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勇者のいる窓際  作者: 月白ゆう


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20/21

第20話 帰還の日

 帰還の日の朝は、雲ひとつない青空だった。

 夜明けとともに野営地が動き始める。畳まれていく天幕。荷馬車へ積み込まれる木箱。馬のいななきと騎士たちの掛け声が森へ響く。

 長かった遠征も、ようやく終わる。

 アウグストも荷物をまとめ、天幕の外へ出た。肩にはまだ包帯が巻かれている。脇腹にも鈍い痛みが残っていた。歩くことに支障はない。だが、治療師からは鎧を着込んで先頭へ立つことを固く止められていた。


「今日は患者です」


 真顔でそう言われ、最後まで押し切られた。

 仕方なく軽装のまま、荷物だけを肩に掛ける。その姿を見つけたレヴァインが笑った。


「勇者様も、今日は大人しく患者をやる気になったか」

「歩ける」

「歩けることと、無理していいことは別なんだよ」


 アウグストは黙った。

 歩けるなら歩く。それがいつもの判断だった。だが、治療師は苦笑しながらも首を振る。


「帰るまでが治療ですからね」

「……分かった」


 納得したのか、諦めたのか分からない返事だった。

 やがて出発の合図が響く。

 部隊は森を抜ける一本道へ歩き始めた。討伐は終わり、周辺の安全確認も済んでいる。昨日まで張り詰めていた隊列からも、力が抜けていた。


「帰ったら、まず風呂だ」

「俺は三日くらい寝る」

「母さんの飯が食いたいな」

「ああ、それは分かる」


 あちこちで笑い声が上がる。

 若い騎士たちの足取りは軽い。誰もが帰還を待ち望んでいた。

 アウグストは隊列の少し後ろを歩いていた。普段なら先頭で周囲を警戒している。今日は剣を抜く必要もない。森の音を聞きながら歩くことが、妙に新鮮だった。

 しばらくして、一人の若い騎士が隣へ並んだ。


「あの、勇者様」

「何だ」


 あの戦いで救出した第二部隊の青年だった。盾を握る手が震えていた騎士である。


「ありがとうございました」


 青年は照れくさそうに笑った。


「昨日、弟へ手紙を書いたんです」

「そうか」

「無事だったって報告できました」


 少し間を置き、青年は頭を下げた。


「勇者様のおかげです」


 アウグストは前を向いたまま答えた。

「違う」


 青年が首を傾げる。


「お前が立っていた」

「え?」

「盾を捨てなかった」

 

「あれが崩れていたら、間に合わなかった」


 青年は言葉を失った。

 あの時、自分は恐怖で震えていた。逃げ出したいと思っていた。それでも盾だけは離さなかった。

 そのことを、この人はちゃんと見ていた。


「……ありがとうございます」


 今度は先ほどより深く頭を下げ、青年は仲間の元へ戻っていく。

 その背中を見送りながら、レヴァインが笑った。


「お前、相変わらず言葉が足りないな」

「そうか」

「普通なら『よく頑張った』って言うところだぞ」


 アウグストは少し考えた。


「頑張っていた」

「だったら、そう言えばいい」

「難しい」


 真顔だった。

 レヴァインは肩を震わせる。


「魔物相手なら迷わないのに、人相手だと急に不器用になる」

 アウグストは首を傾げた。何がおかしいのか分からない。

 その様子がおかしくて、レヴァインはまた笑った。つられるように、近くの騎士たちからも笑い声が上がる。

 森を抜ける風が頬を撫でた。

 木漏れ日が街道にまだら模様を落としている。

 もう剣を振るう必要はない。あとは王都へ帰るだけだった。

 森を抜けると、視界が一気に開けた。

 遠くに王都の外壁が見える。白い石で築かれた巨大な壁が、陽光を受けて淡く輝いていた。


「見えたな」

「やっと帰れる」

「今日は寝るだけだ」


 あちこちから安堵の声が漏れる。

 緊張の解けた騎士たちは、どこか子どものような顔をしていた。

 アウグストも視線を上げる。

 王都。

 何度も戻ってきた場所だった。魔王討伐以前から、数え切れないほど出入りしている。

 帰還はいつも「次の任務の始まり」でしかなかった。

 報告を済ませ、剣を整える。身体を休めれば、また次の任務へ向かう。

 それだけの場所だった。

 なのに今回は、少し違う。


「珍しいな」


 隣を歩くレヴァインが横目で見る。


「何がだ」

「帰り道でそんな顔するの」

「顔は変わらない」

「そういうとこだよ」


 レヴァインは肩をすくめた。


「前は帰還なんて気にしたこともなかっただろ」

「そうか」

「そうか、じゃない」

 軽い笑いがこぼれる。

 アウグストはしばらく考えた。

 確かに、以前は帰還に意味を持たなかった。

 だが今は、王都の外壁を見ているだけで、なぜか一つの場所が浮かぶ。そして、何気なく聞こえる声。

「いらっしゃいませ」その声まで、妙にはっきりと思い出せた。気づけば、歩幅が少し大きくなっている。


「おい」


 レヴァインが横から声をかけた。


「何だ」

「いや、急いでるだろ」

「急いでいない」

「嘘つけ」


 

 アウグストは少し歩幅を戻した。

 確かに、速くなっていたかもしれない。

 やがて街道は広くなり、整備された石畳へ変わっていく。王都が近い証拠だった。

 門へ近づくにつれ、衛兵の姿が見えてくる。その向こうで、城壁の門がゆっくりと開いていた。


「帰ってきたな」

「風呂だ、風呂」

「今日は何も考えない」


 笑い声が重なる。

 アウグストはその輪の少し後ろにいた。

 いつもなら先頭で門をくぐる位置だ。

 だが今日は、それでいいと思った。

 急ぐ必要はない。

 門をくぐったあと、まず騎士団へ向かう。報告を終えるまでの間だけ、少し我慢すればいい。

 その先に向かう場所は、もう決まっていた。

 門をくぐる。

 騎士団の報告へ向かうため、部隊は左右へ分かれていった。

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