第21話 戻ってきた場所
騎士団本部の報告室を出ると、廊下には西日が差し込んでいた。
長かった遠征が、ようやく終わった。
扉の前にはセシルが立っている。書類を抱えたまま、いつもと変わらない姿勢でこちらを見ていた。
「本日の報告は以上です。お疲れさまでした」
「問題ない」
アウグストが答えると、横からレヴァインが肩をすくめた。
「やっと解放か」
「解放?」
「報告地獄からだよ」
セシルが軽く咳をして話を締める。
「明日以降は通常任務へ復帰で構いません。ただし、負傷が完治するまでは自重を」
「分かった」
セシルは頷き、書類をまとめて踵を返した。
「では、解散します」
張っていた空気がほどけた。
騎士たちがそれぞれ廊下へ散っていく中、レヴァインが横目でアウグストを見る。
「で? 真っすぐ帰るのか」
「違う」
「だと思った」
アウグストはすでに廊下の先へ目を向けていた。
胸元には返却用の本がある。遠征の間に何度も読み返したせいで、表紙の角にはわずかに擦れた跡がついていた。
「行く」
「どこに」
一拍置いて、アウグストが答える。
「店だ」
それだけで伝わったらしい。
レヴァインは呆れたように息を吐いた。
「お前、それしかないのか」
「何がだ」
「いや、いい」
軽く手を振る。
「じゃあ先に帰る。セシルには伝えておく」
「ああ」
それだけ言って、二人は別れた。
レヴァインの背中が廊下の向こうへ消える。
アウグストは胸元の本を持ち直し、外へ向かった。
扉を押し開けると、王都の空気が流れ込んでくる。
人の話し声。店先から漂う夕食の匂い。遠くで鳴る荷車の車輪。
戦場では聞かなかった音が、当たり前のように重なっていた。
街を歩く。
市場では、店先に野菜を並べる者や、客を呼び込む者の声が飛び交っている。遠征前にも見た景色だった。
同じ王都なのに、違って見えた。
角を曲がる。
古本屋の前を通り過ぎた。積まれた書物に目が向く。
しかし足は止まらない。
返す本がある。それだけだ。
そう思いながら歩いていると、脇腹に鈍い痛みが走った。思わず眉を寄せるが、そのまま進む。
薬屋を過ぎ、仕立て屋を過ぎる。
やがて、見慣れた木の看板が目に入った。
少し傾いた木札に、見慣れた文字がある。
――道具屋リオン。
足がわずかに緩んだ。
店の窓が開いている。
白いカーテンが風に揺れ、その隙間から薬草の匂いが流れてきた。
アウグストは足を止めずに、その匂いを吸い込む。
懐かしい。
そう思った。
店の奥から、工具を扱う音が聞こえる。
カリ、カリ、と一定の調子で続いている。
その音を聞いた途端、肩の力が抜けた。
戦場にはなかった音だ。
王城にも、騎士団本部にもない。
窓際には、木彫りの犬が置かれている。
耳の形も、少し欠けた輪郭も変わらない。
「……変わらないな」
呟いてから、アウグストは店の前まで歩いた。
扉の上で、鈴が揺れている。
本を抱え直す。
返すだけだ。
それなのに、指先はすぐには動かなかった。
店の奥では、工具を扱う音が続いている。
聞いているうちに、遠征の疲れが少しずつほどけていくようだった。
アウグストは一度だけ息を吐く。
そして、扉に手を伸ばした。
指先が触れる。
鈴が鳴った。
カラン。
工具の音が止まる。
店の奥で、リオンが顔を上げた。




