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16Alexandria  

[◇奏photobook11◇]

アレクサンドリア任務 前日夜。 今回はカイロではなく、アレクサンドリアだ。古くからの港町。

カナート調査と遺跡発掘プロジェクトのコーディネーターも兼ねる。

どちらかというと凛自身は、あまり乗る気ではないが、凛との交渉事をクライアント様とやらは

必ず望む。凛本人の曖昧な自覚は謙虚なもので、オレからしてみれば、凛が微笑むだけで全ては

上手くいくというところだ。今日は紺のパンツスーツに白のサマーニットで、ビジネスライクな

服装にもかかわらず相変わらず視線を集める。

アップにした髪型が眩しすぎる。何よりオレが贈ったブロンズのバレッタヘアクリップが似合ってた。

思わずにニヤけてしまう。凛は1秒だけ微笑みを返してくれる。

アレクサンドリアといえばクレオパトラの故郷でシーザーとのラブロマンスなのかもしれないが、

カナートの遺跡は少し離れたヘラクレイオンだ。

使節団をコーディネートする凛は、彼らにとっては正にクレオパトラだが、オレの凛はネフェルティティだ。クレオパトラがローマに滅ぼされ毒蛇に胸を噛ませ自害するが、ローマ帝国時代ではなくペルシャが大国を築いた時にカナートは多く掘られた。パリもアレクサンドリアも、なんで地下なんだ?

凛が言ってたな。「昔から人の目に触れさせたくない物事は地下を通る」

カナートの調査記録を照合していた。ペルシャがエジプトを支配した時代、ダリウス大帝はファラオを

名乗り、既存の水路網を拡張した。権力は征服した土地のインフラを壊さない。使う方が賢いからだ。

その合理性が、数千年後の今もカナートとして残っている。

ペルシャはバビロニアも支配してないか?この時、ユダヤ人を解放したのに……

バベルの塔が好きだと凛は言う。天に届こうとして、言語を分断された人類の話。

オレはその話の中で、塔が崩れた後も黙々と石を積み続けた名もない人間のことを考える。

凛はたぶん、塔そのものの途方もなさが好きなのだ。それがオレたちの最大公約数だ。

クレオパトラは政略の女だ。美しさを武器として自覚し、シーザーを、アントニウスを動かした。

その強さは本物だが、オレの凛とは違う。凛は自分の美しさを武器だと思っていない。

微笑むだけで交渉が動くことを、本人は謙虚に不思議がっている。そこが違う。

ネフェルティティは夫アクエンアテンのそばにいた。権力の中心にいながら、壁画の中では常に夫と並んでいた。政略ではなく、隣にいることを選んだ女だ。三千年後も顔が残っている。それが答えだと思う。

ブロンズのバレッタを選んだのは、凛の首筋に合うと思ったからだ。アップにした髪の重さを支える

クリップが、首の細さと耳の形を際立たせる。それを贈ったオレがニヤけるのは、当然の帰結だ。

凛の壁画を残したい。凛の1秒の微笑みは、オレだけに向けられたものだった。

使節団には見えない角度で。

凛のアップスタイルの髪形は、きれいな卵型の輪郭をはっきりとさせる。切れ長の二重まぶたと長い

まつげ。通った鼻筋、その周りに散らばるそばかす。薄い唇。微笑むと口角が上がり、眉が下がる。

そばかすが中心になる。クールな表情(凛にとっては真剣な顔)が崩れて、やさしい笑顔になる瞬間の

ギャップ。オレは、これを期待して「おやじギャグ」を言ったり。「おなら」を聞かせてみたりしてしまうんだ。壁画は、アレクサンドリアの光の中に凛が立つこの風景にしよう。

それだけでいい。それだけを石に刻みたい。そして誰かが三千年後に見つけるんだ。



◇凛語り◇

アレクサンドリア 交渉当日 早朝

微笑むだけと言われても、乗り気ではない任務というのは、正直なところ存在する。

今回がそれだ。カナート調査と遺跡発掘のコーディネート自体は興味深い。ヘラクレイオンの地下都市、ダリウス大帝の時代に掘られた可能性のある構造。それは純粋に面白い。だが使節団との交渉に私が前に出ることを、クライアントが望む理由が、私にはよくわからない。いや、わかっていて、認めたくない。


ヘラクレイオンは海底に沈んだ都市だ。

かつてナイルの河口にあった港町が、地盤沈下と地震で地中海に沈んだ。千年以上、海の底にあった。

二〇〇〇年に発見された。人の目に触れさせたくない物事は地下を通ると言ったが、ここは地下で

すらなく海底だった。歴史はときに、隠すつもりもなく消える。


三千年後に誰かが壁画を見つけるなら、奏と並んで刻まれたい。




♪♪その⑲♪♪


好きな顔は「そばかす」笑顔だけではない。

桜満開の神田川沿いの遊歩道。凛お決まりのジョギングコース。

メトロノームのようなポニーテールを右前に置いて走る。

たまに追い抜いて前を走るのだが、視界に凛がいないだけで色彩が褪せる。


凛は、息を荒くしてペースアップのオレに並び、しばらく並走する。

通常、走っている時の凛はあまり表情を変えないし、呼吸も乱れない。

筋肉や心拍の負担を差し引きして「楽しい」がプラスになった時、

このひとときは微笑んでいる。

それでも凛は、いつものように右前に出る。出てしまう。

「愛しい」

オレも走りには自信があるから、引くわけにはいかない。

残り1キロ。並走。「そばかす」が赤みをおびてきて、眉が崩れ、辛そうな表情。

「はっ」「はっ」「はっ」「はっ」

ラストスパート。凛を追い抜いてゴール。

直ぐに振り返る。悔しそうで苦しそうな凛の顔。

そばかすをクシュっとさせた。「んーっ」

オレにとっての至福のひと時。大好きな凛の表情。



「もぉ」


どういうわけか知らないけど、私に勝って笑ってる奏の顔。いい顔なんだよね。




了

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