第24話 しおり
窓から差し込む陽射しが床に四角い光を落としている。リオンは作業台で金具を磨いていた。工具の擦れる音が小さく響く。店内にある音はそれくらいだった。もう一つあるとすれば、ページをめくる音。窓際ではアウグストが本を読んでいた。
最近ではすっかり見慣れた光景だった。
しばらくして、その音が止まる。リオンは顔を上げた。アウグストが本を閉じる。また開いて数ページめくる。少し探したあと、もう一度閉じる。
そして再び開いた。今度は少し長く眺めていたが、やがて首を傾げた。どうやら困っているらしい。
「どうしました」
声を掛ける。アウグストは本から目を離さないまま答えた。
「探している」
「何をですか」
「続きだ」
リオンは瞬きをした。話を聞いてみると、本を閉じるたびにどこまで読んでいたのか分からなくなるらしい。それで毎回探しているという。リオンはしばらく黙った。それから聞く。
「しおりは使わないんですか」
「しおり?」
聞き返された。知らない顔だった。
「知らないんですか」
「ああ」
勇者は、しおりを知らなかった。
リオンは思わず笑う。アウグストはなぜ笑われたのか分からないらしい。少し不思議そうな顔をしていた。
「少し待っていてください」
リオンは作業台へ向かった。端材箱を漁る。厚めの紙を見つけると細長く切る。角を整える。そのまま捨てるつもりだったインク瓶を開いた。小さな犬を描く。耳が少し大きくなった。描き直そうかと思う。だが窓際の木彫りの犬も、どこか妙な顔をしている。リオンはそのままにした。乾くのを待ってから窓際へ戻る。
「どうぞ」
差し出したのは細長い紙だった。飾り気はない。
端に小さな犬が描かれている。アウグストはしおりと窓際の木彫りの犬を見比べていた。
「似ている」
「似せましたから」
木彫りの犬をそのまま小さくしたようだった。アウグストは納得したように頷く。リオンは本を受け取った。
「こう使います」
読んでいた場所へ挟む。本を閉じる。そして開く。当然ながら同じページだった。アウグストの目が少し大きくなる。
「戻った」
「戻ります」
「便利だな」
心底感心したような声だった。
その時だった。扉の鈴が鳴る。
「よう」
入ってきたのはレヴァインだった。気安い調子で手を上げる。
「来たか」
アウグストが言う。
「来たかじゃない。団長がお前を探してたぞ」
レヴァインは呆れたように言った。
「なぜだ」
「俺が知るか」
そう返しながら懐から封筒を取り出す。机へ置く。封蝋の押された立派な封筒だった。一目で上流階級からのものだと分かる。
「それは?」
「縁談」
レヴァインが即答した。アウグストは本を見ている。興味がないらしい。
「また来たのか」
「また来た」
レヴァインは肩をすくめた。
「勇者様は相変わらず人気者だからな」
リオンは封筒を見る。どれも格式の高そうな家ばかりだった。英雄なら当然なのだろう。そう思いながら工具へ視線を落とす。金具を磨く手がほんの少し止まった。
「今回は侯爵家もあるぞ」
レヴァインが封筒を持ち上げる。
「そうか」
「見ないのか」
「任せる」
レヴァインは深いため息を吐いた。
「お前なあ」
「必要か」
「普通は必要だ」
「そうか」
まったく響いていない。リオンは苦笑した。アウグストらしいなと思った。
レヴァインは封筒をまとめ直す。その途中でアウグストの手元へ目が向いた。しおりだった。本を閉じるたびに確認している。妙に丁寧だった。
「何だそれ」
「しおりです」
リオンが答える。
「知らなかったらしいので」
レヴァインは侯爵家の封筒を見る。次にしおりを大事そうに本へ挟むアウグストを見る。少し笑って肩をすくめた。
「まあいいか」
そう呟いて封筒を抱える。
「団長のところには顔出せよ」
「考える」
「行かないやつだな」
レヴァインは笑いながら店を出ていった。鈴が鳴る。静けさが戻る。
アウグストは再び本を開いた。しおりを挟んだ場所から。迷うことなく続きを読む。ページが静かに進んでいく。やがて本を閉じる。今度は自然な動作でしおりを挟んだ。ほんの少し慎重に。
その様子を見て、リオンは気づかれないように笑った。
窓から差し込む光が赤く染まり始めていた。
「閉店です」
リオンが声を掛ける。アウグストは本を閉じる。
しおりを挟む。立ち上がる。そして扉へ向かった。数歩進んだところでリオンが気づく。
「それ、持っていくんですか」
アウグストは足を止めた。
それから真面目な顔で聞き返した。
「だめか」
リオンは吹き出しそうになる。
「だめじゃありません」
「そうか」
安心したように頷く。アウグストはしおりを懐へしまった。木彫りの犬が描かれた、小さなしおり。封筒には最後まで目もくれなかった。
それでも、小さなしおりだけは忘れず懐へしまっていた。鈴が鳴る。扉が閉まる。
静かになった店で、リオンは窓際を見る。木彫りの犬、空になった椅子、夕暮れの光。さっきまで、しおりが置かれていた場所。リオンは少しだけその景色を眺めた。それから工具を片付けるために立ち上がった。




