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勇者のいる窓際  作者: 月白ゆう


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19/21

第19話 待つ場所

 遠征十一日目。

 野営地では、帰還の支度が始まっていた。

 討伐はすでに終わり、負傷者の容体も落ち着いている。張りつめていた緊張も少しずつ解け、騎士たちは帰還の準備に追われていた。荷馬車へ木箱を積み込み、武具を手入れし、明日の出発に備える。予定より数日は遅れたものの、ようやく王都へ戻れる。


 治療用天幕では、アウグストが寝台へ腰掛けていた。肩と脇腹にはまだ包帯が巻かれている。

 痛みは残っていたが、腕は昨日よりよく上がる。歩くにもほとんど困らなくなっていた。


「順調ですね」


 朝の診察を終えた治療師が包帯を巻き直しながら微笑む。 


「無理をしなければ問題ありません。帰還にも支障はないでしょう」

「そうか」


 それだけ分かれば十分だった。

 治療師が天幕を出ていく。

 外では木箱を運ぶ音がしていた。馬が一頭いななく。帰還準備は着々と進んでいるらしい。

 ぼんやり耳を傾けていると、天幕の布が揺れた。


「起きてたか」


 レヴァインだった。

 紙袋を片手に入ってくる。


「差し入れだ」


 補給隊から分けてもらった焼き菓子を机へ置く。


「甘いぞ」

「そうか」


 一枚受け取り、小さくかじる。

 香ばしい甘さが口へ広がる。

 二人は焼き菓子をつまみながら、しばらく黙っていた。天幕の外では、荷を運ぶ足音が行ったり来たりしている。


 やがてレヴァインが口を開く。


「暇か」

「暇だ」


 間髪入れず返ってきた。


「だろうな」


 思わず笑う。


「本も読み終わったしな」

「ああ」


 その返事がおかしくて、また笑いが漏れた。


「数か月前なら考えられないな」


 アウグストが視線を向ける。


「本なんて見向きもしなかった奴が、『読む本がない』なんて言うようになるとはな」


 アウグストは少し考えた。

 否定しようとして、やめる。


「……読むようになった」

「ああ。立派な読書家だよ」


 レヴァインは肩を揺らして笑った。



「失礼します!」


 天幕の入口から声が響く。

 入ってきたのは三人の若い騎士だった。

 先日の戦闘で救助した第二部隊の面々である。

 三人とも姿勢を正し、どこか緊張した面持ちで立っていた。


「勇者様、お加減はいかがですか」

「悪くない」


 三人はほっと息を吐いた。

 やがて、一人が震える声で口を開く。


「先日は、本当にありがとうございました」


 三人揃って深く頭を下げる。


「あの時、勇者様が来てくださらなければ……」


 言葉が途中で止まる。

 あの戦場を思い出したのだろう。

 アウグストは三人の沈黙を受け止めるように、静かに視線を向けていた。


「全員、生きている」


 それだけを告げる。


「はい」

「なら、それでいい」


 アウグストにとっては、それだけで十分だった。

 救われた者よりも、救うために手を伸ばした者のほうが、深い傷を抱えることがある。

 それでも、自分の怪我には一切触れず、仲間が生きていることだけを口にする。

 三人はもう一度深く頭を下げた。

 しばらく沈黙が続いたあと、一番年若い騎士がおそるおそる口を開く。


「あの……一つ、お聞きしてもいいでしょうか」

「何だ」

「レヴァイン様から聞いたんですが……」


 隣を見る。

 レヴァインは嫌な予感がしたように苦笑した。


「勇者様って、王都へ帰ると毎日のように道具屋へ行ってるんですか」

「…言ったのか」


 レヴァインが吹き出す。

 若い騎士は慌てて頭を下げた。


「少し伺っただけです!」


 アウグストは首を傾げる。


「毎日ではない」

「いや、毎日だったぞ」


 レヴァインが即座に返す。


「仕事が終わるたび、そのまま向かってたじゃないか」


 アウグストは黙った。

 騎士団本部を出て、大通りを歩き、店の鈴を鳴らす。窓際へ座り、本を開く。薬草茶を飲み、ときどき店主と言葉を交わす。

 閉店になると本を閉じて帰る。

 一日一日を思い返していく。


「……そうか」


 ぽつりと漏らす。

 レヴァインは肩を震わせた。


「今気付いたのか」


 天幕の中へ笑いが広がる。

 若い騎士たちも思わず笑っていた。


「そんなに居心地がいい店なんですか」


 今度は少し長く考えた。

 薬草の香り、工具を磨く音、本棚、窓際の席、木彫りの犬。そして静かな午後。

 一つずつ思い浮かべる。


「静かだ」


 まず、それが浮かんだ。


「本がある」


 続けて、少しだけ言葉を探しぽつりと。


「落ち着く」


 ようやくそう付け加えた。

 若い騎士たちは顔を見合わせる。

 英雄らしくない答えだった。

 だが、不思議と納得したようにも見えた。


「ありがとうございました」


 最後にもう一度礼を言い、三人は天幕をあとにした。入れ替わるように布が開いた。


「失礼します」


 セシルだった。

 手には帰還命令書を持っている。


「帰還命令が出ました」


 アウグストが顔を上げる。


「明日の朝、王都へ向けて出発します」

「そうか」

「予定より遅れましたが、ようやく帰れます」


 書類を受け取り、頷く。


「帰る」


 その一言だけだった。


「帰ったら、まず本部へ来てください」

「分かった」

「怪我の診察も忘れずに」

「ああ」


 セシルは安心したように笑い、天幕を出ていく。布が下りると、外のざわめきが少し遠くなった。

 レヴァインが腕を組んだまま尋ねた。


「で?」

「何だ」

「本部が終わったら?」


 アウグストは少し考えた。

 本部へ報告する。診察を受ける。邸宅へ戻る。

 やるべきことはいくつもある。

 それでも、最初に浮かんだ場所は一つだった。


「道具屋へ行く」


 迷いのない返事だった。

 レヴァインは声を立てて笑う。


「やっぱりな」


 アウグストは首を傾げる。

 何がおかしいのか分からなかった。

 レヴァインはそれ以上何も言わなかった。

 天幕の外では帰還準備が続いている。

 木箱を運ぶ音、馬のいななき、忙しく行き交う騎士たち。遠征は終わる。明日になれば王都へ戻る。アウグストは天幕の隙間から外を眺めた。

 吹き込んだ風に目を細める。もちろん野営地に薬草茶の香りなどあるはずがない。

 それでも、不意に思い浮かんだ。

 窓際の席、工具を磨く音、本棚に並ぶ旅の本、木彫りの犬。


 そして、扉が開くたびに聞こえる柔らかな声。


「いらっしゃいませ」


 明日になれば、またあの店へ行ける。

 そう思うと、胸の奥にあったわずかな重さが、ゆっくりとほどけていく気がした。

 アウグストは目を閉じる。

 帰る場所がある。それだけで十分だった。

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