人間がベルリンから送った言葉だった。
それと……「ナオミの心の中は変わろうとしていた」泣きそうになった。
健人さんの目には、それが見えた。そして、奏も健人さんの反応で気付いた。
だから作戦を変更した。「小さな胸のN」という署名が笑えなかった。
ナオミ自身で名付けたユーモア。その裏に、どれだけの孤独があるのだろうか。
華社長への手紙……
「あなたの声に表情に雰囲気に圧倒されて、無理に明るく振る舞ってしまいました」。
やはりそうだったか、と思った。
最初の「ぷっ。えっ?」の笑いは、奏の自己紹介への反応ではなかった。
私への緊張を、笑いで逃がしていた。エージェントとして、それに気づいていた。
だから「自然すぎた」と感じた。
ナオミは本物(彩。私も?)に圧倒されながら、まだ偽物として動かされていた。
しかも心の中は動揺していた。それが彼女のいちばん辛い部分だったと思う。
奏への手紙を、奏に見せた。
「ナカモリアキラさまへ」と書かれた手紙を読んだ奏が、一瞬止まった。
「もう少しでドキューンでした」という一行で、奏の耳が赤くなった。
見なかったふりをしたけど、見ていたの。奏が照れる顔を、しっかり見ていたの。前髪が下りていたの。
奏が観察と悟られずにナオミに送っていた微笑み……私なら一瞬でドキューンだ。
「でも、アキラさんは華社長一筋ですよね。見てればわかります。女のカンです」
ナオミの女のカンは、正確だった。エクボが偽物でも、この直感だけは本物だった。
奏が私を見た。何も言わなかった。でも目が言っていた。「その通りだ」
健人さんへの手紙も読んだ。「チタンフレームの眼鏡、似合わないですよ」
健人さんが聞いたら苦笑いするだろう。でも「本当に嬉しかった。」という一言が深かった。
怖い視線の後に、笑顔でブロックチェーンを説明してあげた健人さん。
この娘はエージェントではないと信じてくれたことへの、本当に心からの感謝だと思う。
ナオミの心の中を覗いてしまう健人さん。やっぱり凄い人だ。
彩がこの手紙をどう処理すべきか聞いてきた。
「トミーに届けてあげてください」と答えた。
「ナオミからの手紙は、トミーが受け取るべきです。それが彼女の本音よ。」
彩が頷いた。彩のえくぼで。
ベルリンのどこかで、ナオミが今夜も「偽物エクボのN」として生きている。
心の中が変わろうとしているのに、国家からそれを許されない女。
いつか、「えくぼ」になれる日が来ることを、少しだけ願った。
敵だったけれど、女に憧れた女を、嫌いになれなかった。
◇奏、健人語り◇
「名誉か……奏のホークアイって宇宙より広くない?」
「そんなわけないよ。健人って自分に出来ないことはないって本気で思ってるだろ。」
「うん。少し思ってるわ。」
「健人は、そのままでいいと思うよ。けど世の中には素数ってあるんだ。
数字で言うなら13とかな。本当はどこまでいっても素数は素数なんだよ。
小数点以下切り捨てとかで導き出される結論は、結果とは限らないんだ。」
「いや、結果とは言わない。変数もある。Xやyはあくまでも仮定なんだ。
結論が出せて初めて機能するだけで、仮定を間違えると解を間違える」
「だから石を置きながら、ティッピングポイントを見極める?」
「そうだ。そして、結果は一つにする。マッピングしてると副産物が生まれるけど、追いかけると結果が出なくなるんだ。副産物も欲しけりゃその副産物を中心に別のマップを用意することだ。そうしないと
合成の誤謬が生じる。最大公約数だけを信じる。」
「そんなのオレにできるわけないだろ。」
「だからオレの武装なんだよ。健人にも出来ないことあって良かったな。」
◇/◇
◇凛、彩語り◇
「凛、あの衣装どおした?」
「バーキンは返しました。今頃、どこかのリサイクルショップ。
ジバンシーのスーツとフェラガモヒールはギャラです。」
「ピアスは私物。奏からのプレゼント。」
私達はLAの「彩音」本社に招かれている。
奏の501(凛お気に入り)から膝が覗いている。ダボダボのヒップと締め上げたウエストのライン。
セントジェームスのカットソーの胸は大きく膨らんでいる。
そばかすをクシュっとさせて笑っている。
「彩の方こそ、その後どお?」
「うん。マックスは現状維持。トミーは傷心旅行を兼ねて日本に留学させた。
語学勉強と社会勉強。恋の傷は恋が癒す。トミーは日本人女性のやさしさに弱いからね。」
「あのふたりが付き合ってるって凛は気付いてたの?」
「なんとなくね。トミーのメール確認が頻繫だったのと、ナオミの初対面での天真爛漫を疑った。」
「これ、私からのお礼。というか招待状。シドニーへの航空券。」
新商品のプレゼンをシドニー支店のオープニングイベントにするみたいだ。
「ニュージーランドからオールブラックス呼んで「ハカ」やってもらえないか
健人くんに頼んでるよ。最高のディールメーカーだからね。」
「健人さん実現しそうだよね。本当に自分に出来ないことはないと思ってる。」
「そう言えば、奏くんCIAに出向するの?」
「私と大みかから離れたくないって断ったよ。」
「そっかぁ。凛の奏中毒も奏くんの凛中毒も治りそうもないね。」
◇/◇
香港。ビクトリアハーバーの眺め。かつての漁村が、植民地になり、占領され、返還され、民主化運動が鎮圧された。それでも香港は、多国にとって都合のいい場所として機能し続けている。
「東洋の真珠」は、これからも翻弄され続けるのかもしれない。
チーム凛は彩の十年を守った。よかった。彩が笑えた。それが、全部だった。
トミーは日本でナオミの心の中を変えられる本物の男になれるかな?
♪♪その㉒♪♪
私は中学生ぐらいから低いテーブルで食事するのが苦手だ。
畳に座卓に座布団。そこで正座して食事すると思うと悪夢が次々と甦る。
スープやタレで服を汚す。
美味しい食事ほど事件が起きる。
食事に夢中になってしまう。
低いテーブルだとお皿を遠くに置かないと見えない。
そして、背中を丸めて食事して食材を直接つぶしたこともある。
そうすると手を伸ばして箸を使い、且つ首を精一杯伸ばさなければならない。
ラーメンのどんぶりを手に持って食べなければならない。無理だ……
もう奏は、*プラス25センチの差を知っているから、いつも注意して見ててくれる。
たまにスープなどが出てくると前もって言ってくれる。
「凛、おっぱい気を付けて。」
「もぉ」
*70プラス25センチ。
了




